第336話

次に俺の所にやって来たのは市松(福島正則)、彦(蜂須賀家政)、孫六(加藤嘉明)、土佐侍従殿(長宗我部元親)の四国組である。

元から四国の国人だった土佐侍従殿(長宗我部元親)以外の者たちにはある提案をしていた。

土佐侍従殿とはそれ以前から商売を通じて知り合いとなっている。

何を行っているかというと四国の俺の勝手なイメージとして柑橘類と鰹節の産地というイメージがあった。

そこで、先ずは柑橘類の内、直ぐに手に入った柚子を植林して行った。

去年位からは欧州で見つけて来たレモンも植林して増やしている最中だ。

柚子は以外にも京や堺でウケた。

風味が良く味のアクセントになる事からも珍重された。

酢の物に柚子を使うだけでとても風味も良く美味しいのであるが、柑橘類は捨てるところがない程に使い出がある為、皮すらも料理に使われた。

そんなこんなで長宗我部家に土地を提供して貰い栽培している訳だ。

水田や畑にならないような土地に植えて育てる事が出来るし、それが外貨獲得になるので大喜びされた。

それに、鰹節も元から作っていたがカビ付けとかはしていなかったのでその技法を伝授した。

鹿児島の指宿で鰹節工場を見学して歴史等を学んだりした経験が活きた感じだ。

前世チートで最も役立ったのがこれかもしれないなどと思ってしまう程に良い物が出来た。

鰹節は神饌として神に捧げるものでもあるのでもしかするとどこぞの神様が秘かに関与しているかもしれないが、従来以上の出来の良い鰹節の生産を土佐で行っている。

鰹節はこの時代の軍事物資でもあるので飛ぶように売れるそうだ。


「蔵人様、本日はおめでとうございまする」

「土佐侍従殿、様は不要と言いませんでしたか?」

「わははははは~長宗我部家にとっては蔵人様は福の神!神に様付けは必要なのでそこは曲げられませぬな」


土佐侍従殿は何時もの調子でそう言われる。

最初、柚子栽培の打診で会った時には「殿」だったんだけど、何時の頃かもう忘れたけど「様」呼びに変わり、下に置かぬ対応をされるようになった。


「わははははは~我らもその福の神の御利益にあやかりたいものですな」

「左様左様!我が領でも柑橘の栽培が始まりましたし、早う取れるのが楽しみです」

「誠に!それに、我が領では阿波踊りなる祭りを蔵人様の薦めで始めましたぞ。そちらでも蔵人様に協賛として資金一部を出して頂いております故、九州の方に足は向けて寝れませぬわ」


順に市松(福島正則)、孫六(加藤嘉明)、彦(蜂須賀家政)の言である。

顔見知りが四国に居たことで此方の方にも柑橘類の栽培を打診した。

それに、彦から治めている土地で踊念仏みたいなものが流行っているが如何すべきかみたいな相談を受けたのでふと思い出し「阿波踊り」として無礼講の祭りにしたらどうかと提案してみた。

提案した以上は祭りの一部協賛を言って金を出すこととした。

最初は恐縮されたが、「此方も利がある」と言ったら申し訳なさそうに受け入れてくれた。

あの「阿波踊り」の初期立ち上げ関われるとか胸アツだよね~とかいうただそれだけの理由なんだけど、彦からは方便と思われているようだ。

そして、今回は日本をグルっと一周する廻船舟を就航することを決めていてその港として四国では土佐と阿波の湾港整備をする予定だ。

長宗我部家と蜂須賀家としては願ったり叶ったりだったようで、乗り気である。

利(丸目利長)と莉里が後は上手くやってくれるだろう。


ないやら楽しそうじゃな何やら楽しそうですなおいらも我々も加えてくだされ」

「蔵人殿、お祝い申し上げる」


又四郎殿(島津義弘)と龍伯りゅうはく殿(島津義久)が話の輪に加わって来た。

薩摩と日向を押さえる島津家にもサツマイモの栽培と芋焼酎の作成をお願いし、更に指宿か枕崎の港開発を打診している。

此方も好感触で、何方を先に開発するかで島津家内部で意見を戦わせているようだ。

更に、他の参加者たちともワイワイと話し、宴もたけなわとなった。

そして、今回目玉の登場だ。


「何じゃ?」「おお!!」「何と見事!!」「大きい!!」


はい!皆さんご注目!!

結婚式といえば新郎新婦の初仕事があるでしょ?

そう!ウエディングケーキ用意しました!!

流石に前世の様な大きなケーキは無理だけど、それなりに見栄えする程度の大きさのケーキをご用意しました!!


「ケーキ入刀です!!」


三組のそれぞれにケーキを用意して入刀させました!!

皆、最初はポカーンと見てたけど、酒もいい感じに入っていたからか、直ぐに囃し立てて盛り上がり、楽しいケーキ入刀となった。

特注の包丁を用意しての入刀で、少し俺のイメージと違うけど、皆で仲良くケーキを平らげましたよ。

うん!俺的にもそれなりに美味しいので参加者は満足そうにケーキを食べその甘美な味に酔いしれていたよ。

ケーキ一つに10両位かかったらしいので、後々話草になったそうだが、流石に真似する者は居なかったようだ。

そして、その噂は日ノ本の全国を駆け巡り、「丸目家の贅を凝らした宴」と言う事が津々浦々まで広がる事となった。


〇~~~~~~〇


結婚披露宴終了のお知らせ!!

さて、柑橘系で財を成したというと有名な人物が居ます。

紀伊國屋きのくにや文左衛門ぶんざえもんという人物で、江戸時代、元禄(1688年~1704年)期の商人です。

名前が長いので略され「紀文きぶん」と呼ばれたそうで、「紀文大尽」などと言われました。

元禄期の商人と言いましたが、生没不明で他にも不明な点が多い為、半ば伝説上の人物として知られています。

20代の駆け出しの頃に紀州みかんや塩鮭で富を築いた話が有名で、江戸幕府の要人たちに賄賂を贈り接近し、上野寛永寺根本中堂の造営の仕事を請け負い巨利を得て、幕府御用達の材木商人として更なる財を築いたと云われています。

深川木場を火災で焼失、材木屋は廃業する羽目になりますが、幕府から銭鋳造の仕事を請け負い不死鳥の如く復活を遂げたのですが、その銭が品質の悪い悪銭で五代将軍綱吉の死と同時にこの銭は1年で通用が停止となり大きな損失を被り、その事が原因で商売への意欲を失い隠居、二代目は凡庸な人物だったようで没落して衰退したと伝えられています。

因みに、この時の銭とは十文銭で「宝永通宝」だったようです。

さてさて、この「紀文きぶん」さんはミカン船伝説というものがあり、20代の駆け出しの頃に紀州で驚くほどにミカンが大豊作だった年があり、収穫されたミカンを江戸に運べれば大儲け間違いなしだった様なのですが、収穫時期に嵐で海が荒れ航路が使えなかった為、江戸へ運べなくなり余ったミカンが上方商人に買い叩かれ暴落したそうです。

逆にみかんは品薄で江戸で高騰していたそうです。

紀文きぶんさんはここに目を付けました。

ボロ舟で海に乗り出し見事江戸に命懸けで運んで来たそうで、カッポレの唄という俗謡にその名残歌があるそうです。

「沖の暗いのに白帆が見ゆる~、あれは紀ノ国ミカン船~、ああ!カッポレ!カッポレ~♪」と言った感じに謡われるようです。

他にも鮭伝説もあります。

江戸にある塩鮭を買えるだけ買って上方(大坂方面)に持ち込みました。

買い漁った段階で上方で噂を流します。

「流行り病には塩鮭が一番」とというもので、噂を信じた人々が運んで来た時にはその鮭に飛び付き、飛ぶように売れたそうです。

丁度、上方では洪水が起きて伝染病が流行っていると知った紀文きぶんさんが閃いて実行に移したのですが、中々の策士ですね。

テレビドラマの「水戸黄門」でも何度か出て来た人物ですが、1,000回スペシャルの時に紀伊國屋文左衛門役で俳優の森繁もりしげ久彌ひさやさんが演じられていました。

水戸黄門史上初の3時間スペシャルで、歴代のレギュラーが総出演し、ゲスト出演も豪華だった事を何となく覚えています。

うっかり八兵衛こと俳優の高橋元太郎さん復活出演されていたのが凄く印象的でした。

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