第335話

大平宮への参拝時は煌びやかな衣装に身を包んでいた花嫁たちがお色直しで白無垢衣装にて現れた。

実はこれは俺の嫁さんたちの時の結婚式から流行りが生まれ、現在は花嫁の定番衣装の一つとして数えられる程となっている。

高級な白い絹をふんだんに使っているので見た目も素晴らしいし、俺が溢した言葉をキャッチコピーとして大々的に売り出して一部商人が大儲けしたとか。

何を言ったかって?俺は「自分色に染める」というよく前世で言われた言葉を囁いただけだ。

それから、「私を無垢です」と言う事なども言ったらしいが、あまり覚えていない。

それに、白と言うのは貴ばれるようで、それも富裕層に刺さった要因かも知れないと思っている。

さて、花嫁が宴会場に現れたことで式を始める事となった。

今回のこの結婚披露宴の目玉の一つかもしれないものを用意した。

何と、「高砂たかさご」を用意してみました!!

いや、「そう言えば高砂無いの?」と俺が口走ったのが始まりだ。

高砂と言うのは新郎新婦の座る特別な席で、前世で参加した結婚式では定番の物だったが、この時代は定番ではなかったようだ。

ただし、能に「高砂」という演目があり、夫婦愛、長寿の理想をあらわした謡曲としても歌われることでもあるので縁起が良いという事で取り入れられた。

詳しい事はよく解らないのでイメージ的にはお誕生日席って感じの物を説明したら、何か良い感じにまとめてくれた。

歌詞の中で「相生の松」というものがあり、縁結びや和合、長寿の象徴とされるらしく、そのお誕生日席みたいな場所には松が飾られた。

何かイメージと少し違うけど、目立つし良いんじゃない?


「丸目家は中々に面白き事をされますな」

「いや、お恥ずかしい。思い付きで色々とした結果ですよ」


声を掛けて来たのは黒官こと黒田官兵衛。

今回のお猿さんの名代でという大役で来ている。

黒官も九州に領地を得たそうで挨拶も兼ねてらしい。

彼は豊前国に領地を得たそうだが、肥後国人一揆の援軍を出した際に隙をつかれ豊前国でも野中鎮兼ら国人勢力が一揆を起こした。

肥後国人に呼応しての物らしく、伊予国への転封を拒否し改易されていた城井鎮房が挙兵してた事から此方も大規模となった。

黒官の息子・吉兵衛殿(黒田長政)が一旦は鎮圧に失敗するが持久戦に持ち込み兵糧攻めをして徐々に鎮圧をして行った。

そうなると城井一族は追い込まれ、城井鎮房の嫡男・城井朝房と娘・鶴姫を人質に出して降伏する事となった。

城井鎮房は居城からの退去を拒み一族郎党が滅ぼされたというのが公式見解だ。

しかし、それは裏があるし、そのやり方が中々にエグイ。

城井鎮房は黒田家に対して恭順を示したが、お猿さんの承認を得ることは出来なかった。

それを知った吉兵衛殿(黒田長政)は出来たばかっりの黒田家の居城の中津城に城井鎮房を呼び寄せる。

城井鎮房の家臣団は城下に留め置かれ、彼は僅かな供回りを連れ中津城に赴く事となった。

和解の酒宴という事で城井鎮房らを油断させ誅殺したという。

城下に留め置いた家臣団は別に刺客を送り全員を討ち取らせた。

主だった城井の者どもが居ない城を攻め立てて落城させた。

そして、人質の鶴姫を13人の侍女と共に処刑した。

鶴姫は13歳という若さで処刑された。

城井鎮房の嫡男・城井朝房も黒官に伴って肥後に赴いていたらしいのだが、この知らせを聞いた黒官によって暗殺されたという。

うん!実に黒い!!黒田家だけに?いや関係ない、戦国の世はこの様な惨たらしい事はよくある出来事だった。

しかし、天下統一を目前にするこの時代に・・・

いや、だからこそ必要だった?

それとも、内蔵助殿(佐々成政)の二の前は御免と過激に行った?

そこら辺はよく解らないが、この謀殺劇により中津の地には呪いが掛かったという噂だ。

何か悪いことがある度に「城井の祟り」という事が囁かれるそうだ。

まぁ結婚披露宴という目出度い場で考える事ではないかと思いつつ頭を切り替えた。


「ほう!思い付きですか?」

「はい、あちらの新郎新婦が座る席は高砂にちなんで縁起を担ぎ高砂席とでも致しましょうか。「相生の松」に見立て縁起を担ぎ飾っております」

「成程!!縁結びや和合、長寿を願ってですな!実に考えられておる」

「官兵衛殿、褒め過ぎです」

「いや、いや、某は感服しました」


流石に本人に黒官呼びしないぞ!!

心の中では黒官と愛着を込めて呼んでいるけど、流石に本人に言うには失礼なのでちゃんと「官兵衛殿」と呼んでいるぞ。

さて、べた褒めする黒官には悪いが、本当に思い付きなのでしみじみと言われると此方が恥ずかしくなる。


「時に丸目家で作られている帆船は驚く程に船足が速いとか」

「ああ、快速帆船ですな」


行き成りの話題転換と言う事はこれが本題かな?

豊臣家が天下を全て掌握すれば次に打って出るのは海外、朝鮮が最初の獲物となるだろう。

海上移動の足として速いというのは武器だ。


「快速・・・成程・・・」

「作るのは年に三隻が限界のようですよ」


そう、長門守の報告では4ヶ月程制作に掛るらしい。

それを聞き黒官は顎に手をやり思案し始める。

その行動からこの船を手に入れ運用を考えていると見た。

まぁ今の段階で朝鮮出兵を知っているのは豊臣家の中でも限られた者だろうし、俺が知っているとは思っていないだろう。


「その技術を売って頂く事は?」

「はい、構いませんよ」

「ま、誠ですか!!」


驚く事か?・・・いや、驚く事だな。

新技術というのはその開発に莫大な費用が掛かる。

特に技術が複雑であればある程にその価値は高まる。

昭和の時代にも産業スパイというものがあった。

技術を盗む盗人であるがその莫大な開発費用より安価で手に入る可能性があると考えた愚か者はどこぞの怪しい者に依頼したりしていたらしい。

それに、国家ぐるみでそんな盗人行為を行っている国もあった。

何処とは言わないがその国は開発費を掛けずに最新技術を手に入れて濡れ手に粟を得て経済発展を遂げた。

そんな事をして誇れるのか?とも思えるが、盗み推奨するような悪党の考えでは誇ることのようだ。

黒官も交渉しようという意図があるようだから黒くとも悪どくはないのだろう。


「しかし、船の大きさの割に兵を多く乗せられませぬが宜しいので?」

「あの速さであれば問題無き事かと!!」

「左様ですか」


どうせ何時かは辿り着く技術だし、売れる時に売れれば儲けものだ。

時代が進めば蒸気機関の船とか出て来て価値は落ちる。

まぁ俺の生きている内には辿り着かないと思うけどね。


★~~~~~~★


「その技術を売って頂く事は?」


無理を承知で蔵人殿に打診する。

もし、この船の技術を手に入れられれば戦略が変わる。

兵は速さを尊ぶものじゃ。


「はい、構いませんよ」

「ま、誠ですか!!」


あっさりと承諾された。

これほどの技術、どれ程の価値があると思っておるのか・・・

いや、それこそ狙いか?

殿下(豊臣秀吉)に相談し潰えを急ぎ用意する必要があろう。


「しかし、船の大きさの割に兵を多く乗せられませぬが宜しいので?」

「あの速さであれば問題無き事かと!!」

「左様ですか」


流石は蔵人殿じゃ、何に使おうと考えているかお未透視のようじゃ。

殿下が「超えたい」というのが実によく解る。

だが、何を考えておるやらよく解らぬ。

社より戻る途中では右近殿(高山右近)と何かを話しておった。

いや、恐らくは伴天連追放の件であろう。

あの件では儂も殿下を諫めるか考えた。

しかし、右近殿が殿下に意見して不興を買い、立場を失う姿を見て思い止まった。

そういう意味では殿下を諫めた蔵人殿に感謝する気持ちはある。

それはそれとして、儂の主は殿下である。

その殿下より「蔵人殿をやり込めたい」という内々の話をされている以上はそういう立場で動く必要がある。

されども、表立って蔵人殿に敵対するは命取りじゃ。

先ずは一つ、船足の速い船という丸目家の強みを奪えたことを喜んでおこう。


〇~~~~~~〇


結婚式の定番「高砂」ですが、これは2つあります。

高砂席と言われる新郎新婦の座る特別な席が一つです。

結婚式の席次表には必ず記載しますので「高砂(席)」と書かれている所は新郎新婦のお席だという事になります。

もう一つは能の演目の一つの「高砂」から由来した夫婦愛とか長寿を表し、この世を言祝ぐ大変目出度い能の演目を上ゲ歌(七五調十二文字を基準句とする 平ノリの謡)にしたもので、結婚式で「高砂や この浦舟に 帆を上げて~♪」から始まる歌を聞いたことはないでしょうか?

ああ!!最近はあまり無いかもしれませんね。(神道の結婚では必ずと言っていい程歌われる)

まぁ昔は結婚式の定番ソングでした。

その歌の中で「相生あいおいの松」というものが出て来ますが、雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え絡み合う松の木を夫婦に擬えて夫婦円満の象徴としたようです。

黒松と赤松が1つの根から生え出た松の事も「相生あいおいの松」と言います。

松は永遠や長寿を象徴と言われ、相生の松は特に縁結びや和合、長寿の象徴として尊ばれました。

能の「高砂」では高砂の松と住吉の松とが相生の松として語られ、夫婦和合として謡われます。

住吉の松とは摂津国墨江郡一帯にあった松林の事で、高砂の松とは現在の兵庫県高砂市辺りの松の事でしょう。

この曲は室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師の世阿弥ぜあみが作ったと云われます。

世阿弥は観阿弥かんあみの息子なのですが、この親子が能を大成した人物たちと云われます。

世阿弥は「井筒いづつ」や「高砂」、等々の50曲の作品を作り出したとと云われており、悠久の時を超え今でも能ではその演目が引き継がれ上演されています。

世阿弥と言えば彼が記した能の理論書として知られる「風姿花伝ふうしかでん」が有名なので、もしかするとその理論書と共に名前を覚えた方も多いかもしれませんね。

風姿花伝ふうしかでん」は世阿弥の残した21種の伝書のうち最初の作品と云われています。

内容は観阿弥の教えを基に世阿弥が解釈を加えた著述となっており、能の修行法に始まり修行法や心得、歴史に演技、演出等々が書かれており、能の美学についてまでも語られた物のようです。

12歳の世阿弥が出演した舞台を見た時の将軍・足利義満が感嘆しパトロンとなった様で、それ以降、観阿弥・世阿弥親子を庇護したと云われます。

能というのは中々に面白い世界なのでまた機会があれば語りたいところですね。

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