第330話

秀さん(豊臣秀長)とゆっくりと酒を飲み交わしていると、石田三成が寄って来た。


「大和大納言様(豊臣秀長)、丸目殿、本日はおめでとうございます。両家の繋がりが強固なものとなり、お互いに繁栄されることをお祈りしております」

「ありがとうございます」

「佐吉(石田三成)、ありがとう」


どうやらお祝いの挨拶だったようだ。

しかし、その後


「丸目様、野で茶屋を始められたとか」

「ああ、北野で行われた茶湯が一日で終わったで、用意した食材が大余りしたのでな」


事実を事実のまま伝えたが、お気に召さなかったようだ。


「それは殿下の処置をご批判ですか?」

「はぁ~?何処が批判だ?」

「肥後での事があり中止せざるおえなかったから仕方無い事なのにそれを皮肉くるように、まるで見せつける様に、大茶湯の場所でそのまま茶店を続けられるとは」

「ああ!?あのエテ公は自分の気分で中止しただけだろ?それに丁度良い理由付けがあったからそれを利用したまで、それで周りに迷惑を与えても何の補填もせんとは大した為政者だな!!」

「そ、そのような事はない!!」

「はぁ~?そんな事はあるんだよ!!お前もあの猿に中止は良くないと進言したのではないのか?」

「そ・・・」


まぁ既に調べは着いている。

石田三成だけではなく多くの者がお猿さんに大茶湯を一日で中止するのを取り止める様にと進言している。

藤林の諜報での調べで俺の把握するところである。

それと、別の報告で「手が痛い」などという事もお猿さんが愚痴っている所があったと言う事で、俺の分析では慣れないことをしたから疲れたので、次の日以降に茶を点てるのを嫌って・・・

そんな事で中止にするの?と思うかもしれないが、権力者の気まぐれ行動は前世でもよく経験したことだ。

前世の権力者以上の権力を持つお猿さんなら大々的に告知した上、十日の開催期間を設けて居たにも拘らず適当な理由を付けて中止することなど訳無い事で後う。


「石田治部少輔!目出度き席であるから多くは言わぬが、天下人の補佐をする者は時に苦言を呈し権力を無暗に振りかざさぬ様に諫め、時にはその命を賭けてでも思い止まらせるのが仕事では無いのか?」


石田三成に言っているが、それを聞いている秀さんも苦い顔をしている。

チラリとそれを横目で見ながらも更に言う。


「権力者の暴走なぞ万民の不幸ぞ!!我儘過ぎればその権力なぞ長くは続かぬぞ。特に、天下人は止めれる者は少ない。それを止めれないようでは豊臣の天下も長くないと心得よ!!」


俺がそう言うと、今まで周りで騒いでいた者たちも鎮まり、静寂が訪れる。

その時、石田三成の後に控えて居た左近殿(嶋左近)が人好き笑顔でスッと前に来て言う。


「蔵人殿の言われることは御尤も!!我が殿も今の言葉を聞き今後はそれを教訓に事に当たられるでしょうから、今回は拙者の顔を立ててお納め下され」


そう言って酌をして来る。

まぁそこまで言われるならと言う事で、左近殿の酌を受けて盃の酒を煽る。

そして、周りもの者たちもホッとした顔をしてまた自分達の話に戻って行った。


★~~~~~~★


丸目二位蔵人様、殿下とは刎頸ふんけいの友であることは承知しておるが、それをかさに着て度々殿下に意見される方だ。

伴天連追放の件では激しく言い争われたとも聞き及ぶ。

そして、北野での大茶湯の後、殿下が一日で中止を宣言したことを詰る様に開催場所で茶店を開かれたという。

当て付け以外の何物でもないと思い意見したが・・・


「ああ、北野で行われた茶湯が一日で終わったで、用意した食材が大余りしたのでな」


確かに用意した茶請けやその材料が宙に浮いた状態となる。

文句までは言わぬが三匠の方々も如何すべきか思案されたと聞く。

しかし、態々、当て付けの様に北野で次の日から営業する必要はないと思い言ったがまるで此方の意を汲む気は無いとばかりに言い放たれた。

後で考えれば何故あの時、丸目様に対して更に言い募ったか理解に苦しむ。

いや、恐らくは殿下のご命令を皮肉な行動で返した丸目様のことを私自身が気に食わないと思っていたからなのだろう。


「それは殿下の処置をご批判ですか?」


ついそんな言葉が出てしまった。


「はぁ~?何処が批判だ?」

「肥後での事があり中止せざるおえなかったから仕方無い事なのにそれを皮肉くるように、まるで見せつける様に、大茶湯の場所でそのまま茶店を続けられるとは」


私は丸目様が全面的に悪いという様にこの時行った様な気がする。

恐らくは頭に血が上り言い返しただけだった。


「ああ!?あのエテ公は自分の気分で中止しただけだろ?それに丁度良い理由付けがあったからそれを利用したまで、それで周りに迷惑を与えても何の補填もせんとは大した為政者だな!!」

「そ、そのような事はない!!」


殿下のことを「エテ公」と言われ更に憤慨して冷静になれなかった自分が悔やまれるが、この時は冷静に成れず言い返していた。


「はぁ~?そんな事はあるんだよ!!お前もあの猿に中止は良くないと進言したのではないのか?」

「そ・・・」


確かに続けて頂く様にとお願い申し上げた。

痛い所を突かれ言葉が出て来なかった。

丸目様は呆れる様な視線を此方に向けて言う。


「石田治部少輔!目出度き席であるから多くは言わぬが、天下人の補佐をする者は時に苦言を呈し権力を無暗に振りかざさぬ様に諫め、時にはその命を賭けてでも思い止まらせるのが仕事では無いのか?」


確かに丸目様にとって長男の婚儀で目出度き日。

そのような晴れやかな日に私の言った言葉は相応しくない・・・

酒で思考が鈍っていたのやもしれぬと己の事が恥ずかしくなる思いをしながら続きの言葉を聞くと、至極真っ当な事を言われた。

先程までの酔いが一気に醒める様じゃ。

そして、丸目様は更に言う。


「権力者の暴走なぞ万民の不幸ぞ!!我儘過ぎればその権力なぞ長くは続かぬぞ。特に、天下人は止めれる者は少ない。それを止めれないようでは豊臣の天下も長くないと心得よ!!」


確かにその通りなのやもしれぬ。

丸目様の言葉が心の芯に響き渡った。

ふと見れば、大和大納言様が苦々しい顔をされておられる。

私も恐らくはそんな顔をしているのかもしれぬ。

その時、側に控えて居た左近が間に入る。


「蔵人殿の言われることは御尤も!!我が殿も今の言葉を聞き今後はそれを教訓に事に当たられるでしょうから、今回は拙者の顔を立ててお納め下され」


左近は丸目様に酌を勧めると丸目様は仕方無いとでも言うように苦笑いしながらその酌を受け、一気に煽られた。

丸目様の所を離れる際に左近は言う。


「殿、王佐の才を磨かねばなりませぬな」


その言葉を心に刻む。


〇~~~~~~〇


石田三成の回でした。

今回は難しい言葉が2つ出来て来ました。

刎頸ふんけいの友」と「王佐の才」という言葉です。

知っている方も居るかもしれませんが、とりあえずうんちくとして取り上げます。

刎頸ふんけいの友」とは心を許し合った非常に親密な友人関係の事です。

莫逆の友など言う言葉と類義語となります。

刎頸ふんけいとは首をねられることを言います。

その友の為ならば自分の首が刎ねられても構わない程の結び付きのある友であるとして「刎頸ふんけいの友」というのは、中国の戦国時代にちょうという国で活躍した、藺相如りんしょうじょ廉頗れんぱという人物たちが残した故事から由来する言葉で、廉頗れんぱは戦国四大名将の一人です。

他の四大武将は白起はっき王翦おうせん李牧りぼくです。

藺相如りんしょうじょは趙王・恵文王に仕える宦官の食客から上卿になった人物です。

あることからこの2人がお互いに相手の為ならば首を刎ねられても構わないという誓いを立てあったそうです。

これを刎頸ふんけいの交わりと言います。

そこから、それほどの結び付きのある交友関係を構築した人物たちを「刎頸ふんけいの友」と言いました。

日本でもロッキード事件の裁判でこの言葉が使われたそうで、元総理の田中角栄とある実業家との関係性をこの言葉で表したそうです。

さて、「王佐の才」は王佐の材とも言います。

後漢の司徒しと王允おういんが「一日千里、王佐の才」と謳われたと云いますが、王を補佐する才能という意味で使われます。

曹操の下で数々の献策を行い魏で最も有名な軍師、荀彧じゅんいくも「王佐の才(材)」と称揚された人物です。

「才」と「材」は平和な治道を補佐する人と、武力による天下征圧の補佐する人で使い分けるそうです。

「王佐の才(材)」というのは苦言を呈することもその才に含まれているとされますので、嶋左近の言う「王佐の才」はそう言った部分も含めた意味で書いたつもりですが伝わったでしょうか?

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