第327話
又四郎殿(島津義弘)との話し合いは有意義な物となった。
俺はサツマイモについて熱く語ったよ。
「
「南蛮で手に入れた作物で通常の芋より甘いので
うん、英名で「
甘いという所に反応したので甘党かな?
「それに、これで酒を作ると独特の香りと風味があり、中々の物が出来ると思っております」
「何じゃと!!
うは~食付きが凄いな。
甘党で酒好きとか病気大丈夫か?
羊羹で焼酎飲む前世の友人を思い出したよ。
羊羹か・・・今度芋羊羹を作ってみよう!!
おっと、いかんいかん、思考が逸れたな。
まぁ酒は大きな収入源になるし、酒となれば引く手数多だろう。
実際に前世では鹿児島の焼酎にとんでもない値段が付いていた物もあったしな。
「はい、作れますし、作り方も心得ております」
前世で芋焼酎の工場見学した事あるので作り方は万全だ。
米・麦に麹菌をまぶし繁殖させ麹を作る。
米の焼酎が既に作られているので問題無く作れるだろう。
蒸したサツマイモも加えて醗酵させて・・・まぁ作り方は置いておき、俺も芋焼酎が出来る日が楽しみだ。
芋焼酎で使われるサツマイモといえば
確か九州農業試験場という場所で品種改良して造られたとか何とか聞いた気がする。
まぁ今の段階では無理だが、サツマイモでも十分美味しい芋焼酎が出来るだろう。
そういえば、前世では熊本県も焼酎が多く作られていた。
球磨焼酎はよく飲んだものだ。
よし!少し相談して家の方でも焼酎を作ってみるか?
ああ、人が足りんな。
令和の世も人材不足が叫ばれていたが、俺の所も人材不足が起こりそうだ。
よし!丁度良いので奴隷にされそうな人々を買い取り従業員としてどんどん雇うか!!
~~~~~~
この蔵人の思い付きが後々に「人買い蔵人」などと呼ばれることとなるが、救われた者が多く、「人買い蔵人」などと揶揄った者は助けられた者たちに批判される事となり、最終的に批判的な者も口を噤むこととなる。
ある名将が「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」と言ったと云うが、蔵人は知らず知らずにそれを実践していたこととなる。
~~~~~~
又四郎殿は芋の普及に全面的に協力してくれることとなった。
持って来たサツマイモで焼き芋作って食べさせたのが決めてかも知れない。
食べた瞬間に叫んでたよ。
「美味か!!
うん、この時代でこれだけ甘い食材は中々無いよね~
大学芋とか芋けんぴとか、もっと甘い料理法で食べさせたらどうなるんだ?
前世では焼き芋こそ最強のサツマイモ料理という者も居たのを思い出し俺も焼き芋を堪能した。
家では定番味覚だけどお供の美羽や長門守たちも美味しそうに食べていたよ。
★~~~~~~★
島津家第十七代当主・島津義弘は「サツマイモ」と蔵人が名付けた南蛮渡来の甘い芋の普及に尽力した。
彼は薩摩という名を着けた蔵人に感謝し秘かにその恩義に報いようと誓う事となる。
そして、サツマイモの料理が出ると食事を共した者たちに必ずといっていい程に言う口癖があった。
「蔵人殿に感謝して食え!!」
その事から多くの者が島津義弘が丸目蔵人に感謝をしていると言う事を知る所になる。
また、サツマイモは芋焼酎の原材料という事を知るやいなや、多くの酒好きたちにも乾杯の挨拶として「丸目様に感謝を!!」という言葉が使われるようになる。
そして、女性陣にも焼き芋は愛された。
この時の恩が後々に丸目蔵人の無理な願いを叶えることとなるが、それは又別の話。
★~~~~~~★
又四郎殿の会見が有意義に終わり、相良家にも報告し島津と相良で話し合われることとなった。
後は双方で話して貰えば良いとして、俺は壮大な計画を目論見、その第一歩として琉球に砂糖の一大生産地として唐黍を多く植えて育成に励んで貰っている。
次に今回のサツマイモだ。
これも又四郎殿が乗り気だし問題無く普及するだろう。
そうなると次の計画だ。
サツマイモと共にもう一つの芋の普及を考えている。
既に家の近辺では作っているが、ジャガイモを大量に作りたいと思っている。
これらの芋類が普及すれば飢え死にする者も減ると考えている。
それに、穀物と同じく、芋は保存がきく。
生産地が多少遠くとも輸送出来ると考えての事である。
さて、ジャガイモといえば、北海道だろう。
今は蝦夷と呼ばれており、未開の地扱いではあるが、原住民のアイヌの人々は住んでいるし、
次はこの人物に会いに行き、ジャガイモを作って貰おうかと考えている。
行くのは決定であるが、現在は新造船の建築途中だ。
この船は息子の春(春長)に与える予定としている。
処女航海として嫁のセドナ地元に一度戻るという話なのでそこに便乗しようと考えている。
序に、丁度通り道に会いたい人物たちがいるので顔出しを兼ねて行く予定だ。
次に目指す地は北!!
あ~その前に、羽(羽長:丸目帯刀先生)の許に恵ちゃんが輿入れしてくる予定だ。
息子たちの結婚式が先だな・・・
祝言は京で行われることとなっているので、先ずは京にまた行くこととなっている。
どうやら俺はまだまだ忙しく動き回る必要があるようだ。
〇~~~~~~〇
前話でサツマイモの話をうんちくで語りましたが、前話は琉球貿易の事について語り今話でサツマイモの話を入れれば良かったかな?とか思いつつ、今回は
彼は蝦夷(北海道)を支配していた蠣崎家5代目当主で、信〇の野望などでは可もなく不可も無くといった中途半端なステイタスの武将です。
息子の
さて、親子で名字が違うのを直ぐに気がつかれると思いますが、実は息子の代で蝦夷地を所領として松前藩を立ち上げます。
秀吉が死去すると、徳川家康と誼を通じ臣従し、松前に姓を改めます。
話は蠣崎季広に戻し、彼の父は原住民のアイヌと対立し、抗争を繰り返していたのですが、季広はアイヌの首長と和睦し北海道の南の地域の支配権を確立しました。
そして、アイヌと交易をし独占することで財を得て強化して行きました。
しかし、こんな偉業を成した人物なのにゲームステイタスが微妙なのはアイヌとの和睦が立ち会った
この時期の蠣崎家はまだ安東家の支配下にあった様で、蠣崎家は安東家に対して度々兵役の負担を強いられています。
そんな中でも季広さんは中々の外交政策を行っております。
13人の娘達を安東家含め奥州の諸大名に嫁がせて婚姻政策を行っています。
婚姻政策はよくあることですが、これだけ手広くやった人物は戦国時代でも数える位しか居ません。
そして、子供は20人以上居たそうですから驚きですね。
名実ともに独立大名になったのは豊臣政権下と言われますが、この時はまだまだ安東家の影響を受けていたようです。
安東家の最盛期を築いたと云われる安東
しかし、その後もまだまだ安東家の鎖は着いていた様で、秀吉が奥州仕置を始めると、主家・安東実季(愛季の子)の上洛に蝦夷地代官として
この時はまだ松前ではなく蠣崎の苗字です。
しかし、秀吉に謁見を果たすと、所領を安堵と同時に従五位下・民部大輔に任官されたことで実質的には安東家から独立という形になります。
親父の季広の代も大名と言えば大名でしたが、出羽の大名である安東家の属国の様な立場でしたからこの事は隠居していた季広を大いに喜ばせた様で、「自分はこれまで檜山屋形(安東家)に仕えてきたが、おまえは天下の将軍の臣となった」といったそうです。
秀吉は関白なので将軍ではありませんが、恐らくは言い間違いか勘違いでしょう。
そして、息子に対して息子を伏し拝んだと云われます。
悲願だったんでしょうね。
主人公が今後行く予定の蠣崎さん家は今そんな微妙な時期にあります。
まだ何話か先の話になりますが、予備知識までに。
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