第322話

一日目の北野大茶湯は成功と言えるだろう。

特に丸目蔵人の出した茶屋は盛況で多くの者たちを茶請けで魅了した。

更に、後半には紅茶・烏龍茶の給仕を美女たち(丸目家の女性陣と藤林くノ一衆)が行ったことで評判となり、噂は京の町を駆けた。


「おい!丸目二位様の茶屋知っているか?」

「ん?何ぞあったか?」

「お前知らんのか?」

「知らんからはよ教えろ!!」

「実はな・・・」


京の雀たちは面白可笑しくその噂を流し、「好色剣豪が好色な面白き茶湯を披露した」だとか、「一度味わったら忘れられぬ程の美味な食べ物が食べられる」等々の噂を初日に来た者たちが語る話を酒の肴に話を盛り上げた。


「よし!明日は美女に会いに行こう!!」

「うめぇ~物食えるなら行ってみるか~」

「焼き饅頭をもう一度食いたい!!」


勿論、一部では千宗易を筆頭に茶匠たちの手前の素晴らしさや、関白・豊臣秀吉のこと、金の茶室などの話題も囁かれたが、何時の世も人々が興味を持つのは話題性のある事柄で、特に男は美女に興味を示す者が多く、女は見栄えの良く美味しい食べ物に興味を示す者が多く、話は尾鰭が付き背鰭が付き、終いにはあまを駆ける程に進化し、期待で人々を引き付けた。

そして、京の人々は知っていた。

丸目蔵人という人物は何か面白い事をやってくれるだろうことを。

そう、京の人々は特に興味が無かった北野の地で行われた茶会にお騒がせ男の丸目蔵人が茶店を出したことを知り、興味を持ち、初日の体験を見逃した事を悔しがり、明日は自分もという期待を胸に一夜を明かしたのであった。


しかし、・・・


★~~~~~~★


「殿下!二日目以降は本当に中止で宜しいので?」

「うむ・・・肥後国人の大規模な一揆が発生したという知らせが入って来たのだぞ?」

「それはそうで御座いますが・・・」

「宗易よ、国が荒れておるのに祭り騒ぎは出来ぬのじゃ」

「・・・」

「中止にするより無いし、一日行ったことで権威は保たれた!!」

「・・・」

「中止にした方がその方も都合が良いのではないか?」

「それはどういう意味で御座いますか?」

「聞けば丸目二位の茶屋はその方たちより盛況だったと聞くぞ?」

「それは・・・」

「その方の面目も今日の一日で保たれたと思うが如何じゃ?」

「御意に・・・」

「うむ!」


夕方、秀吉の許に肥後で国人たちによる大規模な一揆が発生したという知らせ届く。

秀吉による九州征伐の後、肥後は五十二名の国人に所領安堵し、佐々成正に肥後を任せ、その国人たちは佐々成政の家臣に組み込まれることとなった。

この肥後での事を含めた九州地方の大名の領土配分を九州国分きゅうしゅうくにわけと呼ばれた。

佐々成正は肥後の領国化を一刻も早く進めようとしたことにより、国人との軋轢が出来、国人たちの不満が爆発することになった。

佐々成正が九州出身ではない事や、性急な検地、元々の家臣と新しく加わった肥後国人の軋轢等々の理由が挙げられるが、九州国分そのものへの肥後国人たちの反発が原因であったとする説もある。

また、秀吉自体が佐々成政に思う所が有り仕組まれたなどとも云われる事もあるが、詳しい原因は不明である。

佐々成政の見地をある国人が拒否したことが発端であるのは間違いない。

この世界線でも肥後国人一揆が起こり、北野大茶湯の初日の夕方に豊臣秀吉の許に伝えられることとなった。

そして、それを理由として北野大茶湯は二日目以降が中止となった。


「宗易め、不満顔をありありと出しておったがー」

「兄上・・・宗易は並々ならぬ気持ちでこの茶宴を取り仕切っておったのですぞ!」

「う・・・じゃが・・・」

「兄上!九州でのことなど十日間が終わって対処しても変わらぬのです。中止にしたい本当の理由は何で御座いますか?」


豊臣秀吉が千宗易に中止を命じた後、側に控えて居た弟の豊臣秀長が兄に本当の理由を詰め寄る様に訪ねた。

口籠った秀吉に諭す様に秀長が言う。


「怒りませぬので本当の理由をお聞かせくだされ」

「手が痛いがね」

「え?声が小そうて聞こえませぬ!」

「手が痛いがねーー!!!」


秀吉が叫び声を上げる様に本当の理由を告げると、弟・秀長は察した様に溜息を吐き、言う。


「はぁ~そりゃ慣れぬ事を繰り返せば手位痛くなりましょう」

「そうじゃが、まだ初日だがね~後九日も無理!いや、一日も無理だがね、もう疲れたがー」

「本当に・・・」

「それはそれとして、丁度良い事に内蔵助(佐々成政)の呆けボケを潰す口実が出来たがね」

「はぁ~まあそうですね・・・それにしても、北野での茶宴の用意に幾らかかったとお思いですか?それを一日で終い?・・・兄上が私の米売りを止めなければ今回の費用位は余裕でしたのに・・・」

「小一郎(豊臣秀長)、九州征伐に参加した大名たちに割高な兵糧を売り付けようなどと悪どい事をすれば恨みを買うがー。流石に儂に従った大名たちに悪いがね」

「・・・」


秀長には秀長なりの理由があり行おうとしたことであるが、兄・秀吉に止められたことで実行できず思う所はあるが、それに従った。

確かに悪どいと自分でも思っていたので秀長は口を噤むこととなり、北野の茶会の件も有耶無耶された。


「さて、官兵衛(黒田孝高)にも声を掛けておるだで、九州の事を話そうがね」


翌朝、理由と共に北野大茶湯の中止が告知された。


〇~~~~~~〇


北野大茶湯の2日目以降の中止は実際に起こった出来事です。

作中と同じ理由で中止されたのではないかと囁かれています。

単なる権力者の気まぐれ説などもありますが、ある学者さんが開催自体の失敗説を唱えている方も居るようです。

実はこの茶宴は京の人々の秀吉に対する意識調査も目的としていたのではないかとも云われています。

大々的に告知したにもかかわらず京の人々の集まりは悪かった様で、企画倒れと判断して早々に店じまいし、丁度良い事に一揆が起こったのでそれを理由的に使ったのではないかと思えます。

茶湯というのはある種の金持ちの道楽か権力者の嗜みといった感じなので、集まり悪かったのでは?とかも思ってしまいます。

さて、肥後国人一揆の方ですが、国人の隈部親永・親泰父子が秀吉の朱印状を盾に検地を拒否して挙兵したことが始まりと云われています。

佐々成政はこの反乱に対して早急に鎮圧の為の軍を放ち隈部親永(親)の籠る城を落としていますが、取り逃がし、隈部親泰(子)の守る城に逃亡を許します。

隈部親永・親泰父子の籠る城を包囲しましたが手古摺ります。

その間に国人軍約35,000が挙兵し泥沼化し、結局は秀吉の命で援軍が送られて鎮圧します。

佐々成正は謝罪目的で大坂に出向きますが、秀吉に面会を拒否されてそのまま幽閉され、切腹を言い渡されて亡くなります。

秀吉は、一揆に参加した国人だけではなく、中立の国人に対しても処罰を加えたようです。

秀吉から所領安堵された国人52人中48人が戦死または処刑されています。

そして、この一連の出来事の中で中々面白いものがあります。

12名の隈部一族が立花家臣団(立花宗茂の家来12名)と真剣勝負を行っております。

この勝負で隈部一族は全員戦死となりましたが、武士名誉を保つようにとの配慮から行われたようですから・・・

でも義とか仁を重んじたと云われる立花宗茂らしいエピソードですね。

推し武将なので恐らくは真剣勝負出来レースが行われたであろう事実は言わないでおきましょう。(言ってるがな!!)

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