第321話

もう直ぐ終わりという頃に丿へち爺(丿貫)が訪ねて来た。

この爺さんは曲直瀬道三先生の紹介で知り合った医師で、現在は引退して悠々自適な隠居生活を楽しんでいる趣味人爺さんだ。

面白い爺さんで、初めて会った時に野良仕事(畑での作業)をしているふりをして俺に向って糞を撒き散らして来た奇行をするまさに糞爺だった。

糞ぶつけた後にこの爺様は笑いながら「いや~すまぬな!湯浴みの用意しておるでゆるりと入られよ」だってさ~計画犯だよね~

お供の者たちカンカンで大変だったけど、昭和のTVでどっきりとか観ていて慣れていた俺はその計画的犯行が面白くて仲良くなった。

流石に糞だと臭うからその点を文句言うと「何かいい案でも在られるか?」と聞いて来るから、定番の落とし穴とか頭上から水とか、何か色々な悪戯を教えた。

誰にそれを実行したかは知らんが、仕掛けられた相手が喜んでいたらしいから結果オーライ?まぁそんな悪戯されて喜ぶドMも居るという事だろう。

そんな悪戯爺のことを俺を含め皆が丿へち爺(丿貫)と呼ぶようになった。


「おう!丿へち爺、やはり来てたか」

「うひょひょひょひょ~勿論じゃ!!」

「まぁ茶狂いの祭りだしな~来ると思ってたよ」

「そうかい、そうかい」


相変らずの飄々とした態度の妖怪爺だが、俺もこの爺様のこと嫌いではない。

帰る前に挨拶がてら顔見世に来たらしい。


「ほう!この焼き饅頭は美味いな!!」

「おう!皆にも好評だ」

「どれ、土産に十個ほどくれ!!」

「わかった~」


丿へち爺も気に入った様で、自分で用意した点茶を飲みつつパクついている。

そう言えば、一般の部はどうなったか気になって聞いてみた。


「関白様が来られたぞ」

「へ~それで、何か面白い事あった?」

「面白いかは解らんが、儂の茶を大層気に入られて諸役免除の特権を賜った」

「ほ~良かったな」

「良いのか?」

「まぁもらえる物は貰っとけよ。それで?何出したんだ?」

「知りたいか?」

「いや・・・どうせろくな事してないだろ?」

「何を言う!!関白様は喜んでおったぞ!!」


いや~この悪戯爺の事だ、絶対に何かやっているはず。

そう思って聞きたくはないが聞いてしまった。

丿へち爺は俺に耳打ちをしてニヤリと笑う。


「お主が何時の事かうまみ成分の話をしたであろう?だから、美味しいかもと思って、昆布出汁で茶を点てて一杯目は出してみた」


やはりやりやがった・・・

爺は悪びれも無く、言い放つ。


「美味いと喜んでおったぞ?」

「まぁ美味いのなら良いのか?」


いや、いや、多分、お猿さんに知れたら物理的に首が飛ぶ案件だ。

爺は何でそんな事をしたんだろうか?

疑問に思って聞いてみると。


「何、わびださびだなど言い茶道具に入れ揚げる者も増えたでな、時の天下人が味が解るのか試してみたのよ」

「まぁ・・・良い出汁だったんで美味かったんだろうな・・・」

「そう!流石に出汁が良くて揶揄うつもりが喜ばれるとは思わなんだじゃ、うひょひょひょひょひょ~」

「とんだ悪戯爺だ・・・まぁこの事は黙っておく・・・」

「おう!儂が墓に入るまで・・・いや、関白様が墓で昼寝されるまで秘密にしておいておくれ。流石に儂も家族に迷惑は掛けとう無いからの~」

「ならするなよ!!」

「まぁ喜ばれたし、ご愛敬じゃ!!」


爺は話すだけ話して回転焼き10個を土産に帰って行った。

命掛けてまですることか?と思うが、爺の茶人としての矜持でそうしたのだろうし、悪戯で爺さんの首が飛ぶのも嫌なので、俺もお口にチャックしておくこととした。


★~~~~~~★


後日、千宗易(千利休)が丿貫へちかんの元を訪ねた際に丸目蔵人と同じように内緒話として豊臣秀吉に敢行した悪戯を語って聞かせた。


丿貫へちかん殿!!誠にそんな事をされたのですか?」

「うひょひょひょひょ~ああ、関白様は喜ばれて諸役免除までくれたぞ?」

「いや、それは・・・」

「おや?今日の茶はどうかや?」

「まさか?・・・」

「何方じゃと思う?」


千宗易はこの日の茶を飲んだ後にその語りを聞き今日の茶も昆布出汁の効いたものであったかどうかを考えてしまったが、既に飲み終わった器は回収されており、確認出来なかった。


「美味しく頂きました・・・」

「そうかそうか!!うひょひょひょひょひょ~」

「時に、この話は何方か他の方にされましたか?」

「おう!一人の方に話したが、この話をするのはお主で二人目じゃ」

「それは・・・」


人の口には戸板を建てられぬというが、二人以上に話してしまえば誰がばらしたか解らなくなる為に約束が守られなくなる事は多い。


「何故・・・私に話されたので?」

「何、お主とその御仁を信じているからよ。もう一人の御仁は決して秘を漏らさぬだろうし、ばれたらお主が漏らしたと直ぐに判るだろうが、ばらしても恨まぬぞ?」


「誰に?」聞こうと思うたが丿貫へちかん殿が言う事は無いだろうと思い口を噤んだ。

そして、友に誓った。


「私も漏らすことなく墓まで抱えて行きますればご安心召され」

「ああ、信じちょるよ」


天下人を試す様なその行動、己の信念で行われたであろうことは理解できるが、自分が同じことが出来るかと宗易は考えたが、その場では答えは出ず、いや、恐らくは難しいであろうと判断し考えるのを止めた。


「茶人ではなく傾奇者ですな・・・」

「うひょひょひょひょ~何方も己が信念を貫き通すところは似ておる同類よ」


その言葉が宗易の心に残る事となる。

もしもの時、己が信念を貫き通すことが出来るか自問自答する事となるが今はまだ答えが出なかったという。


〇~~~~~~〇


丿貫へちかんと蔵人・丿貫へちかんと宗易の話でした。

千宗易(千利休)は秀吉との関係に不和が生じ始め、最期は切腹を命じられたと云われますが、真相については諸説あり、定まっていないと云われます。

中には秀吉と宗易の信念のぶつかり合いで起こった出来事という方も居ます。

中々に面白い説だと思います。

為政者の秀吉と茶湯という所謂芸術分野の大成者との意見の食い違い説でよく語られるのが、宗易が秀吉に頭を下げれば許された等と言う説すらあります。

実際に宗易は秀吉の命に従い蟄居し切腹までしていますが、本人が逆らった痕跡はなく粛々と従ったようです。

命乞いしたりして自分の命を長らえるより自分の大成した茶湯の格を落とさない為に行動したとも捉えられますが、知るのは本人のみで、切腹の前日に作ったという遺偈ゆいげが残っています。

遺偈ゆいげというのは高僧などが自分の死ぬ前に弟子たち等に宛てた教訓などを書き残したもので、後世に自分の考えを伝え残す物としても書かれました。


人生七十じんせいななじゅう  力囲希咄りきいきとつ 吾這寶剣わがこのほうけん 祖佛共殺そぶつともにころす 提る我得具足の一太刀ひっさぐるわがえぐそくひとつたち 今此時ぞ天にいまこのときぞてんになげうつ


というものを残しています。

この文章は三国志の蜀の禅僧の韓という方が同じ様な句を詠んでいます。

千利休の高い教養が伺えますね~

同じ「利休」が詠んだ自分のその時の心境を現したものを利用するんですからオシャレ?

さて、意味としては「70歳まで生きたけど、色々あったな~もうこれで終わりか」的な内容となりますが、「祖佛共殺」というのは禅問答で古くからある教えの一つで、意味としては「先祖も仏も共に殺す」という中々にショッキングな文言ですが、「仏に逢えば仏を殺し、先祖に逢えば先祖を殺し、父母に逢えば父母を殺し、親眷に逢えば親眷を殺して、始めて解脱を得ん、物と拘かかわらず、透脱すること自在ならん」という漢詩を省略した文言で、信念と覚悟を表す表現なのですが、この一文が千利休(宗易)の覚悟の様にも私は感じますね。

そんな信念と覚悟を持って茶湯に取り組んで来たけど、もうこれで終わりか、残念だな~て感じに私は解釈してしまいましたが、皆様は如何でしょうか?

色々と謎多き突然の失脚なので千利休の死というのはミステリー要素満載で興味深いですね。

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