第319話

朝早くから大盛況で、茶請けが昼前の早い時間にはほぼ無くなった。

仕方無いので完売後は茶のみとする?

明日以降のことも考えると何か考えておかねばいかんなと思い、思案しているが、今の所はいい案が思い浮かばない。

そうそう、石田三成以降も知り合いなどがチラホラとやって来た。

隆さん(小早川隆景)と毛利家御一行や、寧々さんが娘で羽(丸目羽長)の許嫁の恵姫とお忍びでやって来た。

豊臣家の都合となるが、来年には祝言を挙げる事となる。

お猿さんが溺愛していて手放さなかったらしい。

理由も俺が国内に居ない事を挙げていたというが、俺が帰国したことで渋々嫁入りを認めたとかいう。

さて、他にも九州より弥七(立花宗茂)や島津家の御一行等々もやって来た。

そんな来客の中、武藤喜兵衛、今は真田昌幸と名乗る人物が訪ねて来た。

考えてみれば彼とは手紙のやり取りなどして親交は未だあるが、会う事といえば久しぶりだった。

久しぶりも久しぶりだが、彼が名を変えて「真田昌幸」を名乗ったことを手紙で知らされた時には大変驚いた。


「真田昌幸ですが長さんお久しぶりです。」

「おお!喜兵衛か!!久しいな!!」


彼の後には息子かな?面差しの似た二人の連れが居た。

思った通り、息子の源三郎(真田信之)と源次郎(真田信繁)であった。


「丸目様!是非とも兵法をご享受願いたいと思っております!!」


そう言って来たのは弟の源次郎で、何でも人質として大坂に在住したという。

と言う事で、俺が畿内にいる時は教え、俺が不在の時などはうちの子供たちや藤林の高弟が教える事で合意した。

あの真田幸村(信繁)が弟子になるという胸熱案件で安請け合いしてしまったのは否めない。

兄の方は通常は地元にいるという事で俺が出張するのは難しいという事で少し悔しそうにしていた。

それを見たいた喜兵衛が言う。


「源三郎には良い嫁をと思っておりますので、何方か良い方あれば、ご紹介頂きたい」

「え?」

「いや、もし何方か伝手があればと思ったまでで御座るよ」


あれ?真田さんとこのご長男って確か鍋ちゃん、いや平八郎(本多忠勝)の所の・・・米だか麦だか言う娘さん嫁さんになるんじゃなかったっけ?

まぁ紹介だし、平八郎に聞いてみればいいか~

さて、彼らが来る少し前に茶請けが切れた。

仕方無いので切れる少し前に思い付き、道具を取りに行って貰っていた物が少し前に届いた。

手持ちの物で大量生産できそうな物として俺が考え付いたのは、回転焼きだ。

餡子は予め大量に準備していたし、スコーンなどの材料があるので少しだけ俺の知る回転焼きと違う感じになるだろうが、似た様な感じだろう。

スコーン風生地の回転焼きではあるが、うん!美味い!!


「これは実に良い!!」

「この焼き饅頭は・・・美味し!!」

「何個でも行けます!!」


真田家も大絶賛でしたよ!!

いや、周りの客も美味しそうに食べているので、好評のようだ。

明日以降のラインナップに加えることが確定したよ。


★~~~~~~★


真田家親子は満足してその場を去った後、話し合う。


「如何であった?」


親父がそう聞けば、嫡男の源三郎が先ず答えた。


「覇気があり、一見隙の無き佇まいであられるのに気さくで実に好感の持てる御仁でした」


それを聞いた後、促す様に次男の源次郎を見やると、待ってましたとばかりに語る。


「兄者の言われる通り隙など微塵も無く感服しました!そして、周りの者に気配りも出来るお方のようですな!あの回転焼き?でしたかな、あの焼き饅頭も茶請けが切れたからと即座に考案され用意される機微ともてなしの心・・・実に素晴らしき哉!!そういう懐深き方だからこそ多くの者に慕われるのも解ります!!しかし、父上の策が外されましたな」


最後の言葉に真田昌幸は苦笑いをしながら言う。


「そうよな・・・丸目家と縁を得たいと思い、長さんの娘御を紹介頂こうかと思って言うたが・・・あの場では・・・」

「美しき方でしたね・・・」

「然り!」


里子の姿を思う浮かべ三人共が真田家に嫁に来ることを夢想する。

しかし、娘愛の強い蔵人が自分の娘も年頃で結婚適齢期であることは思い当たることは無かった。

いや、思い当たったとしても蔵人が里子を自分から進んで嫁に出す事など皆無であることに彼らが気付くことは無かった。

世の人々に「表裏比興の者」と呼ばれ武勇優れ謀将として後の世でも語られることとなる真田正幸でも丸目蔵人には策が通じなかったとこの日の事を笑い話として酒の席で余人に彼が語ったことで、丸目蔵人は策士であるという噂が独り歩きする事となる。

そして、後日、丸目蔵人は徳川家康・本多忠勝宛に書状を認めた。

内容は真田家が長男の嫁を探しており、自分よりも近郊に居る徳川家の方が詳しいのではないか?良ければ紹介してやって欲しいというものであったという。

徳川家康だけではなく家臣の本多忠勝宛にも送ったことで、本多忠勝の娘の事を匂わせたのではないかと主従は考え前向きに検討する結果となる。

打診が縁で、真田昌幸の嫡男・源三郎(真田信之)と本多忠勝の娘・於子亥おねいこと稲姫、後の良妻・小松殿がこの世界線でも夫婦となる。

両家から大変感謝されることとなるが、それは又別の話。

この打診により数年前まで真田・徳川が争っていた筈なのに交流が出来る。

その事で、真田家が大名として認められる後押しを徳川家が行う結果となり、真田家は蔵人と徳川家に大いに感謝する事となった。


〇~~~~~~〇


真田家登場!!

以前、真田昌幸は武藤喜兵衛の名で登場しておりましたので再登場となります。

息子2人は新登場!!

さて、この時期の真田家は中々に大変な時期で、北条・上杉・徳川といった大大名に囲まれた地域に居があり、それぞれに阿ることで生き延びていました。

特に織田家に臣従して3カ月後に本能寺の変が起こり旧武田の者たちは特にざわついた様で、信長から旧武田領の統治を任されていた織田家臣らは相次いで美濃方面に逃走したと云われています。

旧武田領を巡り、徳川家康・上杉景勝・北条氏直らが相争う様に争奪戦を行ったと云われ、これを「天正壬午の乱」と呼ばれる程の大規模な戦乱となります。

真田昌幸はこれをチャンスと領土を広げます。

旧武田家臣を上手く取り込み総大将的な立場を得て躍進します。

そして、北条・上杉・徳川の三勢力にその場その場で加勢離反をして生き残っていきます。

そんな中、次男の真田信繁は人質として渡り歩く事となります。

滝川一益→上杉景勝→豊臣秀吉と渡り歩いたようです。

特に上杉景勝の所からは勝手に出奔して豊臣秀吉の許に行ったようで上杉家を激怒させます。

真田信繁は秀吉のお気に入りの一人だったようで、人質ではありますが秀吉の有力家臣である大谷刑部(大谷吉継)の娘を嫁に貰っています。

その娘さんは実名は不詳で竹林院という法名が残っておりますが、真田信繁の正妻として名が残っています。

真田家は後ほど起こる小田原征伐の引き金になる重要な家でもあります。

そこら辺も書く予定としており、ここで登場させた次第でもあります。

次回はこの北野大茶湯を書くなら是非とも登場させたかった人物の一人を登場させます!!

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