第317話

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◇~~~~~~◇


全体の統括をしてくれている莉里より孫四郎(前田利長)が来ていると聞き、挨拶に行けば仲間たちと楽しそうに話しながら茶を飲んでいた。

しかし、その中に一人、紅茶に稲荷寿司という尖ったチョイスをしている者がいてつい声を掛けてしまった。

此方をジッと見詰め固まっている。

面識無いのに行き成り声を掛けてしまって戸惑われてしまったか?


「これは蔵人殿!!中々に面白き茶湯で御座るな!!」

「孫四郎が来ていると聞き挨拶に来たが、楽しんでおるか?」


又左さん(前田利家)と仲が良いのでその息子の彼とも面識があるし、寧々さん経由で又左さんの奥さんの松さんもうちの奥さん連中は仲が良く、京や堺何かで偶に会っているというからある意味家族ぐるみの付き合いだ。

息子たち同士もそう言う訳で仲が良いと思うけど、孫四郎はうちの利(丸目利長)と仲が良いらしい。

まぁ同じ利長だしね~


「はい!このぼた餅が点茶に合いますな~」

「濃ゆい茶には特に甘い菓子は合いそうだな」

「然り然り!!しかし、他の茶請けも気になります」

「ほ~では、取って置きを出してやろう!俺のおごりだ」


そう言って手配したのは限定の栗の渋皮煮である。

50食のみ用意する予定だったけど、100食分位の用意となった。

うちの料理人が新しいレシピとして渡したら張り切ってしまい倍の量を仕込んだという訳だ。

さて、孫四郎以外の彼の連れにも勧めてみた。


「美味し!!」「栗を皮ごととは妖面な!!・・・うま!!」「ふん!色味が悪いがまぁ勧められたののであれば食そう・・・!!」


連れの者たちの感想から美味い事が解るが、その内の一人、先程、つい声を掛けてしまった者は食べずに色々な角度から栗の渋皮煮を眺めてから匂いを嗅ぎ、それからやっと食べるのかと思えば、半分に割り更に鑑賞を始める。


「蔵人殿!これは実に美味いですな~父も母も喜びそうなお味です」

「あ~又左さんと松さんなら既に来て布顚プリンとこの栗の渋皮煮を堪能されてから他を回られておると思うぞ」

「父母はもう来られていたのですね・・・」

「ああ、うちの奥さんが松さんに布顚プリンが出ると教えたからな~朝一で来られたぞ」


俺は孫四郎に彼の親のデート報告をした。

そして、気になったので連れの者の紹介をお願いした。


「古田織部と申す」


順に皆の事を紹介し最後に紹介されたのが古田織部という気になっていた人物で名前だった。

古田といえばキャッチャーだよね~とか思ってしまうのは、前世で昭和~令和に生きた俺だからだろうけど、宗さんが「面白い御仁が居る」と言って彼の名を挙げていた。

ふ~ん、確かに中々に面白い人物の様だ。


「古田殿は栗の渋皮煮を食さず眺められておられましたが、何か気になる点でも?」

「いえ・・・」


彼は何だか恥ずかしそうにもごもごと小さな声で話したので聞き取れなかった。

その様子を見ていた皆が呆れた様子で「またか」と言っているのでよくある事なのかもしれない。

仲間から「はっきり言え!!」と言われて渋顔で俺に言う。


「丸目様の下さったこの栗の茶請けが実に良い形をしておりまして、見入っておりました」

「形ですか!?」


うん!実に面白い人物の様だ。

彼に詳しく聞けば、形も含め色合いも渋くて良い等と言う。

それに栗の渋皮煮を情熱的に語ったかと思えば、稲荷寿司の事についても語り出す。

更に、龍骨陶器についても


「この器の白き貴賓のある佇まいが実に良いですな!!それから、この紅茶ですか?渋いですが、甘い物に合いそうですし、色味がこの器の白をより引き出しておるし、お茶の赤みも夕日の様で綺麗で」

「おい!佐介さすけ(古田重然)、丸目様が驚かれておるぞ」


仲間より窘められて一瞬固まって顔を赤くしてシュンとなる古田殿。

うん、確かにその饒舌振りにも驚いた。

そして、今、国内で不人気の龍骨陶器への賛辞にも驚いた。


「あ・・・申し訳御座らぬ・・・」

「いや、古田殿は中々に趣味人の様ですな。表現も聞いていて面白いし、何より、龍骨陶器の器を褒めて頂いたのは嬉しい限りですよ」


俺は率直に自分の気持ちを語り、ニッコリと微笑んだ。

その後は、「紅茶が渋い」という言葉が気になったので少し飲ませて貰い思う。

うん!紅茶の入れ方が普及していないので美味しい紅茶を入れるのは現段階で難しいというのが彼の茶を飲んで理解した。

という訳で、紅茶を美味しく入れて貰うこととした。


「里子~実演頼む!!」


そう、我が娘の里子は紅茶を入れるのが得意だ。

一緒に欧州に行った際に向こうで学び、美味しい紅茶の入れ方を完璧に覚えた彼女のお茶は実に味わい深いのだ。

流石は我が愛娘である。

親馬鹿めだと?・・・いや、事実だし~出来る娘を褒めて何が悪い?

ポットとカップにお湯を注ぎ温めて、先ずポットのお湯を捨てる。

茶葉をポットに適量入れ、沸騰したお湯を選びポットに注ぎ込む。

十分に蒸らしてポットの温度が少し落ち着い来るのを待つ。

待つ間にカップのお湯を捨て、カップの水を拭く。

里子曰、蒸らし時間が重要との事であるが時計の無いこの時代では勘で見極める様だが、体感的に3分位かな?

カップに注いだ紅茶からは良い香りが立ち上がる。

里子は満足そうに人数分のお茶をカップに注ぎ、「どうぞ」と言って手渡していく。

おい!渡される瞬間に頬を染めるなよ野郎ども!!

娘が手ずから入れた茶を受け取る際、数人が頬を赤くして「忝い」と言いながら受け取っていたが、おい!色目を使うなよ?娘によこしまな視線を送ったら死兆星が見えると思え!!

殺気を飛ばすとビクリとしていた。

里子からは「大人げないぞ」と言う様な視線を頂いたので殺気を消して茶を飲むこととした。

さて、俺も一口。

美味い!!


「何と!!」

「如何かな?」

「はい、美味しゅうございます」


古田殿に感想を聞くと驚きながら美味しいと言う。

その様子を見ていた周りの客も興味を持ち、頼んで来るので里子・莉里・美羽に数名のお付きの者たちは紅茶を入れてあげることに追われたよ。

俺?俺の仕事は客をもてなすことだからね~

彼らを送り出してまた他の客のお相手に天手古舞だよ!!


★~~~~~~★


「何と!!」

「如何かな?」

「はい、美味しゅうございます」


丸目様は自信満々に娘御の居れる紅茶の感想を聞いて来る。

香りよし、渋さや苦みは儂の入れた物と同様にあるにはあるが、甘味もあり、後口が爽やかだ。

心地良い飲み応えは点茶などと同じだ。

点茶と同じく奥が深い事をまざまざと見せつけられた。

入れ方一つでここまで変わるのにも驚いた。


「ここに檸檬れもんを入らたり砂糖、はちみつ、ジャム何か入れても美味しいですね」

「ほう!味に変化を付けられると?」

「はい、私はジャムがお薦めですね」


里子殿は「じゃむ」と言うがそれは何だろうか?

私の顔が疑問を醸し出していたのであろう。


「ジャムは果物などを煮詰めて作る物です」

「さ、左様か」


実に機微もある美しい娘御である。

他の者たちも彼女の言葉を聞いて色々と質問していた。

他にも「れもん」についても教えて貰った。

南蛮より苗木を数年前に持って来て植えており、まだ多くは取れていない柑橘類だという。

何と博識な娘御であろうか。

そして、丸目様は言われる。


「世界は広いですからな~まだ知られていない未知の物は多く楽しみが付きませぬな~」

「誠に・・・某はここ、この場に来て己の視野の狭さを知り申した」


丸目様程の方でもまだまだ知らない物が在るのかと少し驚いた。

殿下(豊臣秀吉)の不興を買い、追放され、今ここには居ない右近(高山右近)が南蛮の坊主たちも丸目様の博識を褒め、「天使の英知を知る者」と呼ぶそうだ。

噂では「天狗の知恵」を授けられた、「神仏の語らい」で先の未来の物すら予見する、等と言われている。

丸目様は多くの者から博識な人物として知られ、朝廷で初めて官位官職を授ける際に「蔵人」ではなく、知識に関わる物を渡すかどうか審議される程であったと聞く。

成程、この父にしてこの娘ありか・・・

納得していると他の者たちがそれぞれに聞きたいことを訪ねておる。

儂も負けまいと丸目様にあれこれと聞いてしまった。

そして、龍骨陶器も購入を希望し、紅茶も手に入れて欲しいとお願いしたが、快く応じてくださった。

後日、お会い頂く約束も取付、満足し他の客に場を譲る為、その場を後にした。


「丸目様、中々に興味深き御仁だあった」

「儂はどうにも苦手じゃな」


そう話すのは与一郎(細川忠興)と忠三郎(蒲生氏郷)であった。

与一郎は儂と同じように好感を持ったようだが・・・

監物けんもつ(芝山宗綱)と長兵衛(牧村利貞)は難しい顔をしておる。

監物は堅物だから仕方ないが、長兵衛は何か思う所があるのだろうか?

何にしても、実に有意義な時間であった。


〇~~~~~~〇


古田織部の話はここまでで、次の人物に移ります。

さて、この時期、史実では高山右近は伴天連追放令と共に秀吉の不興を買い追放されています。

追放後は、小西行長に庇護されて小豆島に身を寄せていたと云われます。

九州征伐の際には秀吉に従軍しているのですが、何故追放?と思うのですが、伴天連追放令の話を受けて秀吉に意見し諫めようとしたなどと言われています。

それで不興を買ったのでしょう。

可成り熱心なキリスト教徒となっていたらしいので不興買う程の意見を述べたんでしょうね。

彼はその後、前田利家に預けられて加賀に赴いたのですが、当初は囚人のような扱いを受けていたそうですが、可成り優秀だった様で、数年後には正式に前田家に仕える身分となります。

待遇の変化は秀吉の意向ではないかと言われており、秀吉は右近を豊臣政権に復帰させるを考えていたようですが、棄教を拒否した為に秀吉は復帰させることを断念したようです。

前田家は高山右近の影響でキリスト教に入信する者が増えたと云われています。

さて、利家の嫡男・前田利長は高山右近の才能を買った人物ですが、同じ利休門下で七哲に名を連ねる程ですから仲が良かったのでしょうが、政治・軍事など多岐に渡って相談役として重用したようです。

しかし、江戸幕府になるとキリシタン国外追放令というキリスト教徒の完全追放が施行されます。

前田利長や多くの者が高山右近に棄教するように言いますが、彼の意志は固く、日本を去りマニラに行きます。

残念ながら渡航などの苦労で病気となりマニラ到着からわずか40日で病没します。

63歳だったそうです。

さて、実は利休七哲の中には他にもキリスト教徒が居ます。

牧村利貞がキリシタンで右近と一緒に蒲生氏郷を説得し、入信させるという事を行っています。

朝鮮出兵で戦地の朝鮮で亡くなっていますが、キリスト教への傾倒振りは凄まじく、全家臣キリシタン化を公言していた人物です。

朝鮮出兵で亡くならず江戸幕府の出したキリシタン国外追放令の時代まで生きていたとしたら、恐らくは高山右近と同じ運命を辿ったのかもしれない人物です。

芝山宗綱は千利休の書簡の内、彼宛が一番多くあったとされる人物で、利休最期の書簡も彼宛であったそうです。

千利休から最も目を掛けられた人物などとも云われます。

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