第315話
熾烈な言い争いの結果、
しょっぱい物
となった。
2品の予定が3品となったのは、千代がごねにごねて面倒臭いので入れてやったら、又しても紛糾した。
稲荷寿司追加するなら「○○も追加しても」とか言い始めるので苦しい言い訳となるが、
そして、同じく甘い物の方も紛糾した。
甘い物
おはぎ・
という結果となった。
そして、貞清(神屋宗湛)のお願い事は事前準備考えると難しいので却下され、代りに限定で栗の渋皮煮を用意することとした。
これは他の物に比べて本当に少量で、隠れメニュー的に取り扱う事とした。
全てそれぞれに200食分用意したのに対し栗の渋皮煮は50食分なので少なめと言ってもそこそこの量となった。
さて、俺たちも準備を終えているが、設営が気になるので下見に赴いた。
場所は確保済み。
30個の長椅子の様な台が無造作に並べられている。
そして、少し離れた場所に掘ったで胡屋が建ち中には数個の竈が用意されていて湯を沸かせるように整えられて居た。
うん!要望通りである。
何か団子とか出したら茶店感あるな~とか思っていたけど、イメージ通りで実に良い。
俺のスペースは他の参加者たち比べ異質感満載かも知れないが、俺の考えの下に組まれた設営だし文句などない。
「おや、丸目様では御座いませぬか?」
「あ~千殿」
俺に声を掛けて来たのは茶聖・千宗易だった。
宗さん(津田宗及)と天さん(今井宗久)の幼馴染で昔から面識あるんだけど、何故か向こうから敬遠されている節があると思っていたのに、今回は向こうから声を掛けて来た。
田中与四郎として紹介されたので法名を名のなれる様になって千宗易という名を聞いて何となく納得してしまった。
あの千利休と知り合いだったとは驚きだったよ。
どおりで千と言う苗字の商人を見ないと思ったら改名であった。
でも、知り合いと言うだけで、仲は余り宜しくない・・・
「おや、珍しい仕様の・・・」
「はい、西洋風にするか迷いましたが、日ノ本風の場にて西洋風の茶道具で茶を啜るも一興かと考えました」
「ほう!それはそれは・・・」
「茶の湯の世界では箸にも棒にも掛からない某のような者がこのように場を誂えて頂き、数奇者の皆様には申し訳なき事です」
「何の何の、丸目様は午後茶の創始者と謳われて御座います。そのような方なればこれ位ご用意するのも当然のこと。明日からの貴方の茶の湯、楽しみにしております」
「はい、拙いながらも皆様に楽しんで頂きたいと考えております」
「左様ですか」
「是非とも一期一会の出会いにて良き物に巡り合って頂ければと色々と趣向を凝らせ用意しましたので、お時間御座いましたらお寄りくだされ」
「はい、是非とも寄らせて頂きます」
お!何か千さんが来てくれるってよ!!
意外と良い人かも?いや、良い人なんだろうね~宗さん・天さんの幼馴染だし、今まで何となく疎遠だったのは、多分、俺の何か考え過ぎて近寄れなかったのが原因なのかもしれないね。
千さんの好きな言葉である「一期一会」を織り交ぜて
★~~~~~~★
丸目二位様が設営の様子見に来られたと聞き、急ぎ丸目様監修の
「おや、丸目様では御座いませぬか?」
「あ~千殿」
声を掛けるとニコリと微笑まれ私の名を呼ばれて会釈された。
私も会釈して返し、少し宣戦布告を試みようと話をすることとした。
「おや、珍しい仕様の・・・」
毛嫌いしておったのでこの場に今まで近寄ることも無かったが、野点の場というより、まるで峠の茶屋のような仕様だ。
「はい、西洋風にするか迷いましたが、日ノ本風の場にて西洋風の茶道具で茶を啜るも一興かと考えました」
西洋風とは高山様(高山右近)が最近好まれて設えたという南蛮風の椅子に座り、机に茶を載せて味わう仕様の物であろうと推察される。
それをあえて外し、峠の茶屋を彷彿させるような作りで茶を味合わせようとは、中々に考えられていると感心した。
西洋風の茶道具というのは恐らく、龍骨陶器の器と急須であろう。
確かに珍妙ではあるが、面白き仕儀だと私も思った。
「ほう!それはそれは・・・」
つい感心してしまい、我に返ると言葉が出なかった。
しかし、丸目様は気にするでもなく話をされる。
「茶の湯の世界では箸にも棒にも掛からない某のような者がこのように場を誂えて頂き、数奇者の皆様には申し訳なき事です」
「何の何の、丸目様は午後茶の創始者と謳われて御座います。そのような方なればこれ位ご用意するのも当然のこと。明日からの貴方の茶の湯、楽しみにしております」
謙遜もすぎれば何とやらとは言うが、本当に自分の事を解っていない風に話されるので嫌味に感じないのが又癪に障る。
しかし、そんな感情は奥底に仕舞い、話に合わせ言葉を放つ。
あえて持ち上げてみたが照れる一方で特に威張るでもなく普通に流された。
「はい、拙いながらも皆様に楽しんで頂きたいと考えております」
「左様ですか」
心からそう思っていたのであろう。
私はまた言葉を失う。
そして、次に放たれた言葉に私は驚いたが、何とか己が心を隠した。
「是非とも一期一会の出会いにて良き物に巡り合って頂ければと色々と趣向を凝らせ用意しましたので、お時間御座いましたらお寄りくだされ」
「はい、是非とも寄らせて頂きます」
面白い!!
「一期一会」という私の座右の銘を用いて私を煽って来るとは・・・
やはり侮れぬ。
話を終えその場を立ち去るが、最後の言葉が心に掛かる。
私の影響で龍骨陶器は売れていないのを知って行ように「良き物」と言うたのであろう。
それに、「色々と趣向を凝らせ用意」と何を用意したのか気になる。
「お時間御座いましたらお寄りくだされ」と明日からは一番忙しいであろう私を誘う。
これは間違いなく挑発だ!!
「丸目様、貴方の午後茶を見定めさせて頂きますよ」
私は独り言を呟きつつ残りの確認作業を行うべく足を進めた。
〇~~~~~~〇
主人公と千宗易の温度差が・・・
さて、この北野大茶湯の当時は千宗易は利休と名を所持していました。
作中では宗易の方を用いていますが、実際は両方を使っていたようです。
1585年に秀吉が正親町天皇への禁中献茶に奉仕を行ったのですが、秀吉の茶の指導的な立場として千宗易は秀吉のお供をすることとなり、天皇の謁見するに格が足りないと言う事で、宮中参内するため居士号「利休」を勅賜されました。
それからは両方の名を持ち使い分けていたようです。
序情報としてですが、この同じ年に黄金の茶室を設計しています。
1587年の行われたと云われる北野大茶湯は主管として差配したようで、この時は秀吉の絶大な支持の基に動いていたようです。
大友宗麟が大坂城を訪れた際に豊臣秀長から「公儀のことは私に、内々のことは宗易に」と言ったという逸話が残っていますが、それほどまでに豊臣政権の外交の要でもあったようです。
1591年、この茶会が行われてから約3年程で秀吉との関係が変わります。
突如秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられる事となった千宗易(利休)ですが、大徳寺の山門修復を行い、門の上に閣を重ねて楼門を造り、金毛閣を寄進したと伝えられています。
その時にその落成にあたって山門供養の為に利休が春屋和尚(大徳寺の住持)に依頼し、その求めに応じて和尚は「千門萬戶一時開」の一偈を書いたと云われます。
その
秀吉はこれも影響力の大きさから来るものと判断し、聚楽屋敷内で切腹を命じたそうです。
ここより先のうんちくは又別の機会に語りたいのでここまでとし、北野大茶湯の時と言うのは千宗易(利休)にとっては全盛期の真っただ中と言う事となります。
さて、そんな利休(宗易)にどんな策で主人公は立ち向うのか!!
(※主人公は勝負とか考えていません)
次回はいよいよ北野大茶湯の当日です!!
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