第314話
九州平定を終えたお猿さん(豊臣秀吉)とその一行は京に戻っていたった。
そして、神無月(10月)に入ると
茶の湯狂いの狂乱の宴で無い事を切に願うが、京の朝廷や民衆に自己の権威を示す為にお猿さんが企画したイベントだが、諸大名・公家や京・大坂・堺の茶人に10月上旬に茶会を開く旨の朱印状を出したと云われるこの企画にまさか俺がもてなす側の亭主として参加するとは思わなかった。
浪人でこの立場を得たのは俺のみで、他の亭主は凄い面子である。
文月(7月)末に一般に告知して多くの茶狂いどもを熱狂させた。
この企画の面白い所は、お猿さんが認めた者にはスペースを与えそこで皆をもてなす。
茶匠たちは当然として、大名や公家などの参加者もいる。
そして、それ以外の茶狂いたちにもチャンスを与えている所がポイントだろう。
どの様にチャンスがあるかというと、身分の貴賤を問わず茶狂いなら誰でも
釜1つ、釣瓶1つ、呑物1つ、等の茶道具を自ら用意することとなっているが、無い者も替わりになる物でもいいので持参して参加OKとしており、農民すらも参加することが許された茶狂いの祭典の名に恥じない催し事だ。
座敷は北野の森の松原に畳2畳分を設置し、服装・履物・席次・等は一切問わないものとしているが、有名どころは皆が群がることを想定して、お猿さんがスペースを与え、一般参加とは区別している。
一応は俺もこのカテゴリーに分類されている形となる。
会場設営などの実務面は前田玄以・宮城頼久らが行い俺の方にも問い合わせが来た。
何故か俺の周りは茶の湯狂いの中でも頭一つ抜けた者たちが集まるエリアになっているのだけど、俺ってそのまで茶の湯で凄い人物では無いと自己評価してるんだけど・・・
もう諦めて、幾つか要望を出しお願いしておいた。
このイベントの更に凄いのは、日本国内だけに留まらず数寄執心の茶狂いなら外国人もOKとしたところだろう。
そして、そんな遠方参加者の為に10日間の開催となったそうだ。
博多の者にも声掛けしているそうで、貞清(神屋宗湛)も茂さん(嶋井宗室)も来る事となっているそうだ。
そして、このイベントは一つだけ条件が付けられている。
誰でも参加できる代わりに、色々な配慮にもかかわらずこのイベントに参加しなかった者は、今後は茶湯を行ってはならないと定めた。
勿論、理由あり来れない者も居る為、必ずとか言う事は言っていない。
要は日本一の茶の湯の者を決めるとは行かないまでも知らしめる企画だから後から出て来て文句言うなよと言う事だろう。
「長様、三百組の茶器が届きましたが、こんなに必要なのですか?」
「まぁ百は茶会で使うけど、残りの内百は念の為。そして、残りの百はもしかしたら修了後に売れるかもと思ってな」
「左様でしたか。しかし・・・日ノ本国内では売れぬと言われておられたのに、何か思いつかれたのですか?」
莉里に聞かれたが、何となく勘で用意させたが、もし売れなければヨーロッパに持って行けばいいかな~と思っているので、大丈夫だ!!
さて、どのような事をするかは頭の中にあるので、皆を仕込むこととした。
そして、俺の茶の腕前なぞ高が知れているので、考えるのは一択だろう。
さては先ず、重要な事を決める必要があるだろう。
「皆集まったな!」
俺の茶会に必要なのは事を決める為に面子を集めた。
「さて、皆の衆!先ずは何を出すか、茶請けを決めよう!!」
俺の一言でその場の雰囲気が変わる。
皆の目付きが異常で、ぎらついた目で俺を見詰める。
「兄者よ!それは稲荷寿司も含まれるのかや?」
「勿論だ!!」
俺は皆に甘い物を3品、しょっぱい物を2品決めて茶請けとして出すことを考えていることを述べ、候補を出し、意見を出し合い決める事としたのだが・・・
まさか紛糾するとは予想だにしなかった。
「先ずはしょっぱい物だが・・・」
「稲荷寿司は譲れぬ!!」
千代が主張する。
それを聞いた他の者が目をぎらつかせて言う。
「
各々が自分の一押しの茶請けになりそうな食べ物を挙げ連ねて行く。
唐揚げ・・・合うのか?まぁ意見を出し合うことは重要だ。
何時もは仲が良い家族も睨み合いお互いの主張をぶつけ合る。
そして、壮絶な舌戦の後、事は決した。
同じことがもう一度繰り返され、甘い茶請けも壮絶ながらも決定した。
「丸目家当主としてここに一つの家訓を設ける!!」
俺はこの争いが今後起こらないようにと家訓の一つとしてここに皆に告げた。
皆は俺に注目し、俺の言葉を待っていた。
俺は十分な貯めを作ってから言い放った。
「食い物の件で争う事は今後禁止とする」
★~~~~~~★
丸目家家訓その一
一つ、一族での食の争いは御法度
この家訓がどの様にして残されたのかのことの経緯は現代にその資料は残されていない。
しかし、一族の者同士で相争う事の愚かさを説いた言葉として残されている。
丸目蔵人はあえて「食」に限定した様に家訓を残したが、子孫たちはその言葉は「食」に限ったことでは無いことを理解し、一族で争う愚を犯さないように努めた。
そして、この家訓は丸目家だけではなく丸目家の下に着いた者たちにも波及し結束を高めたという。
蔵人から数える事10代後の当主はこの教えについて語ったと云う。
「祖・蔵人のこの教えは、食に限定しているがあえて限定することにより気付きを促し、一族の結束を試したのだ。食ですら争えば仲違いする。食に限定して我らを試す試金石とする為の教えだ。流石と言うしかない」
そんな事を語ったと言い、それが丸目家代々の考え方となって行く。
単に食の恨みは恐ろしいという一般的な考え方をまざまざと見せつけられたことで思いついたとは思えなかったのかもしれない。
真実とは小説より奇なりというが・・・
〇~~~~~~〇
準備段階の話ですが、北野大茶湯回に突入です!!
北野大茶湯(茶宴・茶会)は、聚楽第造営と併行して大規模な催事として行われたのですが、豊臣政権の自己の権威付けが目的だったと言われます。
何故そんな事を行う必要があるのかといえば、九州を平定しましたがまだ関東以北は平定されていない為、その残りの方に対しての威嚇行為とも言えます。
参加しない者は、今後茶湯を行ってはならないという秀吉の言い分は、そういったまだ従わない者に対しての当て付けです。
更に他にも色々な思惑があり、秀吉の力の入れようは中々のものだったようで、茶会初日は北野天満宮の拝殿を3つに区切り、その中央に黄金の茶室を持ち込んだと云われています。
秀吉の代名詞的な物の一つである金の茶室がここでご登場です。
その茶室には秀吉ご自慢の名物を陳列したことで大人気だったようです。
麩焼き煎餅、真盛豆等の茶菓が出されたと云われます。
この茶会で秀吉が賞賛したお菓子で、「茶味に適す」と言ったと云われます。
更に、細川幽斎は「苔のむす豆」と例えたそうです。
細川幽斎言った「苔のむす」は「苔が生えるくらい長い年月を経ること」と表しますから現代人感覚で考えると誉め言葉に思えない方も居るかもしれませんが、「歴史ある」と褒めた訳です。
さて、この真盛豆由来は室町時代の有名な僧侶で
両名とも尼僧で、京都北野にある西方尼寺の開祖で、代々同尼寺に伝えられたそうです。
現在は株式会社
さて、北野大茶湯(茶宴・茶会)は、当日は京都だけではなく大坂・堺・奈良からも大勢の参加者が来場したが、千人以上の来場者があり、
4つの茶席だけは別格で秀吉と千宗易・津田宗及・今井宗久という当代きっての茶人が
来会者には身分の貴賤を問わず公平に籤引きを行い、各席3~5人ずつ招き入れて手持ちの名物を用いて茶を振舞ったそうです。
秀吉は午前中は茶頭として茶を振舞い、午後からは会場内各所を視察して回ったそうで、その際に
この時の丿貫の仕儀は直径一間半(約2.7メートル)の大きな朱塗りの大傘を立てて茶席を設け、人目を引いて皆をもてなしていたそうです。
それは秀吉の目にも留まり茶を所望したそうですが、その茶の湯を堪能し、そのことで丿貫は秀吉より諸役免除の特権を賜ったと云われています。
他にもうんちくありますが茶会回まだまだ続きますので、また次回にでもお話をば!!
話は変わり、序に、作中の「蘇格蘭」とはスコットランドのことです。
スコーンの発祥地として知られ1500年代初頭には食べられていた様で、アフタヌーンティーの定番の茶請けです。
塗る物により甘くもしょっぱくも出来るし、焼く前に少し手を加えナッツ入れたり等々の工夫でも風味変え出来るので中々の最有力候補かも?
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