第312話

「よう参った!!」

「はっ!またお会い出来ましたこと光栄に存じます」


トーレス司祭経由で丸目二位様にお願いし、追放令の撤回の橋渡しをお願いしたが、噂では関白様をやり込めて追放令の撤回を求めたと聞く。

長崎の地にて関白様との再度の面会する運びとなり、今回は貿易についても話したいとの事で責任者同伴で伺う事となった。


「して、そちらの連れは何者じゃ?」

「此方、ドミンゴス・モンテイロ様と申されます。スペイン・ポルトガルの通商責任者をされておられます」


紹介すると人好きのする笑顔を此方に向け、流石は国の最高権力者というべき覇気をも醸し出している。

ポルトガルがマカオの居留権を得るとその地にピタン・モールポルトガルに存在した民兵的組織の指揮官が派遣されて行政長官を兼ねた。

ドミンゴス・モンテイロ様こそがそのピタン・モールなのだ。

マカオに連絡すると急ぎ態々この国にまでやって来られた。

それだけこの国との交易は上りが大きいと言う事であろう。


「して、モンテイロ殿、二人で話せますかな?」

「勿論で御座います」


そして、私は二人の話し合いの場より締め出され、待つ事しか出来ぬ身となった。


★~~~~~~★


「して、お話とは?」

「そう硬く成らずともよいぞ」

「はぁ・・・」

「なに、お互いの利を確保をすることが先ずは最も重要であろう?」


儂がモンテイロ殿という南蛮の国の代表者と話すには邪魔な南蛮坊主をこの場より追い出し、膝を付き合わせて話すこととした。


「利とは?」

「勿論、交易にて得られる利は必要で御座ろう?」

「はい、交易による利が確保できれば有難い話で御座います」


モンテイロ殿もそこが重要と思っていたのであろう、ニヤリと笑いながら更に話を詰める事とした。


「我が国には古来より神道、それに仏教、更には儒教という教え入って来ており、これ以上新しき教えを今必要としておらぬで、キリスト教は出来れば我が国よりご退場に願えればと思っておるが・・・」


儂がそう言うと、困った顔でモンテイロ殿は言われた。


「生憎と、私の一存で「解りました」とは申し上げられぬので・・・」


詳しく話を聞けば、キリスト教と言う宗教は南蛮の国々や多くの地域で国教ともなる程に広まっており、彼の所属するスペイン・ポルトガルと言う国では、勿論、国教で、国王は敬虔な信徒なのでまかり間違えても「解りました」とは言えない事を説明された。

そして、譲歩して宣教の制限を課すことで合意した。

儂はこの件で宗教という物を少し調べた。

吉田神道の宇宙起源説は実に良い。

神国思想は実に素晴らしいと感銘を受けた。

天照大神の神孫たる天子様の統治するこの国は神々の加護の下にある国という考え方は特に素晴らしい考え方だと思えた。

そう言えば、大殿(織田信長)も自らを神格化しようと己の神体を安土城下の総見寺に安置してご自分の誕生日にそれを拝むようと貴賤を問わず人々に強要した事があった。

どういう趣旨でそのような事を行われようとしたかは解らなかったが、今ならば何となく解る。

己が神となりこの国を支える一柱に成ろうとしたのであろう。

国が落ち着いた頃に今は亡き大殿と同じく神となり日ノ本の支えとなろうと誓った。


「殿下、如何で御座いました?」

「おお!官兵衛。お主の言うた通りであったぞ」

「それは何よりでございました」


そう、官兵衛(黒田孝高)の知恵を借り交渉ごとに臨んだ。

官兵衛の思惑通り、利を説き、少しの譲歩で話は纏まった。

官兵衛は言っておった。


「完全に排除しようとすれば反発も大きくなりまする。南蛮の国との交易の利を守りつつも適度の規制出来ればそれでよいのです。それよりも、丸目二位殿が今回の件で殿下を抑えた様に思わせないことが肝要で御座います」

「そうじゃな!」

「正直な話、奴隷となった者たちには同情致しますが、人買いに売られた者の末路なぞ惨めなもの。外つ国に連れて行かれようと本当は如何でも宜しいのでしょ?」

「わははははは~官兵衛。これでも儂は修羅場を幾つ潜っておる。どうやってこの地位に上り詰めたと思っておる?」

「勿論、存じております!三木城の為さり様なぞ実に見事と思いましたぞ」

「左様か」


懐かしき城の名を聞いた。

それは別所長治との戦いで行った兵糧攻めのことだ。

「三木の干殺し」などと呼ばれることとなった出来事を官兵衛は言っておる。

官兵衛はその際は敵の手に捕まっており、有岡城に幽閉されていた。

後に三木城のことを知らされた官兵衛はどう感じていたかを今知った。


「鳥取城の件も実に見事でした」


官兵衛の言う鳥取城の件とは「鳥取の渇え殺し」と巷で呼ばれる戦だ。

考えてみれば、二万人?儂の殺して来た者どもの人数を合わせれば二万なぞかわいいものじゃ。


「官兵衛・・・何が言いたい?」

「おや?殿下も言いたき事なぞ既にお気付きでしょ?」

「・・・この国に利を齎す為の尊き犠牲であったな」

「うふふふふふ~流石は殿下!それでこそ我が主!!」

「長さん、いや、丸目二位殿が儂の代りに金を出して臣民を取り返してくれるそうじゃ」

「そうですね、これで丸目二位殿の武器の一つ、資金を大きく失わせることが出来まするな」

「官兵衛の狙い通りという訳じゃな?」

「はい、人を雇うにも金は掛かりますから、その金が無ければ」

「金の切れ目が縁の切れ目か?」

「そう!丸目二位殿に仕える者どもも金さえなければこちらに靡く者もおりましょう」

「そうよな~あちらより金を使わせつつ此方はこれから日ノ本を牛耳り金を溜め込む」

「左様で御座います。最後に勝は殿下で御座いましょう」


それを聞けて満足じゃ。

しかし、先日の件で諸侯の前で恥を掻かされた。

長さんの命を奪うなどは考えておらぬが、屈服させたいと思っている。

その足掛かりを今一つ得た。


「次は宗易が茶の湯で屈服させるよう命じておるがー」

「ほう!千殿に命じられておいでとは」

「儂は卑怯な手で屈服させたいのではなく正攻法で丸目二位の負ける姿を見たいのよ」

「殿下にとって恩人である彼にそう思われのは何故に御座います?」

「何故かの~・・・今はよく解らぬ。しかし、そう思う心にもう嘘はつけぬがー」


官兵衛は「拙者は丸目二位殿を嫌いで御座いますので誤って殺さぬように殿下が拙者をお止め下され」と言った。

儂は殺すつもりは無いと言う事も述べたつもりはないが、儂の意を酌んでそう言ったのであろうことは長い付き合いから理解できる。

心を読むことに長けておるわ。

もしも殺してしまったりしてもいい様にという言い訳も含んだ言葉なのであろうが、本当に抜け目がない事よ。

しかし、その目の奥に潜む薄暗き光も気になる。

官兵衛にとっては己の知略を生かす場を求めているだけじゃ。

儂に忠誠を誓っているというより己の才覚を生かす為に従っているにすぎない。

もしその機会を儂が与える事を怠れば・・・

長さんは天下を狙う事は考えられぬが、官兵衛は違う。

官兵衛が誰からもその機会を与えられなければ、恐らく己が主となりその場を作ろうと動くやもしれぬ。

今は長さんに目を向けておりそのような事は無いと思われるが、気は抜けぬ者じゃ。


「官兵衛よ」

「何で御座いましょう」

「天下を狙うならば、先ずは丸目二位を倒せなければ無理じゃぞ?」

「・・・殿下、拙者は天下なぞ狙ってはおりませぬ」

「左様か?」

「はい」


一瞬の返事の遅れはやはり・・・いや、考えるのはよそう。


「官兵衛、お主の知略はまだまだ使ってやるで大人しく従うがー」

「承知いたしました」


官兵衛との秘かな話し合いは終わった。

さて、寝所で女を抱くか。


〇~~~~~~〇


秀吉・黒官の悪だくみ回でした。

さて、織田信長の自分の神格化を作中で書きましたが、この流れは豊臣秀吉も徳川秀吉も行いました。

徳川家康は東照大権現として日光(栃木県)などに社が作られ神格化されました。

今際の家康は金地院崇伝・南光坊天海・本多正純などを枕元に呼び、遺言を残したと云われていますが、その中には自分の遺体は久能山(静岡市駿河区)に埋葬するようにと言われたことを守り東照社を建立しました。

神号は側近の天海と崇伝、神龍院梵舜の間で論争が起こる程に熱く語り合われたようですが、「権現」と「明神」のどちらにするかで可成り揉めたようです。

最後の決め手は豊臣秀吉の神号が「豊国乃大」だったので、明神は不吉として権現としたそうです。

神様の名に不吉って・・・

家康の神号は日本大権現というものが有力だったようですが、最終的に東照大権現に決定しました。

東照社が創建後直ぐに神階正一位が贈られたそうです。

東照社上記以外にも有名な日光や江戸城内の紅葉山にも建立されて、後に宮号の宣下され、東照宮となりました。

因みに、神階というのは神道の神に授けられた位階で、位階自体は人にも神にも授けられるのですが、神階は神に与えられる位階です。

人に対しての位階は少初位下から正一位までの30階あるのですが、神は正六位から正一位までの15階で、家康の受けたものは最高位となります。

さて、豊臣秀吉も「豊国乃大明神」として祀られ「豊国神社(京都)」にある神社です。

豊臣家滅亡とともに徳川家康の命により一度廃絶された神社ですが、明治天皇の勅命により再興されました。

豊臣秀吉の遺体は火葬されず伏見城内に安置され、死去の翌年に遺命により阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬されたそうです。

その麓に高野山の木食応其というこの当時高名な僧侶によって廟所が建立され、それが元となり建立されました。

秀吉自身は「新八幡」として祀るように遺言残したそうですが、朝廷から「豊国乃大明神」の神号が授与された為、そう呼ばれたそうです。

「明神」と「権現」の違いですが、「明神号」と「権現号」が区別されずに使用される例も少なくはないので、ほとんど違いがありません。

秀吉を祀る「豊国神社」ですが、秀吉の室北政所のたっての願いで社殿は残されたそうですが、一切修理をすることは禁止され、朽ち果てるままに放置されることとなった為、家康死後に妙法院へ移されまで本当に野晒し状態だったようです。

神体は梵舜という神道家が密かに持ち出し、自宅に隠し祀ったと云われます。

実は秀吉に関わる神社は他にもあり、新日吉神社いまひえじんじゃというものがあります。

廃絶された豊国神社の参道上に再建されたこの神社は現在は「新日吉神宮」と呼ばれています。

元の御神体を祀る為に新たに樹下神(十禅師じゅうぜんし)を勧請したそうです。

何故、樹下神を?と思うと思いますが、秀吉の元姓が「木下」だったからと云われています。

十禅師じゅうぜんしというのは日本神話の神の一柱で、聖徳太子と同一視する人もいる神です。

そして、なんと現代社会的にタイムリーな神です。

LGBTとか現代では社会問題として取り上げられますが、なんとこの神様は同性愛の神様なのです!!

時代先取りし過ぎて驚きですね~

追いうんちくとして、樹下神はもう一柱表します。

鴨玉依姫命かものたまよりひめのみことなのですが、有名な玉依姫(神武天皇の母・海神の娘・海や水の神様)とはまた別の神様です。

この神様は賀茂氏の祖神で、賀茂別雷神かもわけいかずちのかみの母神で、日吉神社ひよしじんじゃに祀られている御祭神の一柱です。

新日吉いまひえ日吉ひよしの違いとしてはそういう歴史的な成り立ちから違いますので、名は近くても別物です。

秀吉の幼名は日吉丸であることと既に日吉神社(日吉大社)があったので「新日吉」はそういう事を加味し名付けられたような気がします。

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