第308話

史実では豊臣秀吉が九州征伐を行った当時の博多は戦で荒廃していた。

しかし、令和の世まで生きて転生した丸目蔵人が関わったことで違う歴史を刻んでいた。

博多の町を荒そうとする者たちはここで働く自警団の者(藤林一党含む丸目蔵人の関係者で博多に配属された者たち)によって襲う前に襲われて撃退された為、町は戦火に塗れることなく堺に次ぐ賑わいを見せていた。


「関白様が自治権を明け渡す様に言って来られたばってん、従わざるおえんたいねー」

「そうたいねー」

「それも、直轄領として召し上げるとの話したいねー」

「はぁ~横暴ばってん従わんとねー」


町の会合衆の寄り合いで皆がそれぞれ意見を言うが、不承不承という意見が多いが、天下人に逆らう愚を犯す訳には行かず、私は意見した。


「確かに関白様が私どもに何かしてくれた訳ではないばってん。天下人に逆らう訳にはいかんばいね」


皆難しい顔で私の意見を聞く。

解っているが心が着いて来ないのだろう。


「皆の衆、考え方ですばい!!今までも大友様に矢銭だ何だとお渡ししとりましたよって、その払い先が変わるだけど思えばいいたい、特に今までと変わらんとですばい」


勝茂(嶋井宗室)が言う。

その意見を聞いたになは「確かにそうばい」と皆が言い、意見は纏まった。


「問題は町割りばいね~」

「そうばい、そうばい」


関白様は町割りの変更を言って来た。

今現在の町割りでは道が狭く大軍の行き来などは難しいとの事で道を広くしたいと言う。

そして、ある程度の自治は認めるが直轄地として管理する為に博多町奉行を置き、ある程度の兵も常駐させるという。

天下人には逆らえないので従うよりなく、意見を出し合う意味はないので話を纏めにかかかることとした。


「先程と同じく、物は考えようですばい!」

「ほう!神屋さんはどう思われとるとです?」

「私は関白様の援助で店が新しく建て替えられると喜んどりますばい」

「ほう!ものは考えようですばいねー」

「そう、そう、その通りですばい!!」


皆の考えが肯定的になった事で話を纏め、関白様に従う事となった。

以前に長さん(丸目蔵人)にこの件は相談しており、関白様の命に従う様にとした方が良いと言われていたので意見を誘導し命に従うように促したが、当初の否定的だった者たちも肯定に傾いたことで関白様の命に従い、博多の町割りから直轄領になること等々の事案は全て従うこととなった。

私の誘導に上手く皆が乗っかる事になったのは勝茂(嶋井宗室)の助けもあってのことである。


宗室そうしつ助かった」

「おう!他人行儀だな、昔通り勝茂でいいぞ、宗湛そうたん

「私も貞清でよい」


気心の知れた者同士、昔からの呼び名で呼び合う。

最近はお互いに忙しく中々会えない間柄となったが、会合では会えるので意外と楽しみにしている。


「ところで、今流行りの侘茶わびちゃに圧されて黒き茶碗が人気というが、長さんとの協力で作った龍骨の陶器の売れ行きを伸ばしたいのじゃが、何か良い試案はないか?」

「ああ!!噂だが、関白様が京で大きな茶会を開かれるという話じゃぞ」

「ほう!」

「その茶会では名だたる茶匠や大名が一堂に会して茶席を設けるそうじゃ」

「大人数で茶会をの~どの様にじゃ?」


茶会とは本来、少人数で行う事が多い。

ゆえに、大人数と言われても見当がつかぬが、私はある情報筋より聞き及んでいる話では関白様に認められた者がそれぞれに茶席を設けて同じ時間に寄り集まって茶会を開くという話であるらしい。

その話を勝茂に話すと、何やら考え込んでおる。


「如何した?」

「確か畿内の方の者たちを中心で行われると聞いたような・・・」

「ほう!お主の耳にも届いて居ったか!!」

「まぁ・・・誰ぞに協力して貰って皆に見せたいものじゃが・・・」

「誰ぞ協力してくれる者が居ればの~」

「ほんに!ほんに!!そのとおりたい!!」

「津田さんや今井さんは如何じゃ?」

「どうかの~聞くにしてもの~今の流行に合わせねば天下の茶匠と言えども評価は落ちようからの~難しきことであろう・・・」


二人して話したが、良い案は浮かばず、その場ではお互い何か考えようと話は仕舞いとなった。

そして、九州での仕置きを終わられて関白様が大坂の方に戻られる頃に京の北野で大茶宴が執り行われ、それに参加するようにとお達しがあった。

そして、伝わってくる噂で長さんが一席設けるという話を耳にすることとなる。

長さんは最近では「午後茶」の創始者などと呼ばれている。

長さん曰く、お昼の小腹のすく時間帯に休憩を兼ねてお茶と茶請けを肴として仲の良い者たちなどと和気藹々と午後の一時を楽しむのはよくあることで、特に自分が始めた事では無いというが、この「午後茶」というのは今までに無かった考え方の茶の湯で、初めて長さんに誘われて経験をした時、度肝を抜かれた。

元来の茶の湯は主が茶で茶請けは添え物、お茶を彩る物として認識されている。

しかし、「午後茶」ではその添え物が主役の座に居ると言っても過言ではない程に供される茶菓子が美味しく豪華だ。

長さんが考案したであろう栗の菓子(マロンケーキ)を初めて食べた時の衝撃は未だに舌の上に残る様に覚えている。

あの栗を裏ごしして滑らかにし、加須底羅カステラを土台にその滑らかな栗の練り物を纏った・・・考えているだけで涎が泉の如く湧いてしまう。


「どれ、長さんに手紙で相談してみるか」


そして、長さんは自分がそんな宴に参加することは知らなかったようで、驚いて居られたという。

参加すると言ってもただ茶の席に参加するのではなく亭主として相手をもてなすのでは訳が違う。

大丈夫かとも心配する気持ちもあったが、長さんであれば何かひょうげており、皆を驚かせる摩訶不思議な事を行うのではないかと思い「楽しみにしている」と言う事を再度手紙にて伝えた。

龍骨の陶器については請け負ってくれると言う事で、三百組の茶碗と急須ポットを用意することを請け負った。


「さて、長さんの茶席はどんな物か今から楽しみな事よ」


長さんからの手紙を見ながら独り言を呟き、ニヤリと笑いながらまた手紙を見返した。


〇~~~~~~〇


主人公不在で数話、話が進むかもしれません。

北野大茶宴(北野大茶会)の話は後に取っておき、今回は、この時代の博多について語りたいと思います。

戦国末期の頃までは堺と並ぶ商業の中心地として栄えましたが、九州征伐の頃は荒廃しており大変な時期だったようです。

しかし、豊臣秀吉の九州征伐が終わると一転して復興事業が開始されます。

元々、大友が所有する地域でしたが、大友家の力が弱まったことで博多の町衆が色々と動いて何とか維持していたようですが、九州征伐の少し前に荒廃しました。

その前は1582年に博多の豪商である今回の主役、神屋宗湛と嶋井宗室が織田信長に会見して保護を求めています。

何故に保護を求めたかというと、島津家が博多の富に手を付けることを恐れてだと言われていますが、実際に町を焼かれたりと散々だったようです。

織田信長と近江国安土城にて謁見した際には嶋井宗室は自分が所有する茶道具の天下三肩衝の一つである茶器・楢柴肩衝を献上しています。

信長は諸外国との貿易を考えていたので渡りに船だったようで貿易商人である神屋宗湛・嶋井宗室を厚遇しようとしていたようです。

時が時です、2回目の顔繋ぎは京都で行われましたが、丁度、本能寺の変に遭遇してしまいました。

何と驚いたことに二人とも本能寺に宿泊しており巻き込まれました。

面白いのがこの二人が逃げる際に宗湛は牧谿作「遠浦帰帆図」を、宗室は空海直筆の「千字文」を持ち出しています。

さて、秀吉も貿易については儲けが大きいと考えて重用したようで、宗湛は「筑紫ノ坊主」と呼ばれて博多商人の第一人者として認められていたようです。

「太閤町割」と呼ばれる博多復興事業が執り行われたのですが、中心的な役割を担当したとも云われます。

九州征伐の際にも多大な資金援助をしたとも云われます。

宗室の方も朝鮮貿易の業者だったので隆盛を極めます。

しかし、貿易相手の朝鮮国に対して秀吉の命で朝鮮出兵が執り行われると割を食う形となりました。

戦争回避を図る折衝を行なったりと色々と行ったようですが空回りとなり、秀吉の怒りも買ったことで蟄居を命じられようです。

北野大茶宴の話から離れ、伴天連追放令等々の話が先に来ますので次話は別の話となります!!

北野大茶宴の話を楽しみにされていたのであれば、少しお待ちください。

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