第301話
参内して恙無く報告を終えた。
トラブル?わははははは~何を言っているんだ?え?俺が行く所ににはトラブル有?
いやいや、毎回ではないはず・・・だよね?
さて、天子様への報告も恙無く終わったので、一応は任務完了と相成る。
京に来る途中では堺に多くの積み荷が集まり何時も以上の賑わいを見せていた。
お猿さん(豊臣秀吉)の号令一下、命じられた大名や武将が九州出兵の為準備に追われ、堺もその備品等々多くの必要品の発注でてんやわんやでお祭り騒ぎの様な賑わいである。
お猿さんも今回は出陣して九州に向かうらしいけど、竜様の史実には無い下働きの結果、降伏する者も多そうだし、終結も早そうだ。
竜様も仕事をある程度やり終えたと見切りを付け、九州より俺と一緒に京にやって来たんだけど、京の朝廷への参内時には天子様に一番近い位置に座り、公家たちを仕切っていた。
隠居しても実力者としてのものは変わらないようで、皆が竜様に
呪詛った二条昭実と近衛信輔も少しバツの悪そうではあるが竜様に気を使っていたようだけど、一人、竜様に対しても遠慮が無いというか忖度が無いという様な態度を取る者がいる。
どうやら彼がお猿さんを関白へと導いた立役者の右大臣・菊亭晴季らしい。
既に朝廷内での発言力が増している様な感じはするけど、俺の気のせいではないだろう。
場を仕切って俺の報告後は、「丸目二位蔵人殿、大儀であった」だってさ~
まぁ、良いけどね、良いんだけどね・・・
家に帰って来てから竜様と話したけど、
「もう我が物顔って感じで仕切られておられましたね?」
「おほほほほほ~そうでおじゃるの~」
「良いのですか?」
「良いも何も、公家とはそう言うものでおじゃる」
「如何言うものですか?」
「天下人に取り入ったり色々でおじゃるが、朝廷内だけではなく、あらゆるものを用いて朝廷で鎬を削り、己が存在を皆に知らしめるのでおじゃる」
「今回は右大臣様が存在知らしめ幅を利かせておられると?」
「そうでおじゃる」
竜様は愉快そうにそう話された。
自分自身もいい様に使われたというのに何がなにがそんなにおもしろいのか・・・
「麿とて一時権勢を誇っておったでおじゃる」
「そうですね・・・」
「しかし、追放などもされたでおじゃる」
「右大臣もその内追放でもされると?」
「それは解らぬが、そう言う事もあるでおじゃろう。それに、隠居がしゃしゃり出てもの如何なもかと思うのでおじゃる」
「現役が確りしろと?」
「そういう事でおじゃる」
大変良く出来ましたというように、ご機嫌でニッコリ笑顔を此方に向けられた。
いや、位はあるけど、一応武士ですが・・・
右大臣・菊亭晴季に対して頑張るのはそれこそ竜様の息子の近衛信輔だったり、元関白の二条昭実だったりのまだまだ若いお公家様方だと思うんだけどね~
そんな俺の心が顔に出ていた様で、竜様は「信輔にはまだちと荷が重そうでおじゃる」と言われた。
★~~~~~~★
「以下、ご報告は此方に纏めて御座います」
丸目二位蔵人が主上の方に頭を下げたまま言上を述べ終わりお言葉を待っている。
途中途中で質問等したが、一々、近衛准三宮(近衛前久)を見てから答えて来る。
その行動はまるで答えて良いか確認しているようで癪に障る事じゃ。
報告が終わった後も御簾越しに主上の機嫌もお宜しい様で、お言葉を直接発されそうとしたので、手で制し、「丸目二位蔵人殿、大儀であった」と麿が主上の代りに答えておいた。
「隠居された者を立てるとは、丸目二位蔵人・・・気に入らぬことじゃ」
「右大臣はかの者がお嫌いですか?」
「これはこれは、九条准三宮、嫌いではなく気に入らぬだけにて」
九条准三宮(九条
二条太閤(二条昭実)の兄であるこの者は、弟が関白の座を失う原因を作った麿に何か言いたき事でもあり、近付いたと思いきや、どうやら違うらしく、面白き事を提案して来た。
「麿も
「そうなのですかな?」
「はい、他にもあの者の事を・・・」
公家でも無い者が外交で活躍したことが気に入らぬ者は一定数いた様で、この二人を中心に、反丸目とも呼べそうな者たちの集まりが出来、丸目蔵人の与り知らぬところで、陰謀が練られることとなる。
★~~~~~~★
「にゃに?長さんが日ノ本に戻って来たがー?是非とも会いたい!!」
兄上に長さんの帰国を知らせると、そう言って手に持つ扇を扱く。
私も会いたいのであるが、数日前に、茶々殿たちお市の方様の娘らに会いたい旨の書状が届いたという。
お市の方様の生前に、彼女亡き後の娘たちを頼むと言う事を彼女自身に言われていたそうだ。
口約束であったが、今、無事に暮らしているか確認したいので会いたい旨が書状に認められていた。
京にて天子様に拝謁し、南蛮での首尾の報告が終わり次第、会いたいとの事で、如何回答したらいいかと問い合わせが私に来た。
考えてみれば、茶々殿は兄上の側室となっているので、成程と思えたが、夫である兄上にも報告せねばと思い伝えれば、戻って来られたことに対して喜ばれ、「会いたいと」口にされた。
兄上、ひいては豊臣家の恩人である長さんが会いたいと言えば即座に会う事に問題は無い。
兄上も会いたいというのであれば、猶更問題無いと思い、九州征伐の準備の忙しい最中ではあるが、手配することと致した。
「では、兄上、淀殿(茶々)とお会いした後に兄上とも会談できるように取り図りますので」
「煩わしいがー」
「兄上・・・兄上は関白にお成りになられたのです。親しき者に会うにもそれなりの準備という物が」
「わあ~た・・・小一郎は一々こまきゃーことに五月蠅いの~」
「仕方ありませぬよ、兄上はそういう地位になったのですから」
「そうきゃ?なら・・・仕方ないのがー?」
本当は何の気兼ねも無く、兄上と長さんを会わせたいが、周りが五月蠅く、黙っておらぬであろう。
堅苦しい事だが、仕方ないと諦めて貰い、お会い頂くしかない。
「では、詳しく決まりましたらご報告いたします」
「ほいほい、よろしくだぎゃー」
私は長さんを迎える為の手配をする為その場を離れた。
〇~~~~~~〇
色々と主人公を取り巻く動きが出て来ました!!
さて、1587年は九州征伐と言う大イベントがありますが、他にも日程目白押しです。
物語に大きく関わりそうな物としてはバテレン追放令を発布、北野大茶会辺りでしょうか?
バテレン追放令では主人が聖人認定されていることで巻き込まれてくること必定ですし、北野大茶会では主人公の事を快く思っていない茶聖様のメインステージですからここでも一波乱の予感ですね~
さてさて、今後の展開はさておき、九条
一応は作中で書いておりますが、九条
近衛前久の政敵として最も有名な二条晴良ですが、彼には上記の2人以外にも鷹司信房、醍醐寺三宝院門跡の義演と言う息子たちが居ます。
僧籍となった義演以外の九条兼孝、二条晴良、鷹司信房の3名は関白職に就いたのですから、如何に権勢を誇っていたかが伺えます。
さて、この二条家一門の者たちは時流の流れに乗るのがとても上手いお公家様だったようで、秀吉が生きている間は豊臣家に阿り、亡くなると豊臣政権の屋台骨である武士統制の為の関白政治の脱却を図る徳川家康と組んで色々と活躍したようです。
まぁ彼らから言えば、家職とも言える関白の職を是非とも取り戻したいと思っていたでしょうから当たり前ですね。
実は秀吉が関白就任の時、近衛前久が秀吉を猶子と認める際の約束事としての一つが秀吉の次の関白は前久の息子である信尹へ譲るという物が在ったのですが、これは反古にされていますので、お公家さんたちとしては約束守れない様な者たちから取り返すのは当たり前位に思っていたのかもしれません。
さて、この作品で出番が多分無いであろう、醍醐寺三宝院門跡の義演にクローズアップしてみたいと思います。
「後七日御修法」という宮中行事を鎌倉以来再興したと云われています。
この行事は毎年正月8日から14日まで京都の東寺で、玉体安穏・鎮護国家・五穀豊穣・万民豊楽などを祈る法会として今も行われているそうなのですが、元々は宮中の行事で、宮中真言院で行われたそうです。
弘法大師・空海が時の天皇に奏上して835年から始められたそうで、幾たびかの中断などもありましたが何とか存続し続けましたが、1871年の神仏分離によって一度廃絶したと云われます。
1881年に再興され、現在は勅使を迎えて東寺の灌頂院で十八本山が一堂に会する真言宗最高の法儀として執り行われています。
十八本山と言うのは真言宗の主要な16派の総本山の事です・・・あれ?数が合わないと思いますよね?
派としては16ですが、18の総本山として取り扱われる寺院があり、その総称として十八本山と言います。
このうんちくではよく神仏分離というのが出て参りますが、明治に日本独自の宗教観から生まれた神仏習合の慣習を禁止した法令で、神道と仏教、神と仏、神社と寺院と言う様にはっきり区分するようにとした法令です。
元々、江戸時代から儒学の影響と藩学の興隆で神仏分離の政策は一部執り行われたいたのですが、明治維新の際の王政復古・祭政一致の理想実現の為、神道の国教化を採用してことにより、神仏の括りが曖昧な神仏習合を廃し明確化することを目的として行われた政策でした。
これ意外と大事になった様で、神社と寺院を分離してそれぞれ独立させたり、神社に奉仕していた僧侶には還俗を命じたたり、神道の神に仏具を供えること、御神体を仏像とすることなども禁じたそうなのですが、それにより廃仏毀釈運動という物が起こりました。
政府の方針としては仏教排斥は考えて居なかったようですが、各地の寺院や仏具の破壊が行なわれそうです。
意図していないと言っても中々に過激だったようで民間での寺の焼き討ちなんかもあったとか・・・
明治政府の神仏分離政策ははっきり言って失敗政策と言えますね~色々な意味で。
特に文化的な損失を考えると・・・
この政策は他にも修験道・陰陽道の廃止なども行った為本当に色々な意味で日本古来の文化に大打撃を与えた政策だったようです。
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