第300話
300話達成です!!
ドンドン!!パフパフ!!ヤンヤヤンヤ!!
ここまでお読み頂きまして感謝です。
当初目標値の一つとしていたのでそういう意味でも目標達成!!
まだまだ続く予定ですので次は400話目指して頑張ります!!
続きもお楽しみ頂けるよう書いて行きたい所存です。
◇~~~~~~◇
鳶加藤と果心居士は久しぶりの幻術士としての依頼に心弾ませて京の都を丸目蔵人一行より先行する形で目指す事となった。
相手は前関白に現左大臣の二人。
どの様な幻術を見せるかで二人して思案する。
「爺、お前さんはどうするんじゃ?」
「ふぉふぉふぉ~拙僧は呪詛が返された事で戻って己に降りかかった様な物を見せて進ぜようかと思うておるぞ」
「そんな事は此方も同じじゃ!具体的な話をしておる!!」
「具体的の~その方こそどんな具体的な夢を見せる予定じゃ?」
鳶加藤は考える。
呪詛返しをされたことを匂わせてやる予定ではあったが、具体的な内容は考えあぐねており、立案に当たり果心居士の意見を参考に考えようとしていたのだから特に具体的な内容は今はまだ考えていなかった。
「そ、それは・・・ひ、秘密じゃ!!」
「ふぉふぉふぉ~そうかそうか、お互いにどんな夢を見せた終わった後に話して酒の肴にでも居たそうかの~」
「生臭め、僧籍の者が酒を煽っても良いのか?」
「ふぉふぉふぉ~拙僧は生臭じゃて酒を般若湯などとは言い換えずにそのまま酒と呼んで飲む干すぞ」
「左様か・・・」
それぞれに何方を担当するかを決め、見せた内容は後のお楽しみとすることとした。
鳶加藤が前関白の二条昭実を、果心居士が左大臣の近衛信輔を担当することで話は纏まり、それぞれが宵闇に乗じ、彼らの寝所へと忍び込み、悪夢を見せた。
★~~~~~~★
俺が京に行くというと竜様(近衛前久)も京に戻るという。
京に到着するとそのまま京の俺の屋敷に竜様も滞在される事となったのであるが、到着翌日には近衛信輔・二条昭実のそれぞれから詫び状と共に竜様へのアポが入った。
竜様は俺の方を見ながら面白そうに言って来る。
「おほほほほほほほほほ~長は誠に手が早いでおじゃるの~あの者らが詫び状と直接詫びたいと言って来たでおじゃるぞ」
「ほ~余程効いたようですね~」
「ふむ、して何をしたのでおじゃる?」
「え~と、段蔵(鳶加藤)と果心和尚(果心居士)に頼んでお二方に良い夢を見て頂きました」
「良い夢でおじゃるか?余程に良い夢だったのでおじゃろうの~」
「そのようで」
竜様と笑い合って具体的にどんな夢を見せたか段蔵(鳶加藤)と果心和尚(果心居士)に聞いてみると、前関白の二条昭実の方は段蔵が担当しており、呪詛が返されて戻って来たことと、病の床に伏し苦しむ自分の姿を見せたという。
果心和尚の方は同じく呪詛が返されて近衛信輔が苦しむ様を見せ、先々代の近衛家当主である彼の祖父の種家様を枕元に立たせ、親を呪うとは如何言う了見かと問質させ、死にたくなければ竜様に詫びる様にと言い付ける夢を見せたという。
もし、詫びねば一年を待たずに迎えに行くと言わせたらしい。
それを聞いた段蔵は悔しそうにしていたので、もしかすると二人で何か腕比べ的な事でもしていたのかもしれない。
「段蔵、果心よ、見事でおじゃる。その方たちの働き、麿は忘れぬぞ」
「「ははーっ!!」」
竜様のお褒めの言葉を聞き二人は恐縮しながらも満足そうだった。
そして、俺の方も天子様に今回の欧州への使者としての成果を伝えに行く為にアポを取っている。
順番的には竜様への詫びが先になりそうである。
先に訪れて来たのは竜様の息子の近衛信輔。
「父上・・・」
「何でおじゃる?信輔よ」
「この度は誠に申し訳ありませぬ」
「ふん!事もあろうに息子に呪詛を仕掛けられるとは思わなかったでおじゃる」
「面目次第も御座いませぬ・・・」
「それで、何故に麿に呪詛など仕掛けたのでおじゃる?」
近衛信輔曰く、竜様が率先してお猿さん(豊臣秀吉)に協力した様に見えたそうだ。
自分が関白にと考えていたのにトンビに油揚げの様に横から掻っ攫われたような気がした上に自分の父親もそれに率先して協力したと思うと怒りが押さえられず、呪詛と言う手段に出たという。
俺は竜様から本音を聞いているが、竜様としては関白の座は摂関家で保持したかったようだ。
竜様は隠居の身なので多くの事に関われないので話を持ち込まれた時には頷くしかない状態だったという。
菊亭晴季という老獪な公家の政治手腕で翻弄され、まだまだ二条昭実と近衛信輔では太刀打ちできなかった様なイメージに思うが、如何なのだろうか?
「今出川(菊亭晴季)にしてやられたでおじゃるの~」
やはり、竜様もそう思われた様で、扇子で顔を隠しながら言われたが、きっと苦い顔をされているのであろう。
藤林の諜報からの話ではお猿さんは当初、征夷大将軍になる為に動いていたようだ。
将軍様(足利義昭)の猶子に成る事を画策していたが、将軍様がこれを拒否したらしい。
どうしたものかと思っていた矢先に降って湧いた様に関白の話が菊亭晴季によって持ち込まれる。
それにお猿さんが乗っかると菊亭晴季は即座に竜様に話を持って行き纏め上げたらしい。
これにより、豊臣政権下では菊亭晴季が重く用いられるだろうと既に言われているそうだ。
まぁ菊亭晴季が上手くやったと言う事だろう。
近衛信輔は父である竜様に散々詫びて帰って行った。
同じく、後日、二条昭実も謝罪に訪れ、竜様に深く詫びて帰って行った。
「長よ」
「何でしょう?」
「今回も世話になったでおじゃる」
「まぁ義理とは言え父ですから」
「おほほほほほ~そうであったでおじゃるな!頼りにしておるぞ義理の息子!!」
竜様はご機嫌でそう言われた。
よく考えてみればお猿さんも竜様の猶子という義理の息子となる。
同じ立場なのだと今更ながらに感じた。
〇~~~~~~〇
菊亭晴季(今出川晴季)は安土桃山時代を代表する公家の一人で、抜け目ない公家のイメージ持てる様な貴族です。
関白相論の起こった時の年齢は50前でした。
それに対し、二条昭実は30過ぎ、近衛信輔(近衛信尹)は20を少し過ぎた程度でした。
年齢を比較しても分かる通り、50歳前の菊亭晴季は老獪さが備わり、若い2人なぞ手玉に取ることなど訳無い事だったのかもしれません。
事実、秀吉の関白就任に尽力したことで豊臣政権では信任されて豊臣政権と朝廷の橋渡し役として朝廷内でも権力を握り、重きを成したと云われています。
そして、この菊亭晴季が強かなのは、秀吉が亡くなると家康に近寄り、家康の推挙により朝廷に復職するという離れ業を成しております。
右大臣として復職したようで、1599年1月~1603年12月まで在任したそうです。
この人物の経歴では他にも面白い部分があり、武田信虎(武田信玄の父)の末女を娶ったりもしております。
また、関白・豊臣秀次に娘の一の台を嫁がせことで、世に言う「秀次切腹事件」の連座で娘の一の台は処刑、菊亭晴季自身もあわや処刑されそうになったようですが、越後国に流罪となり命を繋いだ経緯があります。
中々に強かに生き延びた敏腕お公家様なのです。
菊亭家と言うのは藤原北家閑院流西園寺家の庶流で、家格は清華家となります。
近代前には今出川家の家名も併用したようですが、実際に安土桃山時代頃は菊亭も今出川も何方も名乗っていたと思われますので、今出川晴季とも呼ばれたのはそう言う理由からです。
このうんちく盛り込みたいが為に近衛前久にあえて「今出川」言わせました!!
確信犯です!!
さて、菊亭を名字に定めたのは明治以降の戸籍制度で複数の苗字を併用しないようになってからと云われます。
明治以降は家格は侯爵家ですので、高位の家だというのは家格から見てもお解りと思います。
そして、菊亭晴季が豊臣政権下と初期江戸幕府で上手く立ち回ったことで、家格が清華家の中でも有数の金持ちだったようです。
後続の菊亭家の者も頑張った様で、家禄は最大時は1655石も有り、清華家の中では最大の石高持ちとなったようです。
因みに、江戸時代に家格が清華家で1000石以上を有していた家は菊亭家と鷹司家だけだったと云われています。
まさにそういう事からも菊亭晴季がいかに優れた人物か垣間見えますね。
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