第298話

竜様(近衛前久)と向い酒で語りあう。


「そうかそうか、やはり長は上位階層の者に気に入られるでおじゃるの~」


そう言って機嫌よく盃を煽る竜様。

俺の特使として欧州に赴いたがその一部始終を聞かせたのであるが、竜様はそのような感想を述べご機嫌である。

何が楽しいか解らないが、楽しそうだ。


「しかし、他国の官位・・・爵位であったでおじゃるか?得るとはの~」

「何か拙いですか?」

「よいよい、長の器量で得た物でおじゃる。誇れば宜しいでおじゃる」

「そんなものですか?」

「そんなものでおじゃる」


竜様は他にも貴族となるのは生半可な事では成れる物ではなく、王に認められるだけの器量を見せた俺が素晴らしいと言う事を言い、賞賛の嵐であった。

それに、二カ国の日ノ本と違う国の貴族であることで俺が外交などに今後関われば日ノ本にメリットがあることを喜ばしい事だと言われた。

他にも俺の愛刀の大小に魔を払う力がある事等を述べると、驚くより「長なら不思議ではおじゃらぬ」と言われて普通に納得されてしまった。

そして、貿易について聞くと、朝廷でもお墨付きを与える様に天子様に奏上頂ける事となった。

日ノ本でも朝廷お墨付きを貰えるのであれば更にやり易くなるので感謝を申し上げた。


「ところで、竜様が何故切原野まで来られておるので?」

「おお、そうでおじゃったな。実は関白の依頼での九州の諸将の勧誘でおじゃる」


竜様は現関白のお猿さん(豊臣秀吉)の依頼で、九州征伐前に現地の九州の諸将の勧誘を行っているという。

丁度、骨休めを兼ねて切原野に来たところで俺が帰国したと言う事らしい。

竜様曰く、九州征伐の目的は現関白の治世を盤石にする為に全国統一事業を行っているが、その一環でのことで、屈服するならば本領安堵するとのことだ。

勿論、島津の様に大領地になっている所は厳封して戦力の均一化をして統制することを狙っている等々の内ゲバ話もされた。


「関白と島津の戦いと言ったところでおじゃるな」

「まぁ現天下人のお猿さんに少しは歯向かえそうなのは島津位でしょうな」

「島津は頼朝公以来の名門が成り上がり者に礼遇など出来ぬと言っておるでおじゃるしな」

「他は如何なのです?」

「麿が行くまでもなく、書状を送れば関白に従う旨の書状を認めて寄越して来ておるでおじゃる」


切原野に滞在してても書状を送って既に懐柔済みという。

流石は曲者の朝廷の実力者の能力は健在のようだ。

それにしても歴史通りの動きであるが、少しだけ島津には同情してしまう部分もある。

そもそも、大友家と島津家は何年も争っているのであるが、織田殿(織田信長)と竜様の仲介で停戦合意していた。

しかし、骨肉の争いをしている両者の停戦なぞ守られることなく大友側が先に仕掛けた。

島津は先に仕掛けられたことを名目に大友を攻めて優勢の立場となって行った。

大友は煽られて先に手を出したのかもしれないから、何方が先にと言ってもお互いに退くことはなく、言い分も食い違うかもしれないが、名目上として島津はそう主張しているらしい。

他にも周りを見渡せば元主家の現在は家臣と言う訳ではないが、相良家は元主君の修理大夫義陽様がお亡くなりになり、息子で長男の亀千代殿が家督を継いだそうだが、急死してその弟君の長寿丸殿が十二歳で家督を継ぎ四郎次郎長頼を名乗られたという。

現在は彼が相良家を率いているが、何と島津家に与している。

お猿さんの九州征伐には戦々恐々としているであろう。

つまり、竜様は敵の勢力ど真ん中の切原野に滞在しお猿さんの為に働いているという何とも空恐ろしい事をしているという訳だ。


「島津も相良も流石に神仏の加護を多々受けるこの聖地を襲うなぞ天地がひっくり返っても無いでおじゃる」

「そうなのですか?」


本当か?とか思って控えて居た長門守に目線を送り確認すると答えが返って来た。


「一度、攻めようとしたようですが、相良様がお止めされたそうです」

「新しい相良の殿様がね~」

「はい、父の非礼を詫びたいとも蔵人様宛に書状が届いて居るようで、帯刀様が蔵人様の代りに不在を伝えて御座います」

「成程ね・・・相良の殿様に挨拶行った方が良いかな?」

「いえ、下手に蔵人様が動かれますと均衡が崩れ何が起こるか予想出来ませぬで、当初予定の通りに一度京に上り、天子様以下朝廷へご報告に上がられた方が良いかと存じます」

「解った。長門守の言に従おう」


どうやらそのようなので、「それが良いでおじゃろう」と竜様も言われた。

竜様は「相良は既に懐柔済みでおじゃる」と言ってニヤリと笑われた。

お猿さんと仲良い俺が下手に接触すると島津が動くと言う事なのかもしれないので、早々に京に向うこととした。

そうと決まれば、旅支度をと思ったが、手配済みのようだった。

奥さん連中にどうするか聞くと、美羽と莉里がついて来て春麗がお留守番してくれる事となった。

里子、羽も俺に同行すると言う事で、長門守を含め同行メンバーは選抜済みとのことだ。

そして、千代も今回又着いて来るという。

理由を聞けば、お市の方の子供たちの様子見だという。

そう、お市の方は亡くなっており、その子たちがお猿さんの許に居ると千代は聞いたらしい。

どうも羽がお市の方たちの救出に向ったがお市の方が拒み、子供たちだけを預けたという。

千代の経歴を知る羽はどうやら千代に告げたようだ。

後で千代の様子を確認しよう。


★~~~~~~★


予想通り父上はお師匠様(上泉信綱)の最後の教えを私から教えられることを拒んだ。

お師匠様の最後の様子を父に聞かせたのであるが、言葉も挟まず最後まで聴いて居られた。

途中では少ししんみりした様に父上が涙ぐんだ様な感じで目頭お抑えたりしておられたが、最後の父上への御遺言を伝えると雰囲気が変わった。


「師匠がそんな事を・・・」

「はい、それで父上?」


安穏とした雰囲気は何処かに消え去り、父上の気が満ちて行く。


「ああ・・・娘に教えを乞う?何それ?ありえないんですけど~!!」


予想していたような言葉が父上の口から出たのでおかしくなった。


「うふふふふふ~」


それを疑問に思った父上が訝しげに私を見られる。

しかし、直ぐに気持ちを切り替えられた様に私に言い放つ。


「何?麗華何がおかしいの?まぁいい!俺がもっと凄いの編み出して麗華に教えるから不要じゃ!!」

「さ、左様ですか?うふふふふふ~楽しみです」


本当に父上は私が予想した形の言葉を言われたので更におかしくなった。


「おう!俺があの世の師匠に会う時には師匠にも俺の研鑽した技の数々を披露してやろうぞ!!」

「はい、お師匠様もきっとお喜びになるでしょう」


実に父上らしい口上である。

お師匠様も草葉の陰で大笑いをされ、お喜びになっているであろう。

父上が亡くなるまでに積み上げるであろう研鑽はどれ程のものになるか私自身も楽しくなって来た。


〇~~~~~~〇


物語では暗躍し裏で関白(豊臣秀吉)を助けている風に書いております近衛前久は、史実ではそんな行動はしておりません。

時期的には足利将軍家ゆかりの慈照寺東求堂を別荘としていたり、上野国草津に湯治下向したりと悠々自適な隠棲生活をしていた時期で、関ケ原の戦いまでの間は大きな動きもせずに穏やかな生活を送っていたようです。

近衛前久も50歳を超え初老でしたので仕方ないのかもしれませんが。

40歳前位には九州に下向して島津家や相良家等とも関りを持ち、九州の有力者たちとも誼を通じていたのでもし仮に史実で近衛前久が九州で暗躍すれば大活躍したことでしょう。

羽柴秀吉が関白に就任する為に近衛前久が猶子として受け入れたりと、秀吉に協力しておりますが、この関白就任には一騒動あったようです。

1585年の話と云われておりますが、この時、近衛前久の息子で嫡男の近衛信尹のぶただ(信輔)は左大臣の職にありました。

この時の現職の関白である二条昭実(父親が二条晴良)と彼が関白の位をめぐり口論したと云われます。

これの一連の流れは「関白相論かんぱくそうろん」と呼ばれるもので、この言い争いこそが秀吉が関白になる布石になったと言われています。

この口論の後、天下人となる人物である秀吉に恩が売れると踏んだ菊亭晴季が蠢動します。

ではどのような口論内容だったのかと言えば、豊臣政権の確立を間近だった為、秀吉を相応の官職に就ける必要性が発生しました。

相応と言うのは大臣以上と言う事で、秀吉は内大臣となります。

その後、菊亭晴季の辞任を前提に秀吉を右大臣に昇進させ、この時関白であった二条昭実は1年程度の関白在任を経てから近衛信輔に関白を譲り、信輔は引き続き左大臣を兼ねる予定だったと云われています。

しかし、秀吉は右大臣就任の打診を受けた際にこれを拒否したと云われます。

理由は信長が本能寺の変で亡くなった時、右大臣の極官であったこと。

右大臣は縁起が悪いので左大臣に就任希望を打診したそうです。

時の天下人の要望ですから叶えようと動く事となりますが、この時の左大臣は近衛信輔でした。

これを聞いた近衛信輔は在任わずか半年の二条昭実に関白を譲るように迫ったとされます。

恐らくは元○○という一時無職の様になる前官状態を嫌ったからと云われていますが、詳しくは解っておりません。

さて、近衛信輔は「近衛家では前官の関白の例はない」と主張しました。

それに対し、昭実は「二条家では初めて任命された関白が1年以内に辞めた例はない」と主張したそうです。

明かに近衛信輔の要求が無茶なので二条昭実に軍配が上がります。

当時の公家の論争と言うのは「三問三答」という3度意見書を出して争うもので、お互いに出し合うのですが、近衛信輔は型破りの4度出したなどともいまれます。

結局は朝廷内では解決出来ず、泥沼化したようです。

そして、次に二人が取った行動は秀吉への直談判だったようです。

そうなると秀吉側で事態の収拾策について協議されることとなって、家臣の前田玄以や公家の菊亭晴季らが呼び集められ協議したと伝えられています。

その時、菊亭晴季が関白就任を秀吉に勧めたと云われております。

秀吉もこれに賛同したことで駆り出されたのが前関白の近衛前久でした。

秀吉を前久の猶子として関白を継がせ、将来的には信輔を後継として関白職を譲るという案が出されましたが、実は秀吉と前久の関係は良好な物でなかった為、恐らくは前久は相当屈辱を感じ苦悩したのではないかと思われます。

秀吉の要求に屈するほかなかった前久は秀吉を猶子として関白宣下を受けられるようにしたようです。

この作品では主人公を通じそれなりの仲ではありますが、この政争部分をどの様に書くか?と一時考えましたが、主人公を国外から排除すれば書く必要も無いと言う事に気が付き、主人公は欧州に旅立たせました。

さて、この話を入れたというのはある意味伏線とも言えます。

次回、その伏線を回収予定!!

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