第297話
長崎から八代に船で向かう。
船と言っても快速帆船ではなく、廻船に乗っての移動だ。
俺の持て余している資金と藤林が集めた人員を一部充てて廻船問屋を営んでいる。
「丸藤屋」という屋号で営んでおり、規模も年々膨らみ現在は日ノ本でも指折りの廻船問屋となっており、日ノ本の流通の一部を担っている。
「丸」は、勿論、丸目の丸で、「藤」は藤林の「藤」だ。
この屋号を決めた時、長門守からは恐縮されたが、「藤林あっての事じゃから藤林の藤の字は必ず入れる」と言い張ったら、長門守には珍しく男泣きされてしまった。
助けを求め奥さんの弓ちゃんに目をやると、此方も泣いている。
オロオロしてしまったのは良い思い出だろう。
さて、廻船問屋を直ぐに始めるには知識などが足りないので、各地の豪商たちにお願いしたりしてそんな色々な伝手から研修的に自員を預けたのはもう一昔前で、俺が京で兵法大会を開いた頃位までに遡る。
何気ない一言からこのプロジェクトは始まった。
忍者の諜報で必要なのは二次職で、日ノ本の各地にすんなり入る為には色々な職業の中でも怪しまれずに移動できる職が必要となる。
そんな職業の一つが商人としてと言うのもあるが、廻船問屋もその一つとして検討され実施に至った。
商人をやっている者などは名すら出て来ない謂わば忍者用語で言われる「草」となる。
忍者と解っている商人なぞに関わろうとする権力者はいないだろう。
そんな中、廻船問屋は解っていても防ぎようも無い。
何せ船の行き来を邪魔しようものなら、その地域の経済が停滞する。
解っていても見て見ぬふりするしかないし、そもそもが怪しい行動をしなくても廻船問屋と言うのは意外と情報が入って来るから願ったり叶ったりなのだ。
この廻船問屋という企画は俺の発案から立ち上げられた幾つかの企画の中でも最も大規模なもので、他の廻船問屋と大きく違う点は造船すら行う事であろう。
終いには俺のうろ覚えな部分も多々ある言葉の数々から快速帆船を作り上げて今後運用して行くその技術力も売りとなる事であろう。
さて、そんな廻船問屋の運航する一便に便乗し、八代に行き、そこからゆっくりと切原野を目指す。
先ずは地元に戻って海外での仕事の疲れを癒す予定だ。
その後は京に行き、天子様、朝廷のお偉方に特使としての任務の無事終了を伝えなければならないだろう。
使者の仕事は報告までが仕事だ。
遠足は家に帰り着くまでが遠足であるのと同じ様なものだ。
切原野に戻ると先触れを出していたからか庭先に勢揃いしてお出迎えがあった。
見渡せば皆変わりないようで安心する。
中には新顔もいる。
新顔の中でも注目はセドナだろう。
春(春長)の嫁で、夢の中の神域で一度会っているが、改めてご挨拶。
「初めましてで良いのかどうか迷うが、初めまして、丸目蔵人長恵と申す。春長の親となるが、春長の事をよろしく頼みます」
「はい、初めまして。いえ、お久しぶりです。神域ではお世話になりました。春長様に嫁ぎ私は幸せで御座います。こちらこそ、まだ日ノ本に来て日も浅いので解らぬ事も多く御座いまする。何卒、よろしくお願いいたします」
実に流暢な日本語を話すセドナ。
俺と彼女が夢の中の神域で会ったことはお互いにここに居る者たちに話して聞かせているだろうから驚く者は居ない。
そう思ったが、出迎えの中の一人は驚いていた。
「長よ、長の仕事ご苦労でおじゃった」
「いえ、良い経験をさせて頂きました。竜様(近衛前久)は此方に何かご用向きで来られたのですか?」
「ああ、関白の依頼での」
「関白と言うと、お猿さんですか?」
「おほほほほほ~今の関白に対しても「お猿さん」呼びとはの~流石は長じゃ。時に、先程、セドナと神域で会うたと言うておったが、誠か?」
「はい、セドナも異国の神の末裔で、摩利支天様含む数柱の神の仲介で会いました」
「何と・・・」
竜様に後ほど神と話した内容を伝えた。
竜様の興味を引いたのはやはりと言うか何と言うか、セドナの加護についてだった。
船が嵐に会っても絶対に沈まないことと、言語の加護と言うのは外交にとって大きいと見たのか、竜様はブツブツと独り言のように「春に与える官職は外交の物でおじゃるかの~」と言っていた。
官職?何のことかと思っていたら、羽(羽長)と利(利長)は官位官職を授かっているそうだ。
公の場では二人ともその官職で呼ばれる事になっているそうで、羽が
名前だけの官職かと思えば、それなりの仕事をしているという。
朝廷で何か仕事をしているのかと聞けば、特に本人たちが苦になる様な事はしていない様だが、羽が皇太子様に人員の派遣をしており、身辺警護の為に手練れの者を五名出向させているそうだ。
年に数回、少なくとも一回ほど朝廷に顔を出せばいいという程度の事らしい。
利の方は朝廷への丸目家からの寄進の金子を羽と共に貢に行くことと、財政の一部管理をしているという。
昔、山科様経由で朝廷の財政難軽減の為に投資として商人に金を貸し出すことを提案したことがある。
その額も年々増えて行き、現在は当時の凡そ20倍近くの予算が割り当てられて商人に投資しているらしい。
莉里がメインでその投資の管理をしていたのであるが利が引き継いだ際に官位を頂いたらしい。
その投資により、俺が前世で聞いていたような貧乏朝廷ではなく、それなりの小金持ち朝廷となっているようだから、この世界線では朝廷の権威はそこまで落ちていない。
そんなこんなで、二人に官位官職を朝廷が与えているという。
竜様曰く、「お主が自分の官位を上げたり官職を引き受けぬからでおじゃる」だそうだ。
二人とも従五位の官位となっている模様。
さて、他にも師匠(上泉信綱)が亡くなったそうだ。
最後は麗華が看取ったという。
麗華は剣術修行として師匠の下を訪ね弟子入りし、最後の弟子となったそうだ。
免許皆伝を師匠より授けられ、その印可の目録の中には「新陰流総伝」と聞き覚えの無い物まで含まれていた。
そして、娘より師匠の俺宛の遺言を聞く。
「師匠がそんな事を・・・」
「はい、それで父上?」
「ああ・・・娘に教えを乞う?何それ?ありえないんですけど~!!」
「うふふふふふ~」
「何?麗華何がおかしいの?まぁいい!俺がもっと凄いの編み出して麗華に教えるから不要じゃ!!」
「さ、左様ですか?うふふふふふ~楽しみです」
「おう!俺があの世の師匠に会う時には師匠にも俺の研鑽した技の数々を披露してやろうぞ!!」
「はい、お師匠様もきっとお喜びになるでしょう」
そして、俺はその日から自分の剣術を「タイ捨流」と名乗ることとして皆に伝えた。
やはりと言うか皆に「タイ捨」の意味とか聞かれたのでうろ覚えの知識で、タイとは「体・待・対・太」等々の多くの意味を含み、全ての雑念を捨てる「捨」の精神を表したなどと嘯いてみた。
要は自由自在の剣術であることを言い、「右半開に始まり左半開に終わる、すべて袈裟斬りに終結する」と俺の知る言葉を何となくカッコ良さげに自分に酔いつつ言ってみた。
後々、弓ちゃんがこの日の事を日記の書き残しており、後世にその言が伝わる事となるが、俺が知る由もない。
〇~~~~~~〇
設定追加と今までのあらすじ一部確認的な話となりました。
さて、書いた可能性も含みつつ改めて「タイ捨流」について語りたいと思います。
本文中にも書いておりますが、タイ捨流の「タイ」は多くの意味を含めて「タイ」とあえてされたそうです。
「捨」はべての雑念を捨て去るという意味合いだけではなく、何事にも囚われない様に何事も捨て去り、自由自在の境地を表しているそうです。
何だか禅の精神っぽいですね。
丸目長恵が提唱した「捨」の精神は中々に面白いと私は感じています。
「捨」と言いつつも何事にも囚われないというのが重要なようで多くの事を取り入れて昇華しています。
例えば、禅の精神を取り入れているかと思えば、神道のものを。
禅の精神は師の上泉信綱の剣術である新陰流の影響だと思われます。
そして、「摩利支天」を信奉し、摩利支天の法を用いたり、神道の超古代から受け継がれるという武の道を融合したり、はたまた中国拳法も取り入れ、それに飽き足らず、キリスト教に入信して医学などを学び東洋・西洋をも丸呑みするその貪欲さ。
「捨」じゃなく「加」じゃないの?と言いたくなるような彼の行動も実に面白いです。
さて、そんなガラパゴス的な剣術ですが、実践向きの剣術だと云われる所以はやはりその精神性だと思います。
物事に囚われない「捨」の精神なのに蹴り・目潰・関節技含め飛び道具なども活用したり、地形や攪乱技などを用いて相手より優位に常に立ち回ることで先の先を制することを旨とした矛盾しているようで矛盾していない所が実に面白い剣術だと思います。
彼の生き様を見るに「至誠通天」と言う言葉を思い出されます。
意味としては、一生懸命に誠の心を尽 くして行動すれば、いつかは必ず天に通じ認められるという意味合いで使われます。
丸目長恵は「剣術を極める」と言う部分に特化して誠の心を尽 くたのではないかと思われます。
さて、「至誠通天」と言う言葉は実は戦国武将の前田慶次郎利益が言ったとされる言葉「無法天に通ず」の元ネタと云われています。(小説家・隆慶一郎先生の創作語彙かもしれませんが。)
この「至誠通天」の言葉は中国の儒学者である孟子の言葉とされています。
この価値観は多くの偉人が共感した言葉のようで、吉田松陰の言葉で「誠を尽くせば、願いは天に通じる」と言うものもあります。
意味合いとしては同じようなものですが、何事においても、一つ一つ誠実に行い、精一杯の努力をすれば、願いは必ず叶うというものです。
ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智教授も座右の銘もこの「至誠通天」らしいですが、結果を出した方の座右の銘だと思うと更に含蓄ある言葉に聞こえますね。
因みに、前田慶次郎利益の言ったとされる「無法天に通ず」とは「無法」と言う言葉をもモジったもののようです。
通常では「無法」と言うのは良い意味では使われません。
乱暴狼藉する者を無法者と言うように、アウトローな行動をすることを「無法」と言います。
天下の傾奇者と云う無法の極致みたいな人間が言うのが中々洒落ていますね~
「無法天に通ず」は、無法者ですら誠の心を尽 くして行動すれば、いつかは必ず天に通じ認められるはずだつてことでしょうかね?
さてさて、物語は丁度九州征伐の真っただ中で、時代的に言えば1587年初頭の時期に主人公たちは帰国した感じです。
この年は九州征伐だけではなく大きなイベントも目白押しです。
主人公がそんな中どの様に立ち回って関わって行くか、書いている私もどの様に関わらせて行くか頭を捻っておりますが、皆様に楽しんで頂けるように書いて行きたいと思います。
次回は今回の続き的な話となります。
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