第292話

明日は忙しそうなので先行掲載!!

明日も時間があれば書き上げてUPしますが時間無ければ・・・


◇~~~~~~◇


「左近殿!」

「お主にその名を呼ばせることを認めておらぬ」

しま殿!是非とも我が配下にお加わり頂きたい」


面倒臭いという様に顔を歪め手でシッシと手を払う動作をしながら「一昨日来やがれ」と言われた。


「一昨日も伺いましたよね?」

「洒落の通じん奴じゃの~」

「洒落なのですか?」

「おい!何処をどう聞いても嫌味じゃろが?」

「嫌味ですか?」


言われてみれば確かに、「一昨日来い」と言われても一昨日は過去であり、過去に行くことなど出来ぬ。

嶋殿が「冗談も嫌味も解らぬ堅物め」と言いながら刀の手入れを始められた。

相手にする気はさらさら無いといった感じであるが、是非とも彼を配下に加えたい。

三国志の劉備玄徳は三顧の礼をもって諸葛亮孔明を配下に加えたという。

三回の訪問でよく味方になってくれたものよと思う。

現に私は何回、何十回も彼の許を訪問し、無下にされておる。


「何度訪問すれば配下に加わって頂けますか?」

「は?何度とは?」

「いえ、劉備玄徳の三顧の礼を思い出しまして・・・」

「わははははは~中々に面白い事を言うではないか!!」


何故か嶋殿の機嫌が良くなった。

考えていただけで特に冗談等で言ったつもりはないが、嶋殿は「中々風流で洒落た事を言うではないか」と言って少しだけ耳を傾けてくださるようじゃ。


「して、何回来るつもりじゃ?」


楽しそうに聞き返して来る嶋殿。


「残念ながら今回で一旦仕舞いとさせて頂きます」

「左様か」


一気に興味を無くしたという様に、また刀の手入れに戻られた。


「関白殿下(豊臣秀吉)のご命令にて堺奉行に任じられるこことなっており、ここに伺う事が叶いませぬ」

「へ~出世したのなら良かったじゃないか」

「左様ですが・・・嶋殿を配下に出来れば、尚、良かったのですが・・・」


本当に残念極まりなく、それが顔に出ていたのであろう、嶋殿は私に質問する。


「それにしても、何故、儂の士官を望む?他にも在野で優秀な者は居ろう?」

「例えばどの様な方がおいでですか?」

「そうじゃの~」


嶋殿は思案し始めた。

確かに渡り奉公をしておる者も居るし、在野でも居るには居るが、私自身がこの人物と思う者は嶋殿をおいて他に居ない。


「丸目殿などどうじゃ?」

「丸目とは帯刀殿(羽長)や大蔵助殿(利長)ですか?」

「違う、違う、そ奴らの親父殿よ」


私とって意外な人物の名が挙がり、驚きつつも渋い顔をした。

正直に、本当に正直に言えば、丸目二位蔵人様の事は嫌いじゃ。

先ず、関白殿下(豊臣秀吉)事を「お猿さん」等と呼ぶのが気に入らぬ。

確かに関白殿下がまだ雑兵以下の存在の頃からの知り合いだと言っても、あのような態度は頂けぬ。

仮にも天下を治めようとしていた織田家の重臣であった関白殿下に対してあれは無い。

そう言えば、あの方が日ノ本を離れ、随分と月日が経った。

今や天下の関白にお成りになった関白殿下に対しても「お猿さん」等と呼ぶのであろうか?


「何じゃ?不服そうじゃあな」

「まぁ・・・」

「在野で最も優れた人物と言えばあの御仁をおいて他に居らぬと思うぞ」

「しかし・・・」

「何じゃ?何か奥歯に物でも詰めたか?言いたいことがあるならば言えばよかろう?」


そう言って嶋殿は聞き返して来る。

色々と気に入らぬ御仁であるが、何より気に入らぬはあの物の言いようであるが、それとは別に徳川様とも仲が良いことだ。

恐らく、徳川様は天下を狙っておる。

殆どの者がそう思っておらぬようだが、関白殿下亡き後は必ず天下を手中に収めようと動き出すはずじゃ。

その時、丸目様がお味方になられるかは未知数じゃ。


「あくまでも予測にての話で御座いますが・・・」

「おう、聞こうか」

「はい、関白殿下が仮に先の将来にお亡くなりあそばした祭」

「えらい先の話を言うの~」

「はい、先の先を見据えるが私のお役目と思い、精進して御座る」

「ほう、良い心掛けじゃが、先過ぎぬか?」

「いえ、二十年程でそうなるかと・・・」

「おう、そうか。それでそちの見立てではどうなると?」

「はい、徳川様が天下を狙われるのではないかと・・・」

「ふ~ん・・・徳川様がね~」

「それで?」

「はい、その時に丸目様は何方にお味方されますか?」


そう言うと、嶋殿は考え込まれた。

そして、嶋殿は言う。


「丸目殿はその時考えるんじゃないか?」

「え?」

「あの御仁は雲のような方じゃ。掴みようがないフワフワしておる」

「確かに・・・」

「しかし、あの御仁は空の彼方より眺めるが如く物事を見据えて動かれるぞ」

「そうなのですか?」

「わははははは~石田殿にはそう見えぬか?」

「見えませぬ・・・」

「まぁ確かにあの御仁を配下に加えるのは無理じゃな。関白様でも徳川様でも、その時の天下人でも難しかろう」


そう言って嶋殿は面白そうに此方を見詰められた。

そして、私に問われた。


「もし仮に、関白様が亡くなれた後、その後継者となるお方が居るのに徳川様が天下を狙われれば、大戦おおいくさとなろうな~」

「そうですね・・・」

「その時お主はどんな立場でいるつもりじゃ?」

「徳川様に対して止める立場にて・・・」


総大将として迎え撃つと言い切りたいが、私にそのような器量はあるであろうか?

迷ったような言い草で言うと、気に入らないと言った態度で嶋殿は言う。


「そこは反徳川の者たちを全軍を指揮して戦うというのではないか?」

「現実感に欠けます」

「真面目じゃの~よし!仕えて進ぜよう」

「え?・・・今何と?」

「仕えてやるから全軍指揮するようなそれに準ずる立場と成れ。その時には儂がその方の副大将じゃ」


そう言って嶋殿、いや左近は私の配下に加わることを約束し、早々に出仕して来た。

巷ではこの私にとって幸運な仕官話は形を変え世に流布される。


〇~~~~~~〇


第三弾は石田三成!!

丁度、この物語の今の時期に石田三成が嶋左近を配下に加えた時期と重なります。

嶋左近は在野の中でも人気銘柄だったようで、多くの者が声を掛けたと云われています。

しかし、実際に彼を射止めたのは石田三成。

当時の三成は佐和山19万石の領主でした。

その内で直轄地の石高は4万石あったと云われています。

他は、勿論、元からの家来の取り分で、新しく人を入れる為には残り4万石を減らして渡すしかない状態でした。

実際には2万石で嶋左近は三成に仕えたと云われています。

確かに2万石は当時でも破格の待遇だと思いますが、それ以上の値を付けて仕官を願った者は居たと思われるのですが、三成の説得で嶋左近は出仕したと云われています。

その時に、どのような内容で話されたのかは不明ですが、きっと胸アツな内容だったんだろうな~と勝手に想像しております。

さて、2万石と言うのは嘘か誠か解りませんが、実際であれば凄い待遇なのです。

どの位に凄いかといえば、藤堂藩初代藩主にして生涯で十もの家に仕えたという浪人で渡り者のスペシャリスト、藤堂高虎は1576年頃、丁度、物語の現在から10年ほど昔の頃の話ですが、羽柴長秀に仕えておりました。

この当時の禄高(給与)は300石だったと云われます。

そして、丁度、物語の現在の頃は大名となっており、1万石の大名でした。

そう考えると、嶋左近が2万石って凄い事ですよね~

この当時、藤堂高虎はまだ羽柴秀長を主としており、秀吉に謁見するため上洛することになった徳川家康の屋敷を聚楽第の邸内に作る作事を任されたそうです。

羽柴秀長直々に作事奉行として高虎を指名したと云われております。

その作事の際に渡された設計図に警備上の難点を見つけた様なのですが、何と驚くことに独断で設計を変更し、その上で費用は自分の持ち出しで行ったそうです。

流石は「築城三名人」とも呼ばれる人物だといういうエピソードですね。

さて、話は戻し、実は石田三成は人材登用が凄い人物で、嶋左近以外にも渡辺勘兵衛という豪傑をも登用した実績があります。

この人物は羽柴秀吉や柴田勝家が登用しようとした人物で、その当時ではやはり破格の1万石とも2万石とも言われる値札が付いた人物なのですが、何と驚いたことに、石田三成がまだ秀吉の小姓の頃にも拘らずその人物を射止め、配下に加えました。

何と驚くことに500石での召し抱えだったと云われています。

このエピソードの面白いのは、秀吉は自分がハンマープライスで誘った人物が自分の小姓である三成に仕える事となったと言う事を知ると、500石の禄しかないはずの三成がどうやって仕えさせたか気になり直々に聞いたと云われています。

三成はその問いに対して、「自分の手持ちである500石全てを与えた」という事を述べ、「自分が100万石取りの大名になった際には10万石を与えると約束した」という出世払い方式を提案したことを言いったそうです。

勿論、秀吉は驚愕しました。

しかし、ここで謎が発生します。

秀吉は「それじゃあお前何処住んでるの?」という疑問を三成に投げ掛けたそうです。

そうですよね~給料を全部部下に与えているのですから自分自身が賄えません。

三成は「勘兵衛の家に居候しております」と回答したと云われ、秀吉が大笑いしたと云うエピソードが残っております。

関ケ原の戦いでも渡辺勘兵衛は大活躍します。

黒官の配下で勇猛さで知られた後藤又兵衛基次と一騎討ちし互角に渡り合っています。

後藤又兵衛基次は「槍の又兵衛」と呼ばれる程の槍の使い手で、黒田家に仕えていた頃は「黒田二十四騎」「黒田八虎」に名を連ね、黒田家を出奔後、大坂の陣では「大坂城五人衆」の一人に数えられた程の豪の者です。

さて、渡辺勘兵衛は西軍が負けたことで結局は出世払いを得ることが出来ませんでした。

西軍の敗走に伴って重傷を負ったと云われており、戦で負けて自分自身も手傷も負っており自害を考えた彼は最後に主君である石田三成に今生の別れを言いに向かい、石田三成と最後の会話をしたと云われています。

三成は手負いで虫の息の勘兵衛の手を取り、約束の10万石が夢なった事を詫びたそうですが、勘兵衛は三成にそれまでの恩義に感謝を述べるだけだったそうです。

そして、自害したそうですが、武士としてカッコいいですね~

死に際まで感謝される主君、石田三成って秀吉の子飼だけあり中々の人誑しですが、凄く良いエピソードであると思っております。

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