第287話

「うわっ!春様の嫁・・・美しい・・・」

「やらんぞ」


切原野に帰って来た。

お師匠様(上泉信綱)の葬儀など終わってから四十九日を終えてから、戻って来た。

私のお供のとび(鳶加藤の子、加藤鳶蔵とびぞう長飛ながとび)が物欲しそうな顔で春の嫁という美しい女性に見ている。

つい、ムキになってセドナを抱き寄せている弟が何だかおかしい。


「こら!人の嫁を物欲しそうに見るなよ」


せき(麗華の従者、音羽おとわ関)に頭を叩かれながら鳶が羨ましそうな視線をを投げ掛けて来る。


「二人とも春様と麗華様の邪魔しない」

「「は~い」」


徳姉(鳶加藤の娘、加藤徳子とくこ)が二人を窘めたことで、その場が改まる。

そして、春が改めて嫁を紹介する。


「俺の嫁、セドナだ」

「セドナ・パニックと言います。セドナは私たちのご先祖の神の名です」


セドナという異国の少女が流暢なこの国の言葉を話す。


「弟の春をよろしく頼む」

「いやいや、俺が兄でしょ!!」


弟の春が自分が兄だと主張する。

よくあることで、もうお決まりの言い合いだが、姉の座を譲る気は無いので言い合いは続くだろう。


「春!」

「何だ?」

「恒例のあれをやろう」

「おおいいぞ」


そして、私と春は恒例の試合を行う。

ここ数年のそれぞれの成果を見せる時となる。

私はお師匠様(上泉信綱)に師事し、兵法を磨いた。

春は春で己を高める方法を模索し、海を渡ったのであろう。

さて、私もどこまで自分が高められたか楽しみだ。


「では、いざ勝負!!」


★~~~~~~★


利は早々に意中の女性を射止め兄弟中では最初に結婚した。

春は海を渡り、セドナ嬢を嫁に貰って来た。

儂も許嫁の恵姫(羽柴秀吉と寧々の娘)に会いとうなった。

そう言っても、度々会いに行っている。

母(美羽)が空を飛ぶことを見て、自分も飛べることも知り、姫に会いに行けるように修練を積んだ。

母の様にまだ飛ぶ事は出来ないが、それなりには飛べるようになり、ここから堺まで大凡二日で行き来できるまでとなった。

父上たちが日ノ本を旅立ったから一年が過ぎた頃、恵姫の許を訪ねた。


「羽様、いらっしゃいませ」

「ああ、恵姫、貴方に会いに来たよ」

「まぁ!」


彼女の笑う姿が大好きだ。


「羽殿いらっしゃい」

「寧々様、お世話になります」


大坂本願寺の跡地に巨大な城を築き、天下に覇を唱え、今や天下を治めている羽柴、いや、豊臣の名を天子様より頂いた立身出世の大人物、豊臣藤吉郎秀吉、それが彼女の父である。

彼はあっと言う間に正二位内大臣となり、関白になった。

そうなると、恵姫の価値はぐんと上がるようで、引く手数多だったと聞く。

しかし、俺とは釣り合わぬという事を言う者もそうなると多くなる。

そう言った者たちを黙らせるためには、手柄を立てる事が手っ取り早いと、陣借りをして戦へと赴く事もあった。

賤ヶ岳の戦いでは浅井の姫君たちを城より助け出した功や、小牧・長久手の戦いでは徳川様の陣に赴き、和平の手引きをした。

もし、父上が日ノ本に居れば儂の代わりに赴くことになったであろうことを理解しているが、恵姫との仲にとやかく言う事を黙らせる効果はあったようだ。

確かに手柄は得たが、後悔もある。

それは・・・


「柴田様・・・」

「おう、丸目殿の倅殿が気に病むことはない」

「お市と娘たちの事はお任せください」


柴田殿とのやり取りが思い出され、今でもあの時の光景を思い出したように夢に見ることもある。

賤ヶ岳の戦いで陣借りした際に藤林一党の情報網から柴田様がお市の方やその娘たちを避難させようとしていることを知り、小一郎様(羽柴秀長)に陣借りして居ったので、その情報を彼に上げた。


「羽殿、その情報を得たそなたらなら穏便にお市の方様、姫君たちを場外に連れ出せようか?」

「恐らくは可能かと」

「左様か・・・では頼む」


そう秀長様に言われ、柴田様にお会いして、姫君たちを場外にお連れできたが、お市の方様はお助けできなかった。


「もう夫と死に分かれるのは嫌で御座います」

「しかし、お市・・・」

「権六様、お市の最後の我儘をお聞き届けください」


そう言ってお市の方様は城に残られ、柴田様と共に露と消えた。

お市様からも姫君たちの保護を頼まれて、陣中までお連れして、大手柄であることを認められた。

しかし、もし仮に父上がこの任を担っておれば、お市様はまだこの世に居られたのではないかとふと思う事はある。

父ならば柴田様すら救ったかもしれぬとも思ってしまうから不思議で、己の度量がまだまだ足りないことを痛感した出来事となった。

そう言えば、戦に出る際に元服が必要と言われ、小一郎様に頼み、烏帽子親になって貰い元服したのだが、「兄者が烏帽子親をやりたいとごねておったぞ」と言われたが・・・

そんな訳で急遽元服して戦に出た。

小牧・長久手の戦いまでの功績で文句を言う者ほぼ居なくなったので、許の様に戦に出ず本来の仕事に戻ることとした。

元の仕事と言うのは、父上の代理だ。

利(利長)が莉里母様の代理で丸目家の私財管理をしているのと、朝廷の折衝も行っている。

儂は父の代わりに丸目家全体の事と、武士関連の事に当たる。

父上自体が誰にも仕えていない身なので、することは殆ど無いといえようが、恵姫とのことでそれなりの実力を見せる必要があり、兵法者としてもそれなりに修行もしている。

寿斎叔父の所に出向き教えを請うたり、柳生石舟斎殿の所やその他諸々の伝手を辿り、修行もしている。


〇~~~~~~〇


羽長編になりました。

羽長編は特に豊臣秀吉等々の人物たちと絡む話になって来ます。

それと、利長(主人公と莉里の息子)もここで出てくる予定です。

さて、陣借りという言葉が出て来ましたが、戦国時代ではよくある戦参加の手法で、正規兵としてではなく、非正規兵で自費負担、押し売りの戦力として参加して手柄を狙う傭兵といった形の立場の者たちの事です。

仕官先を追い出されるなどした武将が、配下と共に再起を狙い参加する手段として陣借りでというのはよくあったようです。

桶狭間の戦い時の前田利家がまさにこれを行いました。

他にも、渡り奉公というものが有ります。

これは、より良い待遇と出世を求め仕官と出奔を繰り返し家々を渡り歩き、戦場を駆ける者も居ます。

これをする武将は多かったようですが、陣借りと大きく違うのは、ちゃんと仕官しており正規兵なので、手弁当片手に戦場を駆けずり回るより可成りましなので、こちらを選ぶのは仕方ない事でしょうね。

豊臣秀吉が天下統一したことにより戦場で活躍できる機会は大きく減りましたので、陣借り・渡り奉公は衰退していきます。

それにより、奉公の関係は主人が強くなります。

主人が気に入らない家来はいびられます。

戦国時代なら敵方に寝返るという手も有ったかもしれませんが、平和な時代は大名同士が結託して罪を犯して改易された家臣や主人の不興を買って暇を請わずに勝手に出奔した家臣などには、他家がそう言った人物を召し抱えないように釘を刺す内容の回状を回す様になります。

これを奉公構ほうこうかまえと言います。

かまえというのは追放を意味です。

奉公構の概念は、戦国大名の分国法にも見られますが、それが強まったのは間違いなく豊臣秀吉が天下統一以降です。

この構を受けた者を「構われ者」と言います。

有能な者でもこれを受けると仕官先が無くなります。

何とあの有名な江戸時代の発明家、平賀源内も構われ者となりました。

豊臣政権下では奉公構は必ずしも守られなかった様ですが、江戸時代の幕藩体制下ではかなり守られるようになりました。

それで、平賀源内ですが、讃岐高松藩の第5代藩主の松平頼恭よりたかに仕えていましたが、辞職時に奉公構を食らいました。

幕府老中の田沼意次の覚え目出度かったので、幕府に仕えようとしていたようですがそれが叶わなくなり、発明家としてやその他多くの才を開花させて行きますが、酔った勢いで二人殺傷し、獄中死します。

平賀源内の最後は意外過ぎて私は知った時驚きました。

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