応援コメント

第286話」への応援コメント

  • 上泉信綱ですが、孫の上泉孫四郎(夢想流開祖、北条に使える)の元に世話になっていたという説もあります。

    作者からの返信

    コメありがとうございます。
    上泉信綱の息子の上泉秀胤が北条家に仕えていますから、多分世話になっているんじゃないですかね?
    上泉家の優良な系譜がそんな感じなので、信綱の三男の石森行綱、その息子の秀信・義胤(孫四郎)も北条家に身を寄せて居たのかな~と思います。
    余程の有力な人物でないと昔の人物は資料が乏しいので痕跡を追えないのであくまでも予想の範疇を出ませんけどね~
    孫で言えば、秀胤の息子の上泉泰綱が北条家が没落した後は浪人となり、直江兼続の配下になってます。
    通称、上泉主水として知られており、会津一刀流剣術の開祖となった人物です。
    この人物は長谷堂城の戦いで最上家の勇将・志村光安に敗れ戦死しています。
    剣術の開祖を幾つか排出する上泉のDNAの凄さたるや・・・


  • 編集済

    >さて、上泉信綱の没年は1582年と言われています
    史実(説)より大分長生きしたという事でしょうか

    要訂正文です
    >はい、本よりその心積りです
    →元より
    >何時お迎えが着てもおかしくはない
    →来ても
    >儂以上の高みを至るだろうし
    →高みに至る
    >あの世で蔵人が高見に至ってあちらの世で儂に
    →あの世でをカット
    →高みに
    >好きな時に出て行くよいと
    →出て行くがよい

    作者からの返信

    コメありがとうございます。
    誤字脱字報告感謝です。
    上泉信綱の没年は実際にははっきりしていませんが、1582年と言う説が有力と言われています。
    そう言う訳で、通説より数年は長生きしたのですが、諸説の範疇に収まる範囲であることと、仙術を習った彼なら数年程は寿命伸びそうと思いそう設定して話を創作しました。
    それと、亡くなる時には主人公の縁者に看取らせたかったというのもありますね。
    史実では長恵と信綱は会えずじまいですし、物語の関係上でも難しそうでしたので。