第265話

女王様(エリザベス1世)からある人物を紹介された。

名をフランシス・ドレークと言う。

何となく何処かで聞いたような?・・・

此方の世で聞いた情報としては、プリマス(イングランド南西部のデヴォン州にある港湾都市)と言う名の市の市長をしていたという人物で、元奴隷船の船長や海賊を生業としていたが、世界一周を成し遂げ、前述したプリマス市長に選出され、その後、海軍へと入り、現在は海将の一人となった人物だと言うことだろう。

俺の乏しい前世の世界史の知識を総動員して思い出すと、ホーン岬とドレーク海峡を発見した人物だったと記憶している。

ホーン岬はチリの南、南アメリカ大陸南端部に位置するなんちゃら諸島最南に位置するなんちゃら島最南端の岬である。(※ティエラ・デル・フエゴ諸島最南に位置するオルノス島最南端の岬)

要はアメリカ大陸最南端の場所ってことかな。

そして、ドレーク海峡は見つけたという本人の名を冠する海峡で、ホーン岬の横の海峡で、南アメリカと南極の間の海峡で、確か、世界でも最も荒れる海域の一つとして前世では知られていた。

今は無いが前世のあの時代にあったあらゆる世界一を登録しているギネスブックでは世界一広い海峡として載っていると何かで読んだと記憶している、いや、聞いたんだったか?まぁそこら辺は曖昧だしいいか。

この発見は当初から大発見だと言われ、立身出世の物語と共に噂として聞いていた。

何が大発見かと言うと、この発見前まではマゼラン海峡(チリとアルゼンチンの間の海峡)が大西洋と太平洋を結ぶ唯一の海峡と考えられていた。

そこに新しい道を示したのだから大発見と言えよう。

そんな人物との初顔合わせは実に友好的な雰囲気の中行われた。

(英語での会話です)


「お初にお目に掛る、サー・フランシス・ドレークと申す。今は女王陛下より海軍に将を任せて頂いて居る者だ。ドレークと呼んでくれ」

「こちこそお初にお目に掛る。私は長恵・蔵人・丸目と申す。クランドと読んでください」

「聞いておりますぞ!!「悪魔祓いのクランド」殿ですな!!徳の高き聖者とも聞き及んでおります。しかし、美人揃いの嫁を複数人持ち色男と聞いておりましたが」

「見掛け倒しでしたかな?」

「いえ、そのような事は御座いません。昔の知人からも凄い方だと聞き及んでおりましたし・・・」


テンション高く、そして、昔の知人という者はどうやら俺を知る人物のようだ。


「何でもクランド殿の奥方たちを売ったのは俺だと自慢しておりましたので」

「あ~・・・あの奴隷商人ですか?」

「はい、これでも元奴隷商船の船長でしたので」


ウインクしながら友好的に接して来る。

ポルトガルの商人だったけど、どうやら奴隷繋がりであの商人とは昔馴染みだったようだ。

意外と気の良いおっさんで、話している内に打ち解け、何だか仲良くなった。

仲良くなってからはどうやら馬が合うという感じらしく、殆どため口で、呼び捨てだった。


「クランド、俺にも悪魔憑いているのか?」


言われるまでも無く、先程から視ているが、このおっさんの気は強い様で、体内に侵入しようとした呪詛が軒並み砕けると言うか、おっさんの体に触れた瞬間に灰になった様にボロボロと崩れていく。

初めて観る現象なので千代に聞かなばどういう事か理解できないので、有りの侭に話した。


「ドレーク船長の体に触れた途端に崩れて消えていくぞ」

「ほ~それは良いのか?悪いのか?」

「解らん」

「え~~!!如何なのか調べられるか?」

「まぁ、色々な事象に詳しい者が同行者に居るから、聞けば解るかも?」


結局、後日、千代に聞いた結果を伝えた。

天然で気の強い人物が居ると言う。

そのような人物は大を成す事が多く、立身出世でも人が羨むほどの結果を出したりすることが多いという。

いうなれば、天然の強運の持ち主であると言う。

あまりに強い強運で呪詛などの魔を自分で打ち破る程の力を持つ者だと千代は行った。

その事を本人にも教えたやったが、どうやら自分自身でも強運であることを誇っていたので納得された。

そう、俺もこのおっさんの強運を言われて思い出した。

ドレーク船長の最大の功績は新海峡を見つけた以上のものが有った。

それは・・・


「女王陛下、お暇のご挨拶にお伺いいたしました」

「クランドよ、もっとここに滞在してもよいのだぞ」

「いえ、母国の責務の外交が御座いますので、次の国へと向わねばなりません」

「左様か・・・残念じゃが責務では仕方ないの」

「はい、最後に女王陛下にアドバイスを一つ」

「何じゃ?」

「はい、ドレーク殿は大を成す方の様ですので、重用されると良きかと存じます」

「ふむ・・・具体的にと言っても先の世の事じゃろうし、何を成すかは流石に解るまい・・・しかし、クランドの事じゃ、また何やら不思議な力でもって言っておるのであろうしな・・・相分かった、少し考えようぞ」


まぁ先の歴史を何となく知っている俺のアドバイスを聞くか聞かないかは知らんけど、一応は世話になったし置き土産だよ。

英国の王室は先も続き令和の世でも健在であったし、奇しくもその時代の英国の女王も「エリザベス」という名であった。

運命なのかどうかは解らないけど、偶然の一致に奇縁を感じるし、日本の皇室とも前世では仲が良いと聞いたから少しだけ贔屓したよ。

さて、俺は女王様に旅立ちのご挨拶をし次の国へと旅だった。

俺が言わなくても歴史通りになると思うが、確定未来で恩が売れるのは実に美味しいし、仲良くなったおっさんにも恩が売れた事だろう。

遠い空の下、ドレーク船長の活躍を期待しよう。


丸目蔵人たちが欧州を離れ数年後、イングランドはスペインとの関係がどんどん悪化する。

宗教問題やイングランドがネーデルラントへの介入したことによってその関係性は悪化して行ったと云われる。

イングランドによる私掠船によってスペイン船や入植地に対する海賊行為が横行した事により、スペイン王のフェリペ2世が侵攻を決意させる一つの要因になったとも云われる。

ドレークもこの少し前から、アメリカ大陸にあるスペイン領への大規模遠征を指揮したりと、スペインと精力的に矛を交えた。

戦いは当初、スペイン・ポルトガルの連合艦隊で当時、「無敵艦隊」とも呼ばれる程に強大なスペインの艦隊がイングランドに攻め入る事が想定されており、イングランド側は苦戦必至と考えていた。

スペインはサンタ・クルス侯アルバロ・デ・バサンが艦隊計画を発案し、その予算書が残されていたという。

初戦となるレパント沖での海戦の予算だけ見ても度肝を抜く程の高額であったとして知られる。

その海戦の為に用意された予算だけを比較しても、スペインがイングランドの約7倍ほどの予算であったことから、あまりにも高額過ぎるという意見が出た程で、実際に予算縮小が行われた。

代案として艦隊規模を縮小し、上陸部隊はスペイン領ネーデルラント総督パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼの陸軍を活用することとなったが、それでも差は歴然であった。

この時、イングランドと同盟国のネーデルランド連邦共和国(オランダ)の船団を率いた海軍総司令官は初代ノッティンガム伯爵チャールズ・ハワードと云われている。

彼はこの当時、海軍卿という役職に就いており、アルマダの海戦を始めとするスペインとの英西戦争を指揮したと伝えられている。

そして、アルマダの海戦と呼ばれる一連の戦いでは実際に指揮を執っていたのは、英国艦隊の副司令官に任命されたフランシス・ドレークであるとされる。

この副司令官率いるイングランド艦隊が準備妨害の為、カディス港(スペイン南西部の港)に来襲し、スペイン船30隻前後が破壊または捕獲されたと云う。

アルマダの海戦でのドレークは元海賊らしい戦法でスペインの艦隊を壊滅させ、英雄となる。

この知らせを聞いたエリザベス1世は家臣に「クランドの慧眼恐るべし」と語ったとも言われるが、公式な物にはその痕跡は残っていない。

一部のエリザベス1世の近しい部下の日記には丸目蔵人が立ち去る際に言った言葉とスペイン艦隊撃破の朗報を聞いて喜んだかの女王がそう漏らしたとだけ書き残されていたことから、欧州の極一部の歴史研究家の中には「丸目蔵人は予言者」「丸目蔵人は未来人」等々の事を言う者も居たというが・・・


〇~~~~~~〇


英国から次の国へと渡ります。

さて、ドレーク船長の元海賊らしい戦法とはどんなことをしたのか気になりますよね~

実は、古来他国で使われた戦法に似ているのですが、いつ廃棄してもおかしくない様なボロ舟を用意し、燃やして相手艦隊に突っ込ませたそうです。

火薬も積んでおり、相手艦隊に突っ込んで爆発炎上させたなどとも語れらます。

実際にどうかは知りませんが・・・

これにより多くの船に損害が出てある程度の船が航行不能になった段階で用意周到に突撃を仕掛けたと言われます。

実はこれに近い事を三国志の戦いで行われました。

三国志の中で最も有名な戦いと言われる「赤壁の戦い」でその作戦は行われました。

長江の赤壁(湖北省咸寧市赤壁市)にて行われた曹操軍と孫権・劉備中心の連合軍との戦いで、推定ですが曹操軍20万~30万に対し、連合軍は5万前後と圧倒的に曹操軍有利の戦いと当初云われていました。

実際に勝利したのは連合軍で、アルマダの海戦とは結果が違うのですが、それは置いておき、この戦いは人気になるのが頷けるように規模もさることながら多くのドラマを生んだ戦いで、三国志でも圧倒的人気を誇る戦いとなりました。

三国志スキーの方なら詳しいと思いますが、ここで特に大活躍したのが劉備玄徳が三顧の礼で迎えた軍師、諸葛亮孔明です。

彼の最初の見せ場は曹操軍の圧倒的な質量にビビった孫権陣営を説き伏せ戦へと導いたシーンでしょう。

孫権の許に行った際、諸葛亮に味方と言える人物は孫権配下で唯一抗戦を説いた魯粛ろしゅくという人物だけだったと言われます。

そんな針のむしろみたいなところで舌戦を行います。

無事に孫権を納得させ戦いへの参加を取り付けます。

そして、次の見せ場は周瑜との駆け引き等々ですかね~

周瑜から「矢用意しろ」とか無理難題言われたりと中々の暗闘が味方内でも繰り広げられました。

しかし、実際に赤壁の戦いで勝負を決めた一手は孔明関係なく、黄蓋こうがいという孫権配下の宿将の建策による偽降と火計によるとも云われます。

この功績で、彼は武鋒中郎将に任命されます。

要は功績が認められ大出世したと言う事です。

形は違いますが、偽降して内部に入り込み、火計を仕掛けた策はドレークが行った戦法に似ていると私は思います。

艦隊を一つの大きな物体として捉え、そこに火を投入するやり方が実によく似ていると感じます。

両者ともに物事を俯瞰して見て、規模に対し有効な一手を考え出したことに賞賛ですね。

この戦いで一時的に曹操を退け、曹操軍の衰退を促したことも実によく似ている結果だと思います。

この2つの戦いを見ると、場所や条件など等、色々違う部分は多々ですが、歴史は繰り返すと言うのをまざまざと見せつけられた様な感じがしますね~

同じ火計で少数の方が大勝利し、後にその一手が規模が大きい方の衰退へとつながる一歩となるところが実に似ていますね~

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