第264話
何か知らんが「 Venerable(
エリザベス1世の推薦と言う形でプロテスタントの聖人の様な称号だ。
うん。カトリックも通常は死後に調査に調査を重ね聖人認定すると聞いたのに、何故か俺は生きている内に「聖人」認定された・・・更に言えば、キリスト教徒ですらないんだけど・・・
仏教的に言えば生き仏?かな?まぁ宗教によって色々だろうけど、こんな俺にそんな称号与えて良いのかと自分事ではあるが思ってしまう。
「わらわがそなたを「 Venerable(
「いえ、そのような称号は・・・」
「いや、クランドをカトリックの者どもだけに独占させるはプロテスタントの者として捨て置けぬのじゃ」
う~ん・・・宗教絡みはややこしいね・・・
俺的に「聖人」すらどうでもいい、いや、何方かと言えば怖いわ~何か死後に
信仰もしていない様な宗教に祭り上げられるとか少し怖いのだけど、気が付いたらそうなっていたので諦めたけど、今回は何とか防ぎたいと思い言い募っているが、女王様(エリザベス1世)の推しが強い。
呪詛斬りしてからは特に気に入られたような気がする。
刀の由来を聞かれたので、隠す気もないので教えたら、食い入るように聞かれた。
特に脇差の神刀は神よりの賜わり物と言うと凄く驚かれた。
戦いの神でもあり、妻のご先祖であることも説明するとあれこれ聞かれた。
特に妻たちの話は同じ女性だからなのか凄い聞かれた。
一神教のキリスト教のプロテスタントを信奉する女王様だから他宗派の神だとか信じないかな~とか思ったけど、意外と考え柔軟で、崇める神が違う事に対してはそこまでの忌避は無い様で、過去に神は大勢いたのではないかと言う事なども語られた。
その根拠がギリシャ神話だった。
その根底にあるものは何か気になって聞いてみると、為政者としては中々先進的な考えを持っているようだった。
39カ条信仰告白が制定し、イングランド国教会体制を確立させたが、それはあくまでも政治的なもので、彼女自体は神を信じれど宗教に依存せずと言う為政者だと解った。
しかし、その女王様が俺を「 Venerable(
評価して頂いている事については有難いよ、でもね・・・権力争いに巻き込まれるのは御免被りたい。
まぁそう言う面倒臭い事は置いておき、友好と言う意味では好感触だ。
王様(フェリペ2世)同様に献上品をしたが、女王様はなんちゃってボーンチャイナのティーセットが気に入られた。
そう、以前何気に投げてた適当な聞きかじりのボーンチャイナの製法を日本の職人さんは美味い具合に昇華して作り上げてくれた。
勿論、俺も資金を提供したりとスポンサーとなったよ。
しかし、日ノ本では今一流行らなかった。
原因はある茶匠様の影響だ。
今、日ノ本は空前の詫び寂びブームで黒とか赤とかの茶器が好まれる。
ボーンチャイナの様な純白の白磁は今一人気が無い。
勿論、昔からの中国白磁は愛好家もおり、それなりの人気なのであるが・・・
どこぞの茶匠様曰く、上品過ぎる白さが鼻に付き、趣が無いらしい。
喧嘩なら・・・まぁ買わないけどね。
物の価値は売れる所・需要のある所に持ち込めば良い訳だ。
日本で売れないなら海外に市場を求めればいい話。
丁度、ヨーロッパに行くのだからと、今回は50点のティーセットを持ち込んだ。
なんちゃってボーンチャイナ改め、「
名付け親は、勿論、女王様だ。
「これは何という名の何処の品じゃ?」
「そうですね・・・日ノ本・・・わが国で私が思案して作らせましたが、特にまだ名を決めておりませぬ」
「ふむ・・・そなたのラストネームは「マルメ」であったな」
「はい」
「意味はあるのか?」
「意味・・・「
「ならば、そのままではあるが「
「如何とは?」
「勿論、商標に商品名じゃよ」
命名されました!!
しかも、英国王室御用達の称号も獲得しました!!
英国での販売は王家に卸す形となりましたが・・・しかし、王家が販売を斡旋してくれるらしい。
まぁ色々の面倒がないので、それもお受けすることとした。
あ~ローストビーフとか出たし、骨あるだろうから仕入れるか~
多分、ゴミだろうし、格安で手に入ると思うから、こっちから輸入するのは手だね。
スペインに戻った際、王様から「círculo ojo《丸目》」の商標を頂いたのはご愛敬だろう。
★~~~~~~★
集落に付くと大歓迎された。
どうやら助けた者たちはこの集落の物資を買って戻る途中の一団で、野盗に襲われていたとのを助けたことでそうなった。
歓迎の宴では食文化が違うことに驚かされる。
「春様・・・生肉ですね」
「生肉だな」
蝶(蝶兵衛)が俺にその生肉を見ながら驚いて伝えて来た。
うん、気持ちは解るが、父上も「すし」なる美食は生の魚を酢を混ぜた握り飯の上に乗せた物と言っていた。
それを母たちに言うと、腹を下すから生で食べては駄目だと言う事を懇々と注意されたと言って話してくれたが、火も通さずに食える程に新鮮な物で、通常では食べられないからこそ食べたくなるものだと話していたが、まさか海を渡った先でその生食に出会うとは・・・
「
助けた者たちの代表者だった男は身振りで何か伝えようとしているのであろうが、言葉が通じないというのは中々に厄介である。
「春様~「どれも美味しいから食べてみろ、食べたら頬が落ちるほどうまいぞ」ですかね?」
「さぁ・・・解らんが、猪(猪助)がそう言うとそういう風に聞こえて来た・・・勧められたのに食べないのは悪い、どれあの生肉から行ってみるか」
そう言って俺は何の生肉かは解らぬが、一番珍妙な物から手を付けることとした。
鹿(鹿之介)はボソリと「いや、食べられそうな物だけ食べろじゃないですか?」と言っていたが・・・
「うん、何か普通に食えるわ」
俺はニッコリ笑顔でそう言うと猪・鹿・蝶は少し顔を引き攣らせつつどうするか迷っているようで、三人で顔を見合わせている。
一方、俺が生肉を取り、食べたことで周りの男たちは目を丸くし、笑いながら肩をバンバンと叩いて来た。
うん、間違った選択ではなかったようだ。
人間不思議な物で、身振り手振りでもある程度接していれば何となく解って来るようで、宴の席の間に少しは意思疎通が出来る様になったと思う。
俺によく話し掛けてくれる助けた者の代表者の男は名を「パニック」と言うらしい。
自分を指して「パニック」と言い、名前を聞く様な動作をしているので、「春(はる)」と名乗り、猪・鹿・蝶もそれぞれに愛称の「いの・しか・ちょう」
を名乗った。
〇~~~~~~〇
「パニック」はイヌイットの言葉で、「雷」を表します。
名前を考える時にネットでイヌイットの事を調べてみたのですが、 イヌイットの名前は文化的アイデンティティが不可欠な様です。
環境と密接に結びついている為、自然要素、動物、気象パターン、景観の特徴を反映することが多く、作中に出て来た「パニック(雷)」の様に自然現象をそのまま何したりもするようです。
また、歴史的な物語や物語その物が込められていることもあるようで、祖の人生における重要な出来事、経験、功績を記念する名前も付けれれる様です。
例えば、「ナヌク」と言う名前も付けれれるそうですが、「白熊」を意味します。
アラスカでの最強の捕食動物なので、それを親等が倒したとかで付けられるようです。
コミュニティや家族内でのその人の役割を示す名前もあるようで、英国などで職人の子供に「スミス」など付ける様な感じで「ウキウクタクトゥク(成功したハンター)」と言う名もあるようです。
他にも精神的な意味のものや、敬意と名誉等々の名付けもあるようですが、基本的には自分の産まれて来た子供の事を考え、深い意味を込めて慎重に選ばれるようです。
さて、作中本編で「 Venerable(
これ知っている人は凄いかも?
同じキリスト教ですがカトリックとプロテスタントは別物の宗教ではないかと思える程に色々違います。
その一つが、プロテスタントには「聖人」は居ません。
しかし、聖人に該当する称号として「 Venerable(
女性の場合は「克肖女」と呼ばれるようです。
「神に近い人間の本来の姿を取り戻した聖人」を意味する言葉らしいです。
イエス・キリストは真の神であり真の人であったとされ、克肖者・克肖女はそれに酷似した者と言う意味合いでもあるようです。
この「 Venerable(
正教会では特に第一の聖人とされる聖母マリアに次ぐ第二の聖人とも呼ばれる克肖女で、キリスト教全体でも崇拝される人物で、キリスト教の聖人の一人です。
中々の波乱万丈の人生を送った方ですが、最初から立派な人と呼べない様な話もあり、人間味にもあふれる人物です。
エジプトに生まれ、12歳で親元を離れ、アレクサンドリアと言うエジプト第二の都市に移り住みます。
移り住んで以降17年間位は淫蕩の生活に溺れていたと言われます。
今風に言えば親元を離れはっちゃけたんでしょう。
ただし、売春には手を染めず、糸紡ぎという職でお金を稼ぎ、肉欲目当ての無報酬で男達と事に及んでいたと云われます。
現代社会でもアルアルですが、ここまで聞いて堕落した女子大生を連想してしまいます。
それから、正教会の大祭を見物に行った様なのですが、お祭りムードに充てられてムラムラ来たのか、行きずりの男と事に及ぼうと物色しながら何故か船に乗り、エルサレムに行ったそうです。
そこでも淫蕩生活全開だったようですが・・・
しかし、ここで転機が訪れます。
彼女はエルサレムに折角来たのだからとエルサレムの至宝(キリストが磔にされたという十字架)を観ようと聖堂に足を運びますが、見えざる力によって押し返され聖堂に入れなかったそうです。
その時に自らの淫蕩という罪を自覚し、涙を流して聖母マリアに祈りを捧げ、願掛け的に十字架を見る事が出来たのならば、これ以降は淫蕩を止めると誓いを立てたところ、聖堂に入る事が出来、十字架(至宝)も目にする事が出来たという逸話が残っています。
それ以降は修行生活に入り、着物は擦り切れた襤褸を纏、食事は山野で得た物で飢えを凌ぎ、情欲を抑えつつ修行に励んだようで、47年ほどの期間に渡り修行を行ったようです。
その生涯から「淫蕩生活から、修行と苦難を経て高徳を得た聖人」として知られます。
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