第262話

「「マルーメ」じゃなくて私のラストネーム苗字は「」ですよ?」

「ほう、クランドは「」をご所望か?」


王様(フェリペ2世)は面白そうに俺を見てそんな事を言う。

絶対に何かあるのは間違いない。

ジッと見詰められたまるで俺の回答を楽しみに待つようにされると気色悪いぞ。

何だろう背中がザワザワして変な汗が流れる様な感じがする。

この回答で何だか凄い大問題とかになりそうな予感がビシバシと・・・あくまでも勘ではあるが、こういう時は馬鹿に出来ない。

己の勘を信じ恐る恐る「マルーメ」と呼ぶ理由を訪ねると、王様(フェリペ2世)は文官さんに説明含め、あれこれを俺に教える様にと指示を出された。

うん、何だか重要で長くなりそうな予感がするから有難い。

場所を移し、文官さんと話して解ったのは、本当にとんでもない事であった。

「マルメ」ではなく「」の爵位になった理由としては、次の通りである。

デーン人と呼ばれる人々が住むスカンジナビアと言う場所にスコーネ地方と言う所がある。

その一都市に「マルメ」という都市があるそうで、俺が「マルメ伯爵」を名乗ると不都合が生じるらしい。

不都合とは、如何にもスペイン国がその地を奪おうとして既成事実の様に「マルメ」の爵位を作り、与えるという侵略前提の様な建前ではないかと先方に思われてしまう事だ。

そう言う訳で「マルメ」と言う貴族の家名を与えると国際問題化する恐れがあるそうだから仕方ない。

それで「マルーメ」と言う伯爵位を急遽拵えたらしい。

うん、朝廷が苦肉の策として「蔵人くらんど」言う今まで無かった官位を作り俺に与えたのと同じく、「マルーメ」と言う名の今まで無かった伯爵位を作ったようだけど・・・

何か日ノ本から報告上がっていたのかもね。

一応は宮廷伯となるらしいその家名は土地とかは無いそうだから、名はあれど・・・と言うやつだ。

元々が他国の官位持ちの者だしね~土地とか権限とかは変に与える物じゃないし、早々与えられんよね、と言うより与えるべきじゃないかな?納得納得!!

ただし、「グランデ」と呼ばれる特権保持者に与えられる称号付きで与えられたそうだ。

凄い名誉なことで、上の爵位を得ても「グランデ」付きの爵位を名乗り続ける者も居る程には名誉らしい。

更に、1つの特権でも名誉なのに、一気に三つの特権が与えられたと言う。

特権としては


一つ、王に直答が許され、苦言などを言う権利

一つ、宮廷内に現在俺が所持している二刀のみ持ち込み、所持を許可

一つ、宮廷内で術の行使を許可


勿論、国家に対して害をなさない、王を害さない、貴族たち・並びに宮廷職員たちを無暗に害さなと言うのは前提条件に付けるまでも無く当たり前に遵守することだ。

暗黙の了解と言うやつでこれが守れない者は軽蔑され、場合によっては爵位を失い、最悪は首が物理的に飛ぶ。


「マルーメ伯爵、陛下からは他国の貴族である為、爵位授受の儀式は執り行わないで爵位を渡すだけでよいと承っておりますので、後日、家紋などの色々な貴族の方々に必要なことをお教えしたいかと存じますが、宜しいでしょうか?」


宜しい宜しくないではなく、必要だから日にち空けて聞けってことね・・・

爵位返上とか・・・今更言えぬ・・・

俺はこうして「マルーメ伯爵」となった。

そして、「祓魔のクランド」として名を広げる事になり、「Conde Exorcista祓魔伯爵」等と呼ばれるようになる。


★~~~~~~★


「春様(春長:主人公と春麗の子)、黙ってこんな所まで来ちゃって怒られやすよ」

「そうですよ~」

「帰りましょうよ~」


俺に意見するのは猪鹿蝶(猪助いのすけ鹿之介しかのすけ蝶兵衛ちょうべえ)の3人だ。

三つ子である彼らは藤林家の配下の家の者で、俺の御付きとして俺に付けられた者たちだ。

楯岡たておか家の者で父上に名前を付けて欲しいと願った結果、父上が三つ子と知り何故か猪・鹿・蝶の一字づつを与えた。

名を与えた時には意味が解らないと周りの者も思っていた様だが、最近は「歌留多かるた」と言う札を使った遊びが流行り出し、決まり手の一つを表す物であることを皆が知り、父上の博識さを皆が持て囃しており、他にも同じ様に歌留多の札を表す文字を与えられた者がこの世代には多い。

しかし、父上が一字を与えた頃はまだ「歌留多」は流行っておらなんだのであるが・・・

何とも不思議なことであるが、父上を信望する彼・彼女らは疑う事など微塵もない。

「実に雅だ」などと言って喜ぶので、俺は自分の疑問に蓋をした。

それよりも、今は帰るか帰らないかの話であったな。


「いや、父上は十五になれば好きにしてよいと言われた・・・」

「え~それは春麗様もそう仰せでしたか?」

「母上は・・・あまり無茶はするなと・・・」

「海を渡るは無茶ですよね」


いの(猪助)がそう言って里に帰ろうと言うが、俺は是非とも虎と白い熊が見たくて日ノ本を出た。

何方も日ノ本には居ない獣じゃ。

虎は黒と黄土の縞模様の肉食獣で、猫の様な見た目の獣と聞く。

白い熊は大きいものだと人の倍以上の背丈があり、前足の薙ぎで簡単に人を吹き飛ばす程の力を持つ獣と聞く。

両方共に共通するのが、人一人では太刀打ちできない程の獣で、戦えば獰猛である事だろうか。

何方か片方だけでも見ない事には帰りとうない。

そんなことを考えていると、遠くを指さし見るようにと促された。


「春様!あそこ!!」

「何だ?ちょう(蝶兵衛)」

「あ~野盗か?襲われておるな」


どうやら視線の先では野盗が誰かを襲っているようだ。

最初に会う現地人が野盗と襲われる者たちとなってしまった。


「助けないんですか?」

「そうだな・・・助けるか?」


鹿しか(鹿之助)に促されて襲われている者たちに助太刀することとした。


〇~~~~~~〇


主人公たちとは別で息子たちの行動も活発化して来ます。

さて、花札の猪鹿蝶から由来する三兄弟が出て来ました。

日本にカードゲームが初めて上陸したのが実は丁度安土桃山時代で、南蛮貿易を契機にポルトガル人によって運ばれて来た物の一つだと云われます。

「歌留多」は元々はポルトガル語で「carta(カルタ)」と言い、カードを表します。

天正期には国産の「歌留多」が作られたそうで、当時の歌留多が一枚だけ残っており、ある美術館にその一枚が所蔵されているそうです。

江戸時代には一気に広がり、その地独特のローカルルールなどが生み出されました。

絵柄なども地方によって少しずつ違ったりした為、色々な名前で呼ばれたようです。

そして、花札と言えば博打でしょうか?

歌留多を使い賭博行為が横行したようで、江戸時代を通じて一貫して禁止とされました。

まぁ禁止しても減ることはなかったようで、江戸幕府は小売店・製造元を摘発したりしたというから驚きです。

この頃になると「花かるた」と呼ばれるようになっていきます。

絵柄に花が描かれているからそう呼ばれたようです。

そして、明治時代になっても違法賭博の用具として用いられたため、「花かるた」を侮蔑を込めて「花札」と呼ぶようになったそうです。

実は、今は普通に言われる「花札」とは侮蔑の蔑称!!

花札は博打の用具として用いられたことにより日本以外でも流行ります。

日本から満洲国へと輸出され、現地では「大連花だいれんか」等と呼ばれました。

朝鮮半島にも李氏朝鮮末期に伝えられたそうで、「闘花ファトゥ」と呼ばれ、日本統治時代の八月札には、芒の上の満月に「餅を搗く兎」の絵が描かれていたそうです。

花札が1組48枚で12ヶ月に分けて月毎に4枚ずつ折々の花・植物が書き込まれたことから、八月の月を表す札が八月札と呼ばれました。

そして、なんと花札は遠くはハワイにも伝わります。

ハワイでは「サクラ」と言う名で親しまれたそうです。

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