第249話
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一つ、京の都で戦を行わない
二つ、京の都を放棄した場合、元正二位右大臣の地位にあった者を弑逆した罪として朝敵と致す
朝廷よりの使者として近衛様(近衛前久)がお見えになりその事が伝えられた。
傍らには丸目三位殿・・・
丸目三位殿は徳川殿に同行し三河へ行ったと言う噂があったし、事実、三河より京に舞い戻って来たと聞く。
しかし、本能寺で見たと言う者も居るし、毛利方と羽柴勢の和睦を取りなしたとも伝え聞く。
まるで複数人の丸目三位殿がいる様じゃが、時間と距離的な問題で全ての事を一遍に行うは不可能なことじゃ。
恐らくは丸目三位殿の手の者が何かしら動いたのであろうが・・・
そんな事より、今は近衛様から言い渡された件が問題じゃ。
「近衛様!!どういう事で御座いましょう?」
「どういう事とは何でおじゃる?」
惚けた様な態度で聞き返す近衛様。
公家はこれだから質が悪い。
「一つ目は解りますが、二つ目の事は
そう、京に戦を持ち込まないのは、今後、天下を治める上では重要な事なので頷ける。
一度手放してもまた奪い返せば済むことじゃ。
しかし、問題は2つ目だ。
それを解っていての事であろうが、足枷を着けに来たか?
近衛様はまた惚けたふりで聞き返して来る。
「そうでおじゃるか?」
「我らは坂本にて迎え撃つ算段で御座った」
「さよか」
近衛様はそんな事はどうでもいいという様に返事を返された。
朝廷もこの以上の下剋上は許さないと言う事か?
確かに上様(織田信長)は朝廷との関係は良好であった・・・しかし、それは私の働きでもあるはずなのだが・・・
朝廷は高官の者を討った私に不満なのであろう。
思案していると近衛様は私にお声掛けされた。
「惟任よ」
「何で御座りましょうか?」
「織田殿がお主に攻められた際は場所が選べたのでおじゃるか?」
「それとこれとは話が違いまする!!」
話が違う!!
今は・・・いや、それだけ朝廷は「元正二位右大臣の地位にあった者を弑逆した罪」と言う物を重く見ておると言う事であろう。
「話が違う?まぁ確かにそうでおじゃるな」
「・・・」
認めたがこれは間違いなく前振りじゃ。
次に言って来る言葉は恐らく・・・
「しかしな、朝廷としては謀反を起こしたお主が朝廷を見捨てて逃げると言う事となると織田殿の様に、何時、寝首を掻かれるか不安でおじゃるでな」
やはりか・・・そんな気は毛頭無いが・・・謀反人とはやはりここまで言われるものなのか?
道理ではあるのかもしれぬが・・・
「それは・・・しかし、私めは朝廷に牙を剥く事など
「さよか・・・しかしの~皆が皆、お主が何時織田殿の時の様に事を起こすかとびくついておじゃる」
「京を守りながら戦えと言う事ですか?」
私を一瞬鋭くにらんだ後、近衛様は扇をばさりと開き、「おほほほほほ~」と高笑いされておるが、目が笑っておられぬ。
次の言葉こそが真意であろう。
「お主が謀反を行った事実は変わらぬでおじゃるが、京の都を、朝廷を、主上を守る意志あらば、この条件を飲み、織田殿への謀反は朝廷の為に行ったという態度を見せるのは悪い事ではおじゃらぬと思うがな~惟任は如何思うでおじゃる?」
「・・・お言い付けに・・・従い・・・まする・・・」
もう、口答えは出来ぬ・・・従うより道は無し・・・
「おほほほほほ~惟任よう言った!!天晴じゃ!!」
今度は本当に愉快と言うように笑われた。
羽柴勢が堺に集結しておるというし・・・迎え撃つとすれば・・・摂津では無く山城か・・・いや、その境辺りでと言う事になろう・・・
呆然としておると、近衛様は一言二言を丸目三位殿と話されその場を後にされようとした。
今まで一言も話さなかった丸目三位殿が別れの挨拶を口にされた。
「惟任殿、お達者で」
「え?」
此方の返事を待たず、近衛様の後を追われたが・・・「お達者で」?
まるで今生の別れのような・・・いや考え過ぎか・・・
「内蔵助(斎藤利三)」
「ここに」
「聞いたであろう?」
「はい、坂本にて待つこと叶いませぬな」
「そうじゃな」
それは仕方ないが、依然として味方が増えぬ。
親類となった細川家からは義絶の通達が成された。
噂では三七郎様(織田信孝:信長の三男)に忠誠を誓う旨の使者を出したとか・・・
娘の玉(ガラシャ)は幽閉されたとか・・・
不安が顔を覗かせていたのであろう、内蔵助が良い話題を振って来た。
「一色様はお味方頂けるそうに御座いますな」
「丹後から援軍に駆け付けるとの事じゃが・・・」
「何かご懸念が?」
「細川家が未だ味方に付かぬでの・・・丹後から来る一色殿は今回の戦に間に合わぬかもしれぬな・・・」
丹後の一色家が味方になったことは有難いが、京に向かう道中には細川の所領がある。
今のままではただで通してくれるとは思えぬが・・・
「なに、羽柴の猿公を打ち負かせば、細川様も心変わり致しましょう」
「そうだな・・・」
さて、そうなると、大和の筒井(筒井順慶)に加勢頂こう。
思案し始めると内蔵助はジッとこちらを見詰め下知を待つ構えのようじゃ。
「もしやすると、筒井殿にも羽柴の調略の手が伸びておろうが、此方に味方してくれるかな?」
「わははははは~筒井殿は十兵衛様(明智光秀)の与力でございますれば、味方するは当たり前に御座る」
「そうか?しかしな・・・」
「されば、河内の牽制をお願いされては?」
「そうじゃな・・・そうしよう!!」
内蔵助の言に従い、筒井には河内国の牽制をお願いする旨の書状を認めた。
羽柴軍は徐々に膨れ上がり、二万を超えたと聞く。
当方は一万五千、しかし、そこは策で埋めれば良かろう。
これ以上の介入者が現れるは拙い事じゃし、筒井殿には河内の牽制を依頼したことで、少しの憂いが無くなった。
後は、羽柴殿との決戦じゃな。
〇~~~~~~〇
山崎の戦の裏舞台ですが、惟任日向守(明智光秀)の敗因で大きく関わると言われるのが細川家であることは前述べてかな?・・・
まぁ親類となったで本来は味方するのが定石なのですが、細川幽斎(細川藤孝)と言う人物は処世術が抜群だった様で、この時の選択で滅亡を回避したと言われます。
本来は光秀と共に処断されておかしくない程の人物でしたが、この時の行動で生き残りました。
またもう一人、本来は光秀に味方するであろうと目された筒井順慶が裏切ったことで戦局が大きく変わったと言われます。
さて、筒井順慶は光秀の与力でもありましたが、それ以上に姻戚関係も結んでおりました。
光秀の次男の定頼と言う人物を養子にしていたようで、惟任側に味方すると思われていたようです。
しかし、勿論、秀吉は調略を行っておりました。
ここでポイントとなるのが「
京都と大阪の境にある峠ですが、筒井順慶の参戦を促す目的で光秀は洞ヶ峠まで進軍したと云われています。
参戦を促す?味方してなかったの?と思うと思いますよね。
実は筒井順慶は光秀に河内国の抑えに兵を出し、隙あらば味方するようにと依頼されていたようなのですが、静観の態度を貫徹したそうです。
何故、光秀がこの洞ヶ峠に行ったかと言うと、ここに筒井順慶の軍が対陣したからです。
簡単に言うと洞ヶ峠で日和見していたという訳です。
当時の話とはなりますが、後に日和見する事を、「洞ヶ峠を決め込む」というようになったと云われます。
筒井順慶はこの当時から日和見順慶とも呼ばれる程に優柔不断な人物で、光秀が山崎の戦で敗北した要因の1つにこの筒井順慶の行動があるとまで云われるほどなのです。
まぁ秀吉の中国大返しで光秀の時間的な余裕を奪い、天下掌握プランを破壊したことが一番の要因でしょうけどね~
この山崎の戦では戦う前から勝負は決していたと云われる程、羽柴軍の大勝利で終わったそうですが・・・この物語ではどうなるか!!
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