第247話
昨日UP忘れていたので、今日は2話目UPです。
◇~~~~~~◇
中川殿(中川清秀)や高山殿(高山右近)等の摂津衆の多くが藤吉郎様(羽柴秀吉)にお味方してくださるという。
それだけではなく、筒井殿(筒井順慶)等の大和衆もお味方下さるとの密約を頂いた。
「官兵衛!如何じゃ?」
「はっ!藤吉郎様の人誑し流石に御座る!!御蔭にてお味方がどんどん増えて御座いまするぞ!!」
「人誑し・・・それは誉め言葉なのか?・・・まぁよい、味方が増えておるのだな?」
「はい、実は細川殿も」
「細川殿と言うと・・・」
「はい、惟任殿の御親類なのですが・・・」
「こちらに付くと?」
「はい、内密にとのことで使者が参りました」
「左様か・・・」
大返しの途中に「上様(織田信長)健在、殿様(織田信忠)健在!!」と言って回ったのが良かったのであろう。
皆が皆、上様らが生き残っておるのやもしれぬと疑心から惟任殿(明智光秀)には味方しなかった様じゃ。
丸目殿(丸目蔵人)にお借りした藤林の忍びの者の協力で多くの情報を得ておるし、上様たちの噂も信じられぬ程に広がり落延びたと言うのが事実のように語られておる。
両陣営の首脳陣は上様たちが亡くなっておることを知っておるが、それ以外の者たちは疑心暗鬼で迷っているようじゃが、仮に上様が落延びらていたと考えると恐ろしゅうて惟任殿に味方も出来まいて。
それにしても・・・忍の者をここまで活用するとは末恐ろしい御仁じゃが、丸目殿は今は味方じゃ。
恐れることはないが、今後、敵対すれば・・・何かしら思案しておく必要があるのやもしれぬな・・・
「丹羽殿(丹羽長秀)と神戸様(織田信孝)もこちらに合流したいとの打診が御座いました」
「ほう、儂の下に付くと?」
「はい、命に従うと言って来られております」
「わははははは~愉快だぎゃー!!そうかそうか、五郎左殿(丹羽長秀)や三七郎様(織田信孝)がの~実に結構!!」
藤吉郎様はそれはそれは楽しそうにお笑いで、上機嫌となられておるが、敵の惟任殿に勝てるかどうかはまだまだ解らぬ。
報告では一万五千程の兵を動かせるのではないかとの予想がなされておる。
こちらの兵士数は丹羽殿と神戸様(織田信孝)の兵を合わせて二万と言ったところか?
「惟任殿は近江方面の掌握を優先されておるようで御座います」
「ほう・・・どういう事じゃ?」
理解されておると思いきや、理解されていなかった様じゃ・・・
機嫌のよい所に水を差すも良くないと考え、淡々と予測だけを語る。
「未だ柴田殿の方を注視しておられると言う事で御座いましょう」
「ぐぬぬぬぬぬ~おのれキンカン頭め!!」
お怒りではあるが、怒る必要は無い事を告げる。
「御蔭でこちらは手薄にて助かっておりますな~」
「そ、それならば・・・良いのか?」
「はい、勿論!!」
満面の笑みでそう答えると、藤吉郎様は上機嫌となられ、「でかした官兵衛!!」と言われるが、まだ戦いは始まっておらぬし、特に儂の仕掛けでこうなった訳ではない。
ほんに藤吉郎様の天運とは末恐ろしい物じゃ。
今の所、全てが上手く事が運んでおる。
予定通りに大返しの兵は今日の朝に揃って堺に到着した。
予定通りに事が動いておるのも多くの者たちの頑張りであろうが、特に頭角を現したと思える者が居る。
藤吉郎様が「気が利く」と言われておったが、確かにその通りであったわ。
三成(石田三成)は次代を担う羽柴家の宝じゃな。
少し鍛えよう・・・まぁ惟任を打ち負かし、織田家の体制を掌握してからとなろうがな。
★~~~~~~★
丹羽殿(丹羽長秀)と神戸様(織田信孝)の軍勢は本能寺での事が起こった次の日に噂が巡ると四散して機能しなくなったとの知らせを受け喜んだものじゃ。
直ぐに次に備える為に動き、近江の諸将を平らげ、柴田殿との決戦に備えるべく、統制を強めておった矢先、西より羽柴軍が戻って来たと言う噂が流れて来た。
羽柴軍には毛利勢を当てる為に使者を出しておったが、どうやら失敗に終わった様じゃ。
しかし、速いわ。
上様を打倒してからまだ僅か八日じゃ。
戻って来た・・・どうやって?
噂を知り毛利と和睦するにしてもその時点で十日以上掛かろうが・・・しかし、現に堺まで軍を返して来ておると聞く。
「十兵衛様(明智光秀)、柴田より羽柴が先に当る事となりそうですな・・・」
内蔵助(斎藤利三)がそう言うが、確かにその通りじゃ。
元々は羽柴より先に柴田を叩き、返す刀で羽柴を毛利と挟み撃ちにして討ち滅ぼしてからその他を各個撃破する予定であったが・・・
「そうじゃな・・・予定が狂ったわ」
「然り・・・しかしながら、順番が逆になっただけに御座いまする」
「そうじゃな、して、
「いえ、それが・・・」
内蔵助は顔を曇らせ、書状を儂に差し出す。
与一郎殿の書状の様じゃ。
「喪に服す」とあるが・・・そして、雅号を
「十兵衛様、如何した内容で?」
「読んでみよ・・・」
与一郎殿改め幽斎殿も書状を内蔵助に渡し思案する。
直ぐに「何という事じゃ」と言いながら書状を読み進めておった内蔵助が、「日和ったか・・・あの狐め!!」と叫ぶ。
「これ、内蔵助、幽斎殿は「喪に服す」と言っておられる」
「しかし、・・・」
「儂の謀反に異を唱えるが、中立を保つと言う事であろう」
「しかし、ですな~こちらは玉子様(ガラシャ夫人)を嫁に出したのですぞ!お味方するが御親類と言うものでは御座いませぬか?」
「元は細川家の方が上の立場じゃった。幽斎殿も儂の風下に付く事は忸怩たる思いなのやもしれぬな・・・」
「そうであっても御親類で御座る」
「そう言うな、今回は味方せぬというだけじゃ。羽柴を退ければ此方に靡こう」
「・・・」
納得できないと言った風の内蔵助。
しかし、儂が逆の立場であれば、どう考えるであろうか?
もしやすると、なんてことを仕出かしてくれたと憤っておるやもしれぬな。
そう考えれば、中立を保ってくれることすら有り難く感じてしまう。
「よい、味方にならぬというなら捨て置け」
「はっ!承知しました」
承知していないという顔だ。
納得はしないが現状仕方なしと考えたのであろう。
「近江を押さえたが、悠長にしておれぬな」
「そのようですな」
「よし!京に向かうぞ!!」
「はっ!!急ぎ用意いたします!!」
京に向い朝廷とも話す必要があろうて。
京に入るとある噂が耳に届く。
羽柴軍は「上様(織田信長)・殿様(織田信忠)は危難を切り抜け膳所に下る。これに従う福富秀勝は比類なき功績を打ち立てた」という触れ込みや書状をばら撒いておるという。
やはり、上様たちの首が獲れなんだ事が仇となった様じゃ・・・
〇~~~~~~〇
大体史実通りの流れとなりますが、両陣営とも味方への取り込み工作をして暗闘したと云われています。
特に、細川親子が惟任(明智光秀)に味方しなかったことが大きかったようです。
前にも同じことを書きましたが、縁戚であった細川藤孝・忠興父子は本能寺の変の次に日には「喪に服す」と称して中立の構えを見せること惟任の誘いをシャットアウトしたようです。
それとは別に秘密裏に秀吉側に加担する旨を打診していたとも云われます。
同じく、筒井順慶も秘密裏に秀吉側に加担することにし、居城の大和郡山城で籠城の支度を開始したようです。
光秀は6月10日に秀吉の接近の報を受けたと云われますが、この物語では一日のタイムロスと言うか何というか、秀吉側が史実より約1日行動が早くなったことで状況が少しだけ変化しております。
大きな流れは変わりませんが、この一日と言うのはどう作用するか?
因みに、中国大返しは約10日間に渡る軍団大移動と云われています。
この山崎の戦は古来、天王山の戦いと呼ばれました。
天下分け目の戦いの事ですが、実はこの戦いは・・・さて、結果どうなるか!!
お楽しみ頂けると良いな~と思っております。
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