第246話
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天正十年(1582年)
早いものでその出来事から7日過ぎた。
噂は既に現在俺が滞在している三河にも到着しており、このまま惟任(明智光秀)が天下を手中に収めるのかが人々の関心事となっている。
しかし、その一方で、織田信長の生存説も根強く、その事も話題に上がる。
惟任殿の天下にならない事を知る俺は暢気に朝飯を掻っ込み、お代わりし茶漬けで二杯目を堪能しているのであるが・・・
「丸目様!!何卒、次郎三郎様(徳川家康)を御説得下され!!」
「某は飯の最中なのですが・・・」
俺をジッと見詰め捨てられた子犬の様な顔で懇願されるけど・・・
「はぁ~家さんが決めた事ですよね?」
「いや、しかしですな、丸目様が言えば・・・」
「主が一度決めたことに従うのが家臣ではないのですか?」
「徳川が天下を取る機会なのです!!ここで惟任を打倒せば」
「いえ、打倒しても織田家の残った家臣たちが居りますよ?」
「それも打倒して」
夢を語るのは良いが俺を巻き込むのは止めて欲しい。
それに、多分これは何者かが示唆して俺に家さんを説得させてこの争いに介入しようとしている輩が居る。
「家さんは織田家の内紛に関与しないと言われておりましたよね?」
「さ、左様ですな・・・」
「自分の主が熟考して決めた事ですよ?従いなされ」
「・・・」
何人もの徳川家臣の者が俺に説得を依頼して来る。
三河到着後から繰り返し繰り返し行われるこの嘆願に飽き飽きして来たし、お
と言う事で!三河を後にして戻る事にしました!!
善は急げと家さんに挨拶を早々に済ませ、旅立ちました!!
家さんからは「申し訳ない」と謝罪されたが、俺に言って来た家臣さんたちも家さんの為に良かれと思い言って来たのであろうから「問題無いですよ~少しだけ鬱陶しかっただけです」と家さんに本音交じりに返しておいた。
家さんは苦笑いしつつ「また機会ありましたらお尋ねください」と言ってくれたよ。
さて、先ず京を目指す事としている。
藤林の者の知らせで竜様(近衛前久)が俺に依頼があるそうだ。
何だろうな?
もしかすると・・・いや、フラグを立てるのは止めておこう。
さて、三河から船で伊勢、そして、歩きで近江へと移動した。
途中で安土城が遠くに見える位置で残念な出来事があった。
安土城が燃えて無くなっていた・・・
やはりこの世界線でも燃えたようだ・・・色々と藤林の諜報が調べているだろうから後ほど確認しよう。
恐らくは歴史通りに織田殿の
後日、馬鹿が燃やしたことを知り、歴史は動かなかったことを痛感した。
「綺麗に燃えておりますな」
「そうだな・・・」
「何処の馬鹿者が燃やしたか解りませぬが、残念極まりない事ですな」
「だよな~」
長門守も残念そうに俺に話し掛けて来た。
あの天守閣から見る景色も良かったが、遠くから眺める城の姿も良かったので残念だよな。
物の序なので誰が燃やしたか確認を依頼しておいた。
三河を出て2日後には京に到着し、俺は自分の屋敷に到着後、竜様にお会いする事とする予定であったが、本能寺の変が起こる前位から竜様が俺の屋敷を借りておられたので、家に到着して直ぐのお会いできた。
「大変でおじゃったの」
「大変でした・・・」
俺の行動を伝えると、竜様は大変驚かれておられた。
織田殿が自害されたことを伝えると本当に残念がられ、その足でお猿さん(羽柴秀吉)に会いに行き、遺言と遺品を渡したことを言うと驚かれたが、この屋敷も危うく惟任軍に奪われそうになったそうだ。
おのれ!キンカン頭め!!
まぁ、竜様ご滞在で難を逃れた感は否めないので感謝したよ。
竜様は改めて聞いて来られた。
「織田家の行く末は藤吉(羽柴秀吉)に任されたのでおじゃるか?」
「いえ、某はあくまでも織田殿の依頼されたことしか行っておりませんし、それは解り兼ねます」
まぁ織田信長に次の天下人はお猿さんであることを伝えたのでそれで今の経緯となったからね・・・
その事を伝えてなければ、また違った形となっていたと思う。
しかし、お猿さんに織田信長が遺言と遺品を渡したことを聞いた竜様は、その事を重く捉えているようで、何やら考え始めた。
「今、この京は惟任が押さえておじゃる」
「はい・・・」
「惟任は柴田の動向に注視しておじゃったが、一昨日に羽柴勢が毛利と和睦して急ぎ戻って来ておるじゃることに度肝を抜かれ、慌てふためいておじゃる」
「あ~毛利との和睦は某が取りなしました・・・」
「ほ~流石は長でおじゃるな~」
「いえ、成行きです・・・」
「して、羽柴と惟任は何方が勝ちそうでおじゃる?」
竜様は俺に戦の勝敗を訪ねて来た。
何だかこの回答次第で歴史が変わりそうな予感がしたが、俺は未来を知っているのでそのまま「羽柴」と答えた。
竜様は理由なども聞かずに「主上に御目通りして参るでおじゃる」とだけ言われ、内裏へと向われた。
★~~~~~~★
中国大返しを行う事を藤吉郎様(羽柴秀吉)たちにお任せし、儂は急ぎ摂津まで戻って来た。
書状にて摂津衆に味方になってくれる様にと打診しておったが、今の所、回答は得られておらぬ。
しかし、明日になれば話は変わってこよう。
現在の軍移動の工程では二日後に全軍がここ摂津に集結予定じゃ。
足軽の一兵卒に至るまで備中から夜通し走ることとなっておる。
摂津に到着後直ぐに丸目様にお願いして付けて貰った藤林の忍びの者。
この者に依頼し、織田家の他の有力者の動向を探って貰っていた。
驚いたことに、その日の内に情報を伝えて来た・・・速いわ・・・いや、速すぎる。
だが、有り難い事じゃ。
注目すべきは丹羽様たちであろう。
四国征伐軍編成中で最も京に近い位置に大軍を待機させていたと言うに、徳川様たちのお接待で軍を離れていたことが仇となり、本能寺で謀反が起こった知らせが届くやいなや、多くの雑兵が逃げ出したらしい。
何と驚いたことに未だに軍として纏まらず四苦八苦しておるという。
これは神の与えたもうた千載一遇のことじゃ!!
是非にも摂津衆の取り込みを行い優位を勝ち取らねばなるまいて。
さて、織田家で他に注視するべきは柴田勢。
しかし、柴田勢に今の所動きが無いという。
いや、動きはある。
軍を整え上洛する為の用意を行う動きありとの事じゃ。
万全を期す為に準備を整えておると思われるが、これも我らに優位に働きそうじゃ。
兵は神速を尊ぶと言う。
まさに我ら羽柴勢はそれを実践しておるのじゃが、事が上手く行っておるので俄然やる気が湧いて来るわ。
さて、摂津衆で見識があるのは・・・
それに、この者は摂津衆の有力者である中川殿と縁戚にある。
ふむ、先ずは中川・古田からじゃな。
〇~~~~~~〇
山崎の戦の前段階の暗闘が始まりました!!
さて、
立夏と立秋のちょうど間で、言葉通りに夏が至る時季です。
さて、日本では四季があり、更にその四季を6つの節に分けて
この二十四節気ですが、中国で戦国時代の頃(紀元前4世紀)に発明され、四季・気候などの視点で地球上の一年を仕分ける方法として用いられ、中国と日本などでは普通に用いられたましたが、中国の中原の気候を基に作られた物でしたので日本なりにアレンジして活用したようです。
大体今の半月位の時期で区分されます。
例えば、四季は春より始まります。
元旦を新春等とも言います。
この新春を二十四節気名では立春と言います。
立春は一月節と呼ばれました。
次に半月後に一月中と言う時期が訪れます。
この一月中と言うのは二十四節気名で
この様にこの時代の呼び名は中々に難しいのですが、現代も名残として春分・夏至・秋分・冬至などの言葉が残っています。
二十四節気と同様に季節の移り変わりの目安となるものを
これは先に述べた日本なりにアレンジの一つで、現代でもそれは残っており、節分・彼岸・土用・八十八夜などは
しかし、歴史もので時季を二十四節気以外で書かれていた場合は注意が必要です。
旧暦と新暦には1ヶ月程のズレがあります。
立春は新暦で2月4日頃となりますが旧暦では睦月(1月)となります。
結構ややこしくなるので作中では出来るだけ日付や四季の情報を入れない様にはしてます。(※今回はうんちく語りたくて入れましたが・・・)
さて、この二十四節気ですが、今回の話のうんちく話で冒頭に夏至(6月21日頃)書きしており、「
現代の暦では殆どの場合6月21日を夏至と呼びますが、天文学では「1年で1番、昼の時間が長い日」のその瞬間を夏至とし、それを含む日を
実は既に予測計算されて先の先までこの夏至日は解っています。
現在広まっている
今表記した全てが6月21日が夏至日となりますが、案外ズレはあるようですね~
因みに、一番直近で夏至日が6月21日でないのは2019年らしいです。
6月21日15:54に太陽黄経が90度を観測され、日本では6月22日が夏至日となりました。
今回は四季に関するうんちくでした!!
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