第232話

惟任殿(明智光秀)の手腕を考えると何時までもここに留まるは可成り危険だと思える。

敵は織田家随一の武将で天下にその名を轟かせる人物であるから一刻の猶予も惜しい。

しかし、陸路を行くには時間が掛かるが、既に海路には徳川様を追い込む為の罠が無いとも言えぬし、一番最初に誰もが考えるであろうその海路移動は恐らくは危険なのであろう。

用意周到な惟任殿ならもしかすれば既に手を回しておってもおかしくはないか・・・

海では逃げ場が殆ど無いしな、しかし、今なら海は大丈夫ではないか?とも思うがそれが罠なのやもしれぬな・・・流石は蔵人様じゃ、織田家一の武将の上を行かれるとは!!

これこそが相手の裏をかくと言う事であろう。

そう考えれば蔵人様提案の陸路は、成程、海上移動より時間はかかるがとても良い案のように感じる。

河内から大和に行き、そこから伊賀に入り潜伏し安全を確保後に伊勢に抜け三河というのは何故に伊賀?と思うがそれが相手の思考の裏を読んだ物なのやもしれぬ。

それに伊賀は我が庭じゃし伊賀に入れば安全じゃ。

おお!それも考えの内か!!何たることじゃ!流石は蔵人様!!

咄嗟に考えられた蔵人様の策謀たるや何と素晴らしい事であろうか。

世間では「今義経」など呼ばれるが、「今呂尚」ではないかと儂は思っておる。

実体が掴めない存在で、伝説的な所やその深謀遠慮な所もよく似ていると儂は思う。

話が逸れたな、通常であれば摂津から海路で三河入りを考えるであろうから既にそこは抑えられていると見た方が良いであろうと蔵人様は判断されたのかもしれぬ。

先を読まれてのこの助言は何と素晴らしいものだろうか。

そして、都合の良い事におとりがいる。

更に都合の良い事にその穴山梅雪が別行動を主張して来た。

これすらも蔵人様の手の内なのやもしれぬ。

去り際に「梅雪殿を上手く使え」と言われた。

言われた直ぐは何のことやらと皆目見当もつかなかったが、ここに至ってはこの状況すら読んでの助言であったのであろう。

穴山殿には徳川様の良い囮となって頂こう。


「穴山殿、本当に別行動で宜しいのか?」

「問題無い・・・」


穴山殿に再確認をしたが意思は固いようじゃ。

本人が別行動をしたいと言っているのだから何ら問題ないが、これは好都合、上手い事利用できるであろう。

それにしても、穴山殿は蔵人様の言われた惟任殿の謀反を信じていない節がある。

確かに信じられぬであろう。

しかし、我が主である蔵人様が確信をもって言われた言だ間違いなかろう。

徳川様は即時にお信じになられた。

この差が明暗を分けるやもしれぬな。

六郎殿が声を掛けられてきた。


「長門守殿、あれ穴山梅雪は別行動ですか?」

「そのようですな」

「・・・長さんは徳川殿も狙われていると言われましたが、あれは良い囮になりそうですな」


武田典厩殿、いや、今は式田六郎次郎豊長殿だな。

お互いに話し合い彼の事は六郎殿と儂は呼び、儂の事は長門守と呼ぶようにお願いした。

蔵人様に恩義を感じ我らと同じく蔵人様を支えようという意志が目に宿っておる。

この人物は信じられると確証に似たものが頭を過る。


「どうされます?穴山殿に付かれますか?」

「そうですな・・・元の主家の恨みもありますし、徳川殿の囮として使うなら誰かが張り付いておった方が良いでしょう」

「では、何人か配下をお付けしますのでお任せします。ご随意に」

「忝い」


語らずともお互いに同じ認識である様じゃ。

お互いにニヤリと笑いそれぞれに行動を移すこととした。

六郎殿にお任せしておけば先ず間違いなかろう。

囮の有効活用と序に元主家の恨みを返す絶好の機会となろう。

さて、儂は徳川様の護衛として一緒に伊賀へと向うこととなる。

現在の伊賀は裏で藤林家と繋がり、蔵人様・莉里様の資金援助を基に忍びの育成と諜報の核を担う国となっている。

伊賀の他家も援助を受けて優秀な忍びを量産中じゃ。

京のある一件以来、上忍の百地殿もこの構想に参加してくれておる。

これも心強い事じゃ。

現在の藤林家の忍びの養成機関としては九州肥後の切原野を本拠地とし、もう一か所、伊賀一国がその役割を担っている。

我ら藤林の協力があれば伊賀に隠れるも伊賀を越えて伊勢に向うも造作も無い事だ。

安全を考えれば伊賀で潜伏し様子見じゃな。


「徳川様、お待たせいたしました。直ぐに伊賀へと向かいましょう」

「藤林殿、宜しく御頼み申す」

「ははははは~主、蔵人様の命で御座います。我が命に代えても三河まで無事送り届けさせて頂きますよ」


さて、先行して手の者を伊賀に向わせたし、今の所は問題は無かろう。

大急ぎで準備を整え、徳川様一行と共に伊賀へと向かった。


★~~~~~~★


「穴山殿、本当に別行動で宜しいのか?」

「問題無い・・・」


長さんにこの場の取り仕切りを任された長門守殿が怨敵、穴山梅雪に話しかけている。

長門守殿と話しながらもこちらに注意を注いでおる様じゃ。

さもありなん、私の元の名を知るあの者にとっては私は要注意人物であろう。

あれ梅雪と話を終えた長門守殿が戻って来たので声を掛ける。


「長門守殿、あれ穴山梅雪は別行動ですか?」

「そのようですな」

「・・・長さんは徳川殿も狙われていると言われましたが、あれは良い囮になりそうですな」


徐に頷く長門守殿。

お互いに意見は一緒らしい。

我らの因縁を知る長門守殿は私に聞いて来る。


「どうされます?穴山殿に付かれますか?」


どうやらあれの処分を任せてもらえる様だ。

長さんはここを発つ前、私に「恨みを晴らすならこの機会ですよ」と言われた。

放っておいても死ぬと聞いたが、出来ればあの者には私が関わって天誅を降したいと思うておったし、これは千載一遇の機会だ。


「そうですな・・・元の主家の恨みもありますし、徳川殿の囮として使うなら誰かが張り付いておった方が良いでしょう」

「では、何人か配下をお付けしますのでお任せします。ご随意に」

「忝い」


私がお礼の言葉を述べると「いやいや、構いませんよ」と言われ、ニヤリと笑われた。

こちらもニヤリと笑いその笑顔に答える。

お互いにニヤリと笑い別れ、急ぎ計画を練ることとした。

長門守殿の配下の手練れの者が十名、私の配下として与えられた。

藤林の精鋭たちだ。

長さんは「忍びこそが時代の先駆け」と言っておったが、成程と長さんの下に来て理解した。

世の者たち、特に武士と言うのは忍びの者を見下すが、侮っては居なかった。

しかし、長さんは忍の者を見下さず、尊重すらしている。

それに応える様に目を見張る様な仕事をする。

官位は持てど一介の国人でしかないはずの長さんが日ノ本の裏を牛耳っているようじゃ。

まさにそれを成しているのは忍びの者たちだ。

「忍びこそが時代の先駆け」と言うのが実に解る。

長門守殿の手配で私の配下に加わった藤林の者が「蔵人様よりもしも穴山殿の制裁を式田様がお考えなら手伝うようにと仰せつかっておりました」と言った。

本当に長さんは用意周到だな。

信玄様を常々凄いと思っておったが、その上を行くようなそんな感じすら長さんからは感じる。

その長さんが私に元主家の敵討ちをさせてくれるようじゃ。

私は「ご協力願う」と配下に加わった藤林の者たちに深々と頭を下げた。

まさか忍びの者に頭を下げる様になるとは思わなんだが、これはこれで悪くないと思う自分がいる。

そして、それと共に四郎様(武田勝頼)に「必ず裏切り者の穴山梅雪をそちらにお送りします」と心で告げた。


〇~~~~~~〇


今回は徳川家康側の話でした。

本能寺の変の時、「家康の行動も不可解」と230話で語りましたが、家康の本能寺の変の時の行動は中々に変な動きをしたので光秀との共謀説を唱える方も居るようです。

偶然かもしれませんが本能寺の変の前日までは、茶屋四郎次郎の京の邸宅に滞在していました。

この茶屋四郎次郎の邸宅は本能寺の目と鼻の先にあったと言われます。

そして、本能寺の変の起こる前日に急いで堺に移動しています。

しかし、不可解な動きと言うのは、たった一日の堺での滞在で何故か切り上げてまた京に戻ろうという行動を取ったようです。

家康は堺の松井友閑屋敷から京都へ上洛する途中で、河内国飯盛山付近で京都から家康に急ぎ本能寺の変を知らせようと堺に向かう途中の茶屋四郎次郎に会い、教えられたことで本能寺で織田信長が横死したことを知ったと言われています。

事件が起こることを知っていたから急ぎ危険地帯である京から移動し、事が終わって謀反に関与していないアリバイ工作が完了し事が済んだから共謀者明智光秀の居る京に会いに戻ろうとしたとも考えられます。

しかし、時の運というのはえてしてこういうことがあるのでこの不可解な行動も本当にただの偶然かもしれません。

まぁもしかしたら家康だから共謀説通り暗躍していてもおかしくないと考えることも全くおかしくありませんが、信長を亡き者にしても家康にはこの時は殆どメリットがない、逆にデメリットの方があったので私は偶然であったのではないかと推察しています。

さて、この時、茶屋四郎次郎から光秀が家康にも追手をかけたことを知らされます。

狐と狸の化かし合い的な物なのか、それとも別の何かなのか解りませんが、光秀からは家康も討伐ターゲットと認定されたようです。

実際に山狩りとか行われて家康を狙った輩は居た様で返り討ちにした武勇伝も残っています。

家康たちは話し合いの中で京都へ行き信長の弔い合戦をとの意見もあったようですが、家康のお供は、酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政の徳川四天王や服部半蔵・渡辺守綱・石川数正・等々のわずか30人余りだったそうです。

考えるまでも無く無謀なことなので取りあえず様子見をする意味も込め本拠地の三河に戻ることを家康一行は選択したと言われます。

作中でも伊賀越えを選択しましたが史実でも伊賀越えとなっております。

これを一般的には「神君家康の伊賀越え」等と呼ばれます。

家康らを疑い距離を取っていた穴山一行が落ち武者狩りに襲われ殺されたと言われますが、これも家康の策謀説があります・・・

家康が梅雪を亡き者にしたいが為に別行動をとる様に仕向けたと言うやつです。

どんだけ家康は策謀を巡らせる悪辣な人物と思われているんでしょうね。

恐らくはそんな余裕すらない程に行動したんじゃないかと思います。

まぁ家康にとってはピンチの中にも都合の良い展開で、九死に一生を得て最終的には天下人となり300年余り続く幕府を立ち上げるのですから悪辣と思われるような人物でも仕方ないのかな?とかも思います。

私は天運だと思いますけどね。

天運無くして天下を取るなぞありえんと思いますから!!

さて、家康一行は山城国宇治田原(京都府宇治田原町)で山口甚介と言う人物の居城である宇治田原城に宿泊し、ここで様子見がてら3日間潜伏します。

その後、宇治田原から近江国甲賀小川(滋賀県甲賀市)で土豪の多羅尾光俊(山口甚介の父)の館に宿泊することで難を逃れたようです。

そこから伊賀に移動します。

伊賀は織田方への恨みが深い土地だったので織田方の同盟者の家康がそこを越えたことに懐疑的な意見もありますが、現在時点では越えた事となっております。

そして、作中で書いているルートとなりますが、史実でも伊勢湾を横断して三河国大浜(愛知県碧南市)に船で移動し、三河国岡崎城(愛知県岡崎市)へ帰還したと伝えられています。

大和越えの説もあったようですが、この作品ではそこ大和をかすめて通り過ぎ、伊賀に潜伏しそこから伊勢湾に行くルート設定がなされています。

家康に随行していた供廻にこの作品オリジナルで1人入れています。

この人物が本当に随行員に居たならば私も光秀と家康の共謀説を疑うかも?

誰かが私と同じ様に考えたのかもしれませんし、家康の生涯三大ピンチの一つなので是非とも名を連ねたいと考えたからかなのか付き従ったとも言われますが、判明している34名の伊賀越えメンバーの供廻の中にその人物の名前はありません!!

さて、誰でしょうね~

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