第229話

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◇~~~~~~◇


人間楽しい事があると嫌な事、自分にとってある程度どうでもいい事、自分に余り関りの無いと思っている事、等々などは何となく忘れがちだ。

気が付いた時に遅きに失することはあるあるである。

その忘れていた問題と言うのはもしかすると歴史的な強制力なのかもしれない・・・

近くに居ながら思い出さなかった自分の思考に腹立たしさをも覚える出来事となった。

しかし、この段階では忘れている何かに違和感は感じつつも、思い出せなかった・・・痛恨な出来事とはまさにこういう事なのかもしれない・・・


俺は家さん共々信長さんの主催する饗応を受けている。

接待係は明智十兵衛さん(明智光秀)さん。

信長さんからはキンカン頭と呼ばれる人物だ。

本当に信長さんはネーミングセンスが壊滅的だな~と思う。

まぁ気に入っている人物・物に名を付けたがる人の様なので、明智さんもお気に入りの家臣なんだろう。

そう思わないと、キンカン禿頭等と呼ばれて喜ぶ変態などM的な性癖を持つ者くらいなものだ。

俺にも変なあだ名とか付けてないよね?気になるが聞くのは怖いわ~

そうそう、あだ名以外にも「惟任これとう」と言う苗字を明智さんは貰ったらしい。

時を同じくして官職も与えられ日向守となったとのことだ。

自己紹介で「惟任日向守です」とか言われたら俺が彼の事に気が付くことも無かったよね~多分。

惟任日向守=明智光秀とか歴史スキーな人くらいしか知らないって!!

さて、宴席はこの時代にしては豪華。

勿論、我が家の宴席の料理と比べると大分物足りない。

俺の知識チートで唯一真面まともに機能しているのではないかと思えるのが料理だ。

昭和の接待で食べた料理なども一部再現して皆から好評を得ている。

中でも揚げ物類は皆大好きだ。

菜種油とかごま油、椿油等々の油類は座が管理しているけど、比較的手に入れ易かった。

高いのは高いけど、我が家の財政では余裕でしたよ!!

揚げ物序にマヨも復活?させようと思ったけど、サルモネラ怖くて断念したよ。

この時代の食中毒はマジで怖い!意味も解らず死ぬからね~

せめて出汁つゆ欲しいし、伝手があれば鰹節でも一大生産地作るかね~

そんなこと考えてたこともありました・・・鰹節は既にあり、普通に手に入ったよ・・・驚いたことに、「神饌」として神に捧げられる食物の一つにありました。

まぁ我が家を中心に切原野一帯では食文化が開花している。

おっと、食中毒の話だったな、以前に食当たりになったらどうするか皆に訪ねたら普通に祈祷とか言う者が多い始末・・・祈祷で助かるなら苦労せんわ!!

流石に忍者連中は漢方の様な独自の解毒方法がある様なので、一応は医学系の部隊で研究をして色々と作っているようだし、俺も利用している。

おっとまたもや話が逸れそうだな、まぁ時代先取りの知識あるから言える事で、この時代の病気平癒は神仏に御すがりするのはスタンダードだ。

結論、鰹節と魚醤を合わせた出汁醤油を垂らして揚げ物を食べたら最高に美味かったよ。

さて、今日の御献立も明智さんの苦心の物らしい。

珍味とかも取り入れており、中々に面白いと俺は思うけど、一部では不評らしい。

珍味って中々手に入らない珍しいから珍味なんだけど、くせが強い物も多い。

誰にでも苦手な物はあるから意見が割れるのも仕方ないけどね。

ブルーチーズとかクサヤとか臭豆腐等々の癖の強い珍味を前世で食べた事ある俺から言うと出される献立の珍味もまぁ食えるけど・・・


「長さん・・・よくそんな臭う物を食えますな」

「え?家さんは苦手?」

「苦手と言うより・・・腐ってないのか恐ろしゅうて箸が進みませぬよ」

「ふ~ん・・・」


うん、臭豆腐とか本当によく手に入れたものだよね~

まぁ臭いけど美味いと俺は思うよ。

そんな折に、お猿さん(羽柴秀吉)が信長さんに援軍要請をして来たと言う。

藤林の調べではお猿さんのお接待要請らしい。

信長さんに手伝って貰わなくても問題無いけど、援軍要請して信長さんをヨイショするのが目的だろうとの分析だ。

藤林の諜報は本当に凄いよね~生の情報と共に分析結果も知らせてくれる。

脳筋の俺が情報通を名乗れるのもこれの御蔭だよ。

さて、何か忘れている気がするけど、明日から家さんと共に堺にお出かけする予定だ。


★~~~~~~★


「キンカン頭よ・・・」


私は上様(織田信長)の御前にて頭を下げ下知を待つ。

お怒りなのは何となく解るが、何にお怒りかが不明だ。


「儂が怒りを覚えておる事、お主程の者なら解ろう?」

「はっ!!何についてお怒りかを思案しております」

「ふははははは~お主の不手際の事よ」

「不手際で御座いますか?」


上様が私の不手際について叱責される為に呼び出されたようだが、身に覚えがない。

私が言葉を発さないことで呆れた様な口調で上様は私に告げる。


「儂は最大にもてなせと言うたが、あの饗応は何じゃ?」

「はい、徳川殿に対して最大限にもてないしておりますが・・・」

「あれが最大限か?」

「流石に御成と全く同じと言う訳にも行かぬと思いまして・・・」

「この戯けめが!!竹千代(徳川家康)に対して御成待遇が行き過ぎなのは儂も心得ておるがー!!だからこそ、丸目三位殿も着けたのではにゃ~や!!」

「!!」


上様の真意を見誤ったという事実に今気が付いた。

そして、饗応役の任を解かれ、羽柴殿の援軍へと向かう様にと言い渡された。

確かに私は見誤ったが、ここまでの屈辱を与えられる程の事であるか疑問に思う。

そして、この件を家臣たちに話すと、饗応の為に用意した食材をこれ見よがしに捨てたと言う。

更に、内蔵助(斎藤利通)が提案をして来た。


「殿!!もう我慢なりませぬ!!」

「どうした・・・」

「上様、いや、信長めは我らをどれだけ虚仮にすれば気が済むのでしょうか?」

「上様にも考えがあっての事・・・」

「しかし、我慢の限界では御座いませぬか?」


確かに上様に何度煮え湯を飲まされたことか・・・

今回の件もだはあるが、妻のこともあるし、他にも色々ある・・・


「信長めは事もあろうに殿の禿げ頭を愚弄しおって!!」

「おい、止めろ」

「いえ、言わせてください!!キンカン頭なぞと馬鹿にしおって!!」

「・・・」

「確かに殿の頭は禿げ頭で」

「おい、内蔵助や・・・」

「何で御座いましょうか?」

「私の頭は」

「関係御座います!!殿の禿げ頭を馬鹿にするなどとは許せません!!幾ら丸く形もよくキンカンに瓜二つでは御座いますが」

「も、もうよい・・・」

「左様で・・・少し熱くなってしましました・・・しかし、今回は羽柴殿の下に着けなどとは・・・」


そう、家臣たちも納得すまい。

しかし、私の禿げ頭をそこまで言われると何だか変に怒りが湧いてくる・・・私怨で謀反を一瞬考える程には今の私は怒りを覚えるが・・・

そして、そんな最中に機を見る様に我が屋敷を訪ねる者がおった。


〇~~~~~~〇


戦国時代最大のクーデターの陰が忍び寄ってきました!!

さて、明智光秀は1575年に惟任日向守光秀となりました。

この「惟任」と言う苗字は朝廷よりの頂き物で、丹羽長秀の「惟住これずみ」姓と共に賜わったものとなります。

名誉なことでもありますが、これ以降、明智光秀は明智姓を名乗らず惟任姓を名乗りました。

死ぬまで名乗っていた為、謀反を起こし本能寺に変の実行者というのは正確には惟任光秀となります。

信長が最も期待して信頼していた武将だとも言われれる光秀ですが、1574年位から信長の取り込み工作が始まったように見受けられます。

自分の甥である津田信澄のぶすみと光秀の娘、更に、細川藤孝の嫡男である細川忠興ただおきと光秀の娘を娶せる縁談を結ばせたと言われています。

1580年の光秀による丹波平定は信長が大絶賛して、同じく大躍進中の羽柴秀吉以上の活躍だと大褒めしたようです。

これを聞いた秀吉は更にライバル視し始めたとも言われますが・・・

この時点で外様の中だけではなく全ての家臣の中で最も出世した人物とみなされていたようです。

御馬揃えや家康の饗応を任される等々、信長の信任は厚かったようです。

更に、織田軍の新しい「軍法」の制定も行い、織田軍の軍事面では光秀が監修したものが採用されたそうですから本当に驚きです。

さて、そんな光秀ですが、謀反を起こした理由として私怨説が実しやかに囁かれます。

どんな私怨があるか?

一番に言われることが多いのが、所領の没収説ですが、これは流石に信長でもしなかったと思います。

そして、私的にあり得ると思うのが、奥さん絡み問題。

実は光秀とその妻の煕子ひろこはおしどり夫婦として知られていました。

とても美人で光秀がぞっこんだったと言われます。

結婚直前に疱瘡にかかり、左頬に跡が残ってしまった煕子を光秀は気にせずに迎えたと言われております。

実はこの奥さんの煕子ひろこさんと信長は因縁があります。

ある日、信長さんたちは雑談で女話をしていたそうです。

現代でも男の飲み話の話題の一つなのであるあるですが、その時のお題は、「どの家臣の妻がもっとも美しいか」と言う事だったようです。

ある家臣の1人が「光秀の妻こそが、心根も良く天下一の美人ではないでしょうか」と発言したと言われます。

その事で煕子ひろこさんに興味を持った信長は、後日、光秀の妻である煕子ひろこさんに出仕を命じました。

元うつけの信長さんはあろうことか、出仕の当日、物陰で待ち構え、煕子ひろこさんが長廊下をわたっていると、背後から抱き着こうとしたそうです。

煕子ひろこさんは間一髪逃れ、驚きのあまり持っていた扇子で信長を激しく打ち据えたそうです。

信長の暴漢未遂はそこで終わりますが、事件の話を妻から聞いた光秀は、妻を襲った犯人が信長であると確信しました。

その頃から信長は家臣らの面前で光秀に恥辱を加えるようになったなどと言われます。

しかし、実際は慌てた光秀が先手を打って妻の妹で妻に瓜二つと言われる程そっくりな御妻木おつまき殿を信長に目合わせたと言われます。

しかし、1581年8月にこの御妻木おつまき殿は亡くなります。

その頃からまた光秀いじめが再発したなどと言われますが、翌年に本能寺の変が起こるのですから中々にミステリーですね。

光秀は津田宗久とも懇意の人だったので早い段階で主人公との関わりも模索しましたが、秀吉寄りのストーリーを考えたので敢えて関係性をあまり作らないようにと構成しました。

そうしないと、ある程度中立だけど仲の良い者には便宜を図る主人公が秀吉に便宜を図り辛くなりそうで・・・

もう少し色々な方面の話が続きます。

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