第228話
家さん(徳川家康)が上洛して来た。
お供の者に多くの顔見知りが居るが、仲の良い者は此方に笑顔を向けているが、俺の事をじっと見詰める数名の者が気になる。
あまり良い目線では無い様だ。
いや、言ってしまえば悪い目付きだが、俺って徳川家には結構便宜図っているんだけど・・・何故に?
それに他にも気になる目線がある。
おっと、先ずはご挨拶。
「丸目三位殿、お久しぶりです」
「徳川殿、ご無沙汰しております」
形式的な挨拶は直ぐに済み、何時もの口調に戻して話す。
気心の知れた家さんの方からくだけて来た。
「そう言えば長さん」
「ん?何?」
「信濃に天狗が現れたらしいですよ」
「テ、テング~アラワレタンダ~ソウナンダ~へ~」
ニヤニヤしながらそれを聞いて来る家さん。
おいおい、解っていて聞いてないよね?
まぁ家さん所の戦を手伝った時に天狗の格好してたしな~俺が関与していると思っているのであろうな~まぁ関わっているけどな。
武田信豊が俺と仲いい事も何気に知っていそうだしね。
家さんは俺の後ろに居る面々を一瞬見て少し驚いているし、もしかすると「天狗が出た」と言うのはただの前振りで何か言おうとしてる?
でも驚いたのは豊さん(武田信豊)を見てのようだし、豊さんを見たことあるかもしれないね。
後で豊さんに確認してみるかな。
当の本人が俺の配下一同の中に現在紛れて普通に家さんをお出迎えしているからな・・・
そうそう、豊さんは信長さんに気に入られました。
一応は俺の家臣ってことにしているので勧誘は程々で済んだけど、「丸目殿の下を離れる際は是非とも儂を頼って欲しい」とか言っちゃうんですから本当に気に入ったんだろうね。
あげないからね!!
さて、信長さんには家さん共々饗応すると言われた。
何でも、俺の場合は遅くなったけど上杉家との同盟を斡旋したお礼も兼ねてらしい。
まぁ何かしらの口実なんだろうね。
そして、信長さんの指名した饗応係は明智光秀らしい。
明智さんとは一応は初顔合わせってことになるので、家さんお出迎え前に挨拶を済ませている。
摩利支天様の社で見たことあるけど、話すのは初めてだったから初対面で間違いない。
話してみれば凄く礼儀正しくて、一介の浪人である兵法者に天下の明智光秀が遜るとか何か申し訳ない気分になったよ。
もっとざっくばらんに行きたいんだけどな~と思っていたら、「拙者は饗応役に御座る。もてなす相手に遜るは当然にて、くだけることはご容赦を」とか言って来るからね~
本当に場の空気とか色々読んで先回りするような手際の良さを感じるし、流石リアルチートは違うよね~知勇兼備の高パラ武将は伊達ではないと久しぶりに思ったよ。
今は家さんにもご挨拶をしているようだけど、やっぱりお堅いな~
「徳川様、遠路遥々よくお越しくださいました」
「明智殿、お世話になります」
家さんと明智さんの挨拶の最中に家さんの一行の中に先程気になった目線は豊さんを凝視する者のようだ。
気になって豊さんをチラ見すればニヤリと笑い返している。
何者だろうか?
★~~~~~~★
丸目三位殿、いや、長さんに助けられ生き延びることが出来た。
あのままであれば自害しておったであろう。
助けて頂いたことを感謝すると、「次郎さんを救えなかったので代わりですよ。独り善がりな偽善ですよ」と言う。
偽善であろうと何であろうと助けられたことに違いは無い、恩義は恩義だ。
恩義には恩義で返したいと思い、先ずは家臣として仕えたいことを申し出ると、困った顔を一瞬された後に私の思いを受け取って頂けた。
そして、名を変える際に長さんの「長」の一字を所望した。
長さんは代わりに今まで同様私が丸目三位殿などと言わずに「長さん」愛称で呼ぶことと、「長の字は後に付ける様に」と言う二つを条件に出された。
「主の偏諱を後付けなど出来ませぬ」
「じゃああげられません」
「ぐぬぬぬぬ~」
「それに、豊さんの名が長豊とかになったら、同じ長さんとなり、紛らわしいじゃない?」
「・・・では、仕方ありませんな~」
信豊なのに「豊さん」と呼んでいたのに何を今更と思うが、美羽殿より「長様の照れですよ」と言われて何となく納得した。
それに、長さんは自分を過小評価するきらいがある。
照れと過小評価から来るものだと思うと何だか納得できるが、それでも家臣となる者に無礼講はと思ったが、長さんはそんな私の心情を見抜いた様に、「家臣と言えども友ですから、公の場以外では今までの様に付き合いたい」と言われる。
それが嬉しくもあり、困ったことでもありであるが、「他人行儀な態度取るなら家来にしませんよ」等と言われる・・・やはり何とも人を食ったような御仁だ。
しかし、その一言一言が何とも心地良い。
人誑しとはこのような人物を言うのかもしれぬ。
そして、私は武田の「武」を捨てて式田と苗字を変え、主が呼ぶ豊の字を頭に名を豊長と改めた。
越後に落延びた後、京へとやって来たが、長さんは私が考えている以上の多くの情報を獲て居る事を知った。
この場に居ながら日ノ本の全ての情報を集めているのではないかと思えるほどの情報量だ。
信玄様も情報を獲る事に苦心されておったし、我が父も情報こそが勝敗を左右すると言っておられた。
私はとんでもない方にお仕えしたのかもしれぬ。
情報の中には四郎様(武田勝頼)や武田の他の者どもの末路もあった。
その情報を見ていると四郎様のことを考えてしまう。
武田家の最後の当主となられてしまった・・・
四郎様は自害されて賽の河原を渡られたと聞く。
本来は諏訪家を継ぐはずが甲斐武田家の嫡男になられた上、信玄様が家督を譲られる前に急死されてしまい、急遽、家督を継ぐ事となられた。
本来は皆で支えるべきにも拘らず、批判する者、ご意見・行動に異を唱える者、等々の非協力的な者が多く現れた。
四郎様は武田家を継ぐだけの器量は十分にある方にもかかわらず、そういう者どもはその能力を見ず、信玄様と比べたり、訳もなく見下したりした。
そのような者どもの中でも許せぬは一門衆の者であろう。
更にその中でも、私が特に許せぬ男がいる。
穴山梅雪、あの男だけは決して許せぬ者である。
上洛された徳川殿の一行の中にその顔があった。
私の事を見つけた瞬間に目を剥いて驚いておった。
まるで死した亡者でも見るような目だ。
私はニヤリと笑いその驚きに返答した。
その様子を見ていた我が主、長さんが私に聞いて来る。
「豊さん、知り合い?」
「武田一門の者ですな」
「ふ~ん、因みに何て名前?」
「穴山梅雪」
長さんは少し考えるような素振の後に「あ~気にしなくていいよ~多分、その内直ぐに死ぬから」と言う。
「出来ればこの手で葬りたいのですが」と言うと、驚いた顔をされた後に「う~ん・・・何か考えとく」と言われた。
何を考えるかはまだ解らぬが、あの者を打ち滅ぼす事が出来る様なそんな予感がした。
〇~~~~~~〇
さて、穴山梅雪が出て参りました。
もし、武田勝頼や最後まで武田家を支えた者たちが生き残っていれば、最も恨まれたであろう人物の1人だと思います。
穴山梅雪は
そして通称として梅雪と呼ばれました。
長篠の戦いでは武田信豊らと共に中央に布陣しましたが、梅雪率いる穴山衆は諸記録に戦闘を記したものが見られず、穴山衆の多くの者が戦後に無事帰還していることから戦いに真面に参加したか怪しい存在です。
元々が織田信長と対立するのを反対していた急先鋒でもあったのでこの頃から裏切っていた可能性もありますね。
「甲陽軍鑑」には積極的に交戦していないことが記されているようで、戦後に春日虎綱(高坂昌信)が負け戦の責任追及と家臣たちの心情を鑑みて一門衆の武田信豊と穴山梅雪の切腹を勝頼に進言したとも言われています。
勿論、この進言は却下されました。
本能寺の変が起こった際は、丁度、家康と共に上洛しておりました。
ルイス・フロイスの「日本史」では家康一行から遅れて移動していたところを落ち武者狩りの襲撃に遭い殺害されたと記され。
梅雪は家康を疑い別行動を取ったと言う説があり、その事で行動が遅れ、光秀から家康追討の命を受けた一揆勢によって家康と誤認されて殺害されたとも言われます。
追い詰められて自害したと言われますが、何方にしても逃げ遅れて亡くなりました。
穴山梅雪の没後には嫡男の穴山勝千代(武田信治)が武田氏当主となっておりますが、梅雪の奥さんが武田信玄の次女である見性院なので信玄の義理の息子で勝頼の義理の兄弟なのです。
信玄だけでなく勝頼からも重用された人物なのですが、武田家が後が無いと判ると甲府にいた人質を逃亡させ、甲斐一国の拝領と武田家の名跡継承を条件に、家康の誘いに乗り、織田・徳川に内応しています。
武田家の中では、多分、一番の裏切り者ですね。
しかし、1587年に勝千代が死去します。
その事で武田家の名跡が宙に浮きます。
家康の五男の万千代(武田信吉)が甲斐武田の名跡を継承しますが1603年に万千代がこれまた死去します。
偶然でしょうけど、何だか甲斐武田家の呪いの様にも感じてしまいますね~
さて、豊長(元、武田信豊)と穴山梅雪の物語は如何になるか!!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます