第227話
持つべき者はやはり気心の知れた者と言う事だね~知り合いになっておいてよかったよ。
信濃に居たのでそのまま越後経由で京に戻ったよ。
謙信さんも床の中ではあったけど会うことが出来た。
千代曰く、寿命がもう直ぐと言うから最後のお別れが出来たよ。
俺の知る歴史より長生きかな?
ただし、数年間しか関わらないのは昔からの不摂生の影響だね。
リアル劣化エリクサー的なお酒「神饌」でも流石に成人病の類には効果無いのかそれとも元々の寿命なのか・・・
本人は寝込んでいても満足そうな顔なのだけは救われる。
会った時の射殺されるんじゃないの?と思える様な眼光は鳴りを潜め、まるで仏様の様な優しい全てを悟った様な穏やかな面差しになっていたよ。
そして、よく笑う。
そうそう、御館の乱が無かったので上杉景勝への家督継承を謙信さんが行ったことで上杉家の家中の反発はほぼ無し、勿論、一部の跳ねっ返り者と言うのは居るから規模は小さいけど乱はあった模様。
そんな中で謙信さんの前の関東管領さんがおいたしたようで、戦死されたのでそれがこの歴史線上では御館の乱と呼ばれるかもね。
規模が小さい分、他に力を割くことが出来た様で、一番は佐渡島の統治が順調とのことだ。
俺もこれには一枚噛んでいる。
技術者として奴隷を手配して現在は外国の最新の金山開発技術を導入して効率的に金を採掘している。
手配とか諸々は我が家の大蔵大臣様の莉里と仲良し商人ズが行ったので俺は事後報告で「へ~良かったね~」と返事したのみだけどな。
序に公害対策とかも俺のナンチャッテ知識で一部導入しているけど、俺はその分野で知識チートなぞ持ち合わせていないので知っていること抜粋で専門家に丸投げだけどな。
兎に角、佐渡金山は300年間も掘れたと言うから追々頑張ってくれ。
謙信さんはやはり豊さん(武田信豊)と面識があったようだけど、スルーしてくれたよ。
豊さんは
武田の一族の「信」の字を捨てて俺の名前の「長」を一字を欲しいと言うからあげたら喜んで
武田の歩き巫女は藤林の諜報に組み込まれる結果となった。
元々から下請け機関の様な感じだったけど、正式に組み込むことで色々と幅が広がるらしい。
何が広がるか?そんな物は知らんけど、お銀はホクホク顔で取り込みの為に武田旧領(甲斐・信濃・他)に残って頑張るそうだ。
時代は広域の諜報だし、人手確保でも即戦力は重宝するのかもね~
さて、
名を
う~む・・・何時の間にか会ってみたい偉人に会っていたようだ。
これでまた一人コンプリート。
慶さん(前田慶次)と凄く仲良くなっていた。
史実と同じく莫逆の友となったのかもね。
成るべくして成った?まぁ仲良き事は良きかな良きかな!!
さて、俺が京に戻ると伝えると、慶さんも一度、信長さんに報告に行くとのことでご一緒する事となった。
特に信長さんからは期限的な物は言い渡されていなかったようだし、上杉家が敵対しなければOK的な感じなのかもね。
しかし、武田同様に上杉家も織田家の最大警戒対象だったので柴田さん(柴田勝家)や又左さん(前田利家)らは相変わらず上杉家に警戒するようにとの通達のままらしいよ。
さて、慶さんが武田領内で何したかを聞いて来るから教えたよ。
慶さんなら言いふらすとかしないと信じているしね。
「それにしても、そんな面白そうなことなら一枚噛ませて欲しかったよ」
「あ~空飛べないと無理!」
「へっ?空を飛ぶ?長さん呆けるにはまだ早いぞ」
うん、空飛んで移動したとかは流石に信じて貰えなかったよ。
まぁ普通そうだよね~多分、冗談だと思ったようで大笑いされたよ。
越後を後にして俺たちは京に戻った。
京に戻った後は慶さんとは一度別れた。
慶さんは久しぶりに京の
丁度、信長さんが家に茶を飲みに遊びに来てたのでご挨拶して序に新入りをご紹介!!
「式田と申します」
「式田殿は武田家にお仕えだったのですか?」
「はい、主家が滅びましたので丸目家にお世話になる事としました」
おふっ~豊さんは信長さんに恨みは無い様で和やかに談笑して御座る。
信長さんは彼が武田典厩だと言う事は知らないよね?
まぁ見識無いだろうから・・・本当に知らないよね?
バレたとしても次郎さん(武田信繁)の時の様な後悔はしたくないから俺守るよ。
これからは俺の身内待遇で長門守同様に俺の相談役をお願いする予定だ。
「武田の副将」やってたんだから先ずは切原野で自警団でも率いて貰う?
まぁ戻ってから考えるか。
「武田家には特に恨みがあった訳ではないが、これも武士の習いじゃ」
「はい、心得ております・・・」
「しかし、武田典厩殿には是非とも降って我が大望の為に働いて欲しかったのだが・・・」
「さ、左様で・・・」
え?信長さんや、正体知っていないよね?
俺、背中に変な汗かいてるよ。
いや、武田信豊は自害した!彼は式田豊長!!別人です!!
おっと、藤林の諜報が伝えてくる情報では着々と織田家の天下統一事業が進んでいる知らせが入る。
そんな中の一つの情報で家さん(徳川家康)が京に来るらしい。
何でも武田征伐の際の手柄として家さんが駿河国を貰ったらしいのだけど、そのお礼を兼ねての上洛らしい。
あれ?何か忘れている?え~と・・・重要なことだと思うんだけど、今一思い出せない。
何だったかな?
まぁ思い出さない物は仕方ない、久しぶりに家さんと会えるのも楽しみだし、その内思い出すだろうし、今は家さんと会うのを楽しみにしておこう。
★~~~~~~★
丸目殿が連れて来た人物は実に覇気のある人物であった。
「式田と申します」
「式田殿は武田家にお仕えだったのですか?」
「はい、主家が滅びましたので丸目家にお世話になる事としました」
恐らくは一廉の人物なのであろう。
織田家ならば間違いなく重臣となっておる様な人物じゃが元武田の家臣で式田・・・まるで聞いたことない。
世に出ていない無名の者ですらこれか、武田家はやはり侮りがたかったと言う事であろう。
聞けば丸目殿が越後に落延びたこの御仁を配下に加えたと言う。
実に惜しい事をした、先に知り合っておれば儂の家来としたものを・・・実に惜しい。
武田に仕えておったのであれば儂に良い印象は無いかもしれぬが、良い訳だけでもしておこうか。
「武田家には特に恨みがあった訳ではないが、これも武士の習いじゃ」
「はい、心得ております・・・」
ふむ、潔い人物の様じゃ。
武士の習いであることを重々心得ているようである。
恨む気持ちもあろうに一遍もそのような態度は出さぬとはな、実に見事也!!
そんな人物だからこそ本音を漏らすこととした。
「しかし、武田典厩殿や多くの元武田家の者には是非とも降って我が大望の為に働いて欲しかったのだが・・・」
「さ、左様で・・・」
ん?慌てておられるな?
もしやするとこの御仁は典厩殿の行方を知るのかもしれぬ・・・
いや、聞き出そうなど悪手じゃな。
一応は亡くなった事になっておるしな。
藪を突いて仕方なかろう、縁があれば会えると言うものぞ。
「して、丸目殿、京には何時まで滞在を?」
「織田殿~屋敷は某が居る時は貸せませんよ~」
「わははははは~分って御座る。次は儂が借り受ける予定じゃ」
「う~一応は家さ・・・徳川殿が京に来ると聞き及びましたので、会ってから旧交を温めてから九州に戻っても良いかと思っております」
「ふむ、竹千代(徳川家康)とお知り合いであったな・・・では、日頃の礼に竹千代と共に
「え?宜しいので?」
「勿論じゃ!」
くふふふふふ~竹千代も喜ぼうし我ながら良い案じゃ。
さて、饗応を誰に任せるか・・・
〇~~~~~~〇
いよいよ例の歴史的大事件が近づいてきます。
その前段階として、家康の上洛からの饗応が行われます。
これを差配した人物は明智光秀と言われます。
徳川家康の饗応役の任を突如解除され出世レースのライバルである羽柴秀吉の毛利征伐の支援を命ぜられたと伝えられています。
この出来事を「饗応役解任事件」等とも呼ばれます。
どうして解任となったのか?
色々な憶測が飛び交っております。
光秀の対応の悪さが原因で信長が任を解いたと言われますが、何が悪かったのか?
中には接待用に用意された魚が腐っていた等とも言われますが・・・これは無いと思います!!
さて、「信長公記」では明智光秀が家康をもてなし過ぎたからと言う理由が書かれております。
その中でも、接待時の猿楽観劇の構成順番と会食時の食事の豪華さが挙げられております。
信長は光秀に対し「家康を最大限にもてなす様に」と言明しました。
最大と言ってももてなしには「格」と言う物が存在します。
「格」とは何かというと、最大限と言って最初に思い浮かべるのは「
「御成」と言うのは 宮家、摂家、将軍などの貴人が外出することや訪ねて来ることをいう尊敬語なのですが、おもてなしの「格」で言えば最上級のおもてなしをすることを指します。
しかし、家康はこの段階で貴人に含まれませんので最大限と言っても「御成」待遇は不味いのです。
公家の文化や将軍家の作法にも精通している光秀はそれを理解していたのですが信長の厳命である最大限にと言う事を考慮して「御成」待遇でどの様に家康をもてなすか苦慮しながら一生懸命考えたようです。
しかし、ここで信長と光秀の考えの不一致が発生します。
考えられるのが2パターンです。
信長としては「最大限でもてなせと言ったが、やり過ぎだ」と考えた説が1つあります。
宮家、摂家、将軍などの本当の貴人をもてなす時には家康に行ったこと以上をしないとまずいのに、どうするんだ?もてなし過ぎて本当の貴人に対してはどうせいと言うんじゃと言うことで激怒したとも言われます。
要は「信長公記」に書かれているやりすぎ説でしょうか?
もう一つは逆で、信長的に「もてなしがまだ足りない」と言う説です。
私は此方ではないかと考えています。
先にも書きましたが、光秀は公家の文化や将軍家の作法にも精通しています。
家康をもてなす際に猿楽(能)の手配において、敢えて大和四座をこの饗応から外したのではないかと思われます。
料理も「御成」を微妙に外す為に珍味などを取り入れた事で傷んだ食材と誤解されたのかも?とか思います。
若しかしると鮒ずし(凄く臭い)や臭豆なんか出したのかも?
そのような発酵食品の中にはとんでもな物もありますし・・・
さて、こちらの「もてなしが足りない」説では信長的には征夷大将軍の任ぜられた際に御成と同じく各地の大名たちを呼びよせて宴席等々が設けられます。
これはある種の将軍だけが行える特権行為なのですが、それを家康に対して行い自分が次の将軍若しくは現在の天下人であることを大きく内外にアピールすることが狙いであったのに、光秀はそれを微妙に外し信長の狙いを邪魔したと捉えられたのではないかとも思います。
ここで、信長はそれに激怒しましたが、光秀的にも2パターン考えられます。
信長の為にあえて外したが裏目に出た説と信長にその特権行為をさせないようにした説です。
後者だと謀反を行ったプロセスとして私的にはしっくりきますが、皆様はどう考えるでしょうか?
実に興味深い出来事ですね~
大事件、本能寺の変に繋がる一幕ではありますが、考察すると実に面白いですね。
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