第220話
今回、野盗退治で一等賞を取ったのは源太。
殆どの者が3匹退治する中で一人だけ4匹退治した。
里子は32匹を駆除したよ。
本当に1匹見たら100匹いると思えの教え通りであったことをここに証明できた。
え?Gと一緒にして良いのかと?・・・盗賊・野盗なぞGと一緒だ!!
Gは人を襲わないけど奴らは人を襲い色々奪うからGより質が悪い。
家周辺だけでもそんなゴミ共を掃除できたのだから世の為人の為だ。
さて、源太には良い刀を送ったよ。
今回の討伐で源太の妹のお香も中々頑張ったと思うよ。
1人目で手古摺ったのがね~やはり盗賊と言っても1人目を殺るのは躊躇してしまったようだ。
他の者も頑張ったので今日は宴会だ!!
「兄に負けるとは・・・」
「兄より強い妹とか無いからな!!」
兄妹で言い合っています。
考えてみればこの兄妹を拾ってからもう直ぐ10年位か?
しっかり栄養を取らせているので体格はいい方だ。
やはりバランスの良い食事は重要なのだと痛感するよ。
他にも切原野の周辺では色々な事が起こっている。
紹さん(神屋紹策)が隠居して切原野に屋敷を立てて住み始めた。
俺も考えてみれば今年で30歳を迎えた。
いいおっさんになったな~と自分でも思うが、仙術を覚えているからなのか栄養状態が良いからなのか、まだまだ若々しく見えるぞ。
さて、里子も15歳だ。
煌めくような髪に整った顔立ち、真里を思い出す。
最近は特に出会ってから少し経った頃の真里によく似ているけど、真里と違い活発だ。
多分、美羽たちに感化されたのかもしれないし、元からそう言う性格だったのかもしれない。
最近は数日居なくなったかと思えば九州の各地に見聞を広めに出歩くことも多くなった。
親離れ早いぞ!!
一応は九州から出ないようにと、お供の者を3名は付ける様にと言ってある。
源太やお香はよくそのぶらり旅に同行しているようだ。
島津家の方に行った際に見染められたとかで豊寿丸と言う10歳位のガキの嫁に欲しいと言って来た。
え?島津家って滅ぼされたいの?
書状読んだ瞬間に家を飛び出して島津家に次の日に到着後に言い出しっぺの義弘に「欲しいなら俺に勝つ事だ」と伝えて来たよ。
そして、大事なことなのでもう一つ!!
「里子を嫁に出す気はない。婿養子でいいなら受け入れよう」
義弘は「うーむ・・・」と唸っていたけどな。
信長の家臣で佐久間信盛と言う者が高野山に追放された。
織田家でそれなりの地位にある者だったので噂となったそうだ。
柴田さんが加賀の一向一揆を完全に鎮圧したそうだ。
石山合戦も集結した。
顕如無き本願寺は歴史通りに10年の歳月を信長と戦った。
歴史的な強制力なのかもしれない。
織田家の話ばかりだが、今の世は織田家中心に回っているのでやはり織田家の話が多く伝わって来る。
北条家の氏政が家督を息子で嫡男の氏直に譲ったそうだ。
俺と同世代位なのに、もう家督を・・・と思ったよ。
そうそう、また織田家の話になるが、来年、京で織田家が御馬揃えをするそうだ。
簡単に言えば軍事パレードなのであるが、面白そうだから見物に行く予定にしている。
それから、長門守の所に子供が生まれた。
妊活頑張ったんだね・・・
★~~~~~~★
「もしや、そなたの父は丸目三位様かな?」
「父の事をご存じですか?」
「やはり!!以前に島津家に御立ちよりの際に稽古をつけて頂きました」
家臣が丸目三位殿の御息女を連れて参った。
「お~もしや、里子殿かな?」
「何処かでお会いしましたか?」
「幼き頃に一度な」
「そうですか」
ニッコリと笑顔で受け答えする丸目三位殿の御息女の里子殿は武者修行で九州各地を回っていると言う。
女だてらに中々の腕前だと伝え聞くが果たして・・・
「参った」
島津家の猛者たちを相手に全く寄せ付けない程の強さ。
流石は剣豪・丸目三位殿の御息女じゃ。
どれ、儂も一手ご指南頂くか。
彼女には全く歯が立たなかった。
以前立合った真里殿を彷彿させる美しく凛とした容姿だが、美羽殿の様に自由で闊達な流れるような剣技だ。
丸目三位殿にも似ているか?
儂も全く手足が出なかった。
里子殿のお供の者ともしあったが、互角か・・・
中々やりよるわ、流石は丸目門下。
四日ほど滞在した後に帰られたが、丸目三位殿に願って甥っ子の豊寿丸の嫁に貰うのも悪くはない。
まだ十程だが、中々才気ある甥っ子だし、良い夫婦となろう。
そう思い、書状を出して二日後、丸目三位殿が現れた。
「
「よう来られた、丸目三位殿」
「お前!事もあろうに家の里子ちゃんを嫁に欲しいだと?」
「・・・実に良い女子だしな」
「ほう、解っておるな!だが、やらん!!」
「お主の仕えておった相良家は、今、我らの傘下に居るし、良い縁組と思うたが・・・」
「はぁ?相良家などどうでもいいわ!!それよりも里子ちゃんの夫は俺を倒す程の者でないと認めぬ!!」
「・・・」
いやいや、丸目三位殿を倒せるってこの日ノ本に何人居るか・・・
譲歩を貰う為に酒宴を催し、「里子に勝てる者なら婿に」と言う言葉を頂いた。
どれ、豊寿丸を鍛えてみるか。
〇~~~~~~〇
丸目蔵人も30歳となりましたが、この時期は兵法修行に専心しており、九州一円の他流の兵法者と戦い無双していたようです。
そのことを知った上泉信綱より西国での新陰流の教授を任されていたと言われています。
上泉信綱が新たに工夫した太刀を学ぶ為、自分の弟子を伴い再び京に上洛したそうです。
しかし、残念ながら上泉信綱は死去しており、新しい刀法は学べなかったようです。
諸説ありますが、1582年に上泉信綱は死去したと言われますので、1582年~数年後位に上京しているようです。
さて、現在の物語の年数は1580年位です。
この1580年から数年間は全国各地で疫病が流行し、京でも死者続出したと言われます。
風邪、インフルエンザ、
このウイルスは非常に感染力が強く、かつては世界中で多くの死者を出していました。
しかし、1980年に
現在では研究用に保管されているウイルスが存在するのみで、一般の人が感染することは基本的に無いと言われます。
感染してから約2週間後に、39℃以上の高熱、倦怠感、頭痛、嘔吐等の全身症状が現れ、3~4日程経過する一旦熱が下がり、顔や四肢を中心に強い痛みや灼熱感を伴う斑状の皮疹が現れます。
敗血症や肺炎、脳炎などを合併することが多く、それらの合併症が死因だと言われますが、天然痘に罹り弱っていた所に合併症だから致死率が高かったのではと思います。
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