第210話

今日は雨~大雨~時間ありましたので500K PVオーバーの記念UPとして一話献上。

お読み頂いております皆様感謝です。

暇つぶしの一助になりますように。


◇~~~~~~◇


「長よ久しいでおじゃるな」

「山科様の葬儀以来ですね」


竜様(近衛前久)が訪ねて来た。

山科様(山科言継)の葬儀は何故か俺たちが喪主となった。

山科様の嫡子は在京していないと言うことで他の息子さんのすすき諸光もろみつ卿に相談したところ、彼自身が既に他家に養子に出ている為、山科家の事は他家となるし嫡子を差し置いて葬儀と言う家の大事を取り仕切る事は出来ないと固辞された。

俺もでは無くの人間なのですが・・・仕方なく嫡子の山科言経ことつね卿を探した。

勿論の様に藤林の諜報網が居場所を掴んでいたよ。

藤林諜報部隊マジ優秀!!

現在、朝廷のお仕事のを甲斐の武田家にて行っているとのことだ。

もうそれは山科家のお家芸だね。

急ぎ手紙を送り知らせたが返書で「直ぐには戻ること叶わず、故に父の葬儀の件御頼み申す」だってさ~親の葬儀より仕事優先か・・・いつの時代も仕事人間は居るんだね。

まぁ新幹線も飛行機も、高速道路に車も無い時代だから甲斐遠方より戻るとか大変だろうと何とか心を納得させた。

建前は納得したが気持ちでは・・・モヤモヤするので頭からその考えを追い出した。

何時までも葬儀をしないのは山科様に悪いと思い、春麗を喪主として葬儀を行ったよ。

義理でも娘だし、俺は義理でも娘婿!!

実子のすすき諸光もろみつ卿や娘さんたちは手伝ってくれたけど・・・それでいいのか?良いのだろう実子たち・・・

う~ん・・・何か納得いかないが、文句を言うこともままならない。

特に俺のやることに文句も言わないから諦めて好き勝手に取り仕切る。

葬式で揉める親戚たちとか観ていて見苦しいだけだしね。

春麗が喪主なら手加減無用、もう俺の思うがままの盛大な葬式を挙げたよ。

僧侶108人による読経響く個人の葬儀何て俺も見た事なかったけど、凄く壮観だったよ。

歴代公家の葬式でもここまで豪華なのってないよね?知らんけど。

山科様が浄土宗を信仰していた様なのでそこに頼んだんだけど、何故か俺が関わると言うことで色々なお寺から問い合わせがあり、「3日後に葬儀を行うので、僧侶を108人揃え式で読経をあげるから、皆で話して決めて欲しい」と言ったから色々な京中のお寺から僧が集まった大法要の様な葬式となった。

108は煩悩の数で適当に人数募っただけだけど、この時代の中々の有名僧侶が名を連ねたよ。

それと、俺と莉里で奏上して天子様から山科様宛のお言葉も頂いたよ。

一応は天子様の義理の娘と娘婿。

天子様も出す予定ではあったけど、こういうのは形式重要でお願いされて出す物らしい。

朝廷の予定調和的な形式らしいからそれに従いお願いした。

おっと、その時に竜様(近衛前久)も弔問に来てくれたよ。

竜様は信長の奏上で朝廷復帰し、去年、准三宮待遇となった。

天子様のお言葉を持参して仏前にてそれを読み上げたのは竜様だった。

山科様とも仲良しだったしいいチョイスだよね。

そして、日を改めて今日、竜様はお供を連れてやって来た訳だ。


「丸目三位殿、お初にお目にかかる。近衛前久が一子、信伊のぶただと申す」

「お初にお目にかかる丸目蔵人と申す」


竜様の嫡子らしい。

確かに面差しが似ている。

竜様を若くしたらこんな感じかな?と思う様な面差しだ。


義姉上あねうえも初めてお目通り致す」

「は、初めまして・・・」


美羽困惑である。

確かに美羽は設定上は近衛家の養女だったな。

こっちも一応義理の娘にその婿。

戦国時代とかの養子システムは会ったことも無い者を養子にしたりもある様なので、まぁ会ったことあるだけましだけど、姉弟でも義理なので初顔合わせとなった。

挨拶が終わると竜様が今回訪問の内容を伝えて来た。


「長よ、最近その方が何と呼ばれておじゃるか存じておじゃるか?」

「呼び名ですか?」


う~ん、知らん!!

以前は「今義経(判官)」とか「助平剣豪」等と呼ばれていた。

あ~本願寺からは「悪魔」と呼ばれたな~


「「であぼろ」と伴天連の一部の信者より呼ばれておじゃるぞ」

「「であぼろ」ですか?」


恐らくは「ディアブロ」だろう。

「悪魔」という意味だ。

何かキリスト教の者にしたかな?覚えがない。

まぁ「悪魔」と呼ばれるのはこれで2回目だが、今回は覚えが無い。


「覚えがありませんが、以前に本願寺の者たちに悪魔と呼ばれましたね~「であぼろ」ではなく「ディアブロ」だと思いますが、悪魔の事です」

「ほう!「であぼろ」とは「悪魔」の事でおじゃるか。「丸目であぼろ」と言う言葉を聞いたでおじゃれば、伴天連の洗礼でも受けたと思うたでおじゃるぞ」


竜様の今回の訪問は息子の顔見世とキリスト教の方で俺が「悪魔」呼びされていることを伝えに来てくれたようだ。

正確にはキリスト教に入信したかの確認だな。

洗礼名が「悪魔ディアブロ」って何それ?誰得よ。

天下人(織田信長)の意向で京での宣教活動認めているけど、公家さん連中は神道に仏教なのでキリスト教は懐疑的。

念の為に義理の婿の動向調査かな?

それにしても、京では俺を拝む者も居て、摩利支天様の社の神主曰く、最近は俺の事を「生き仏」「現人神」等と呼ぶ者も居ると聞く。

何じゃそれはと思うなかれ、この時代で個人で大規模ボランティアとか普通は無いからな!時はまさに血で血を洗う世紀末戦国時代!!

篤志家として後の世で語られるかもね、知らんけど。

普通に考えて損得無くして無償の精神とか逆に怖いわ~裏考えちゃうよ。

まぁ俺の場合はあぶく銭得ての偽善なので裏も糞も無いけどね~何となくの勢い?

それで出来ちゃうんだからある意味凄いかも?

おっと話逸れたな、俺の事を現世に顕現した神仏の様に崇める人々は災害時に身銭を切って救済したことからだと解るが、キリスト教徒に一部の者とは言え「ディアブロ悪魔」と呼ばれる理由がよく解らん。

竜様たちが帰宅後に「う~んう~ん」と唸っているとお金が理由を教えてくれた。

丁度、その件を調べていた途中とのことだが、どうやらカブラル神父が関わっているようだ。

本当に一部のカブラル信者の様な者がそう言っているだけで、全体の本当にほんの一部との事らしい。

殆どの信者は俺の事を悪く言わないので藤林の諜報員も気が付くのが遅れたらしい。

カブラルの相手するのは面倒なので放っておく様にと通達した。

カブラルが俺の事を「丸目悪魔くん」など呼んでも気にしないよ。

さて、京での用事も終わり九州に引き上げる準備の途中、又しても知り合いの訃報が届く。

竹中半兵衛さんの死去の知らせが届いた。

知らせを聞いてから前世の知識で半兵衛さんの死ぬ時期を知っていた筈なのに失念していたことに気が付いた。

そして、一応は知らせていたのであるが黒田官兵衛が荒木村重に捉えられて牢に入れられていると言う。

丁度、件の村重の元家臣さんと会ったな・・・

しかし、こちらもすっかり忘れていた。

「幽閉の相」と言う自分で言っておいて何だが、訳の解らんアドバイスでは防げなかったようだ。

半兵衛さんの冥福を祈りつつ俺たちは九州へと戻ろうとしていたが・・・


★~~~~~~★


蔵人様の命により盟友の徳川様の奥方様と御嫡男の動向を探ること数年。

最近は奥方様の築山御前が頻繁に武田とのやり取りをしていると言う知らせを受ける。

築山御前は元々は名門今川家の者で、義元公の姪に当たる。

将来有望視された徳川様を今川に取り込む政略の一環で夫婦となった間柄であった。

しかし、義元公は桶狭間で露と消え、今川家も十年程前に武田と徳川によって土地を失い今川家の当主であった今川彦五郎様(今川氏真)は流浪の身となった。

現在は妻の早川殿の伝手で北条に身を寄せているようだ。


「お銀殿!そ、それは・・・誠ですか?」

「勿論」


現在、私は服部殿と情報の受け渡しをしている。

徳川方では把握していなかった様で、驚いておられるようだ。

織田から輿入れし二女を御産みになった嫡男(徳川信康)の嫁、五徳姫が築山御前の行った不義を夫の岡崎三郎様(徳川信康)に報告したが逆に叱責されたことも知らなかったようだ。

更に、その不義は唐人医師・減敬との密通や、武田家との内通があったことなどであることも知らなかったようだ。

唐人医師・減敬は武田の間者でもあるが、これも把握していなかったようだ。

徳川の忍びは弱体化している、そう思わざるをえない。

服部殿は元が伊賀の忍びの出だ。

保長殿(初代半蔵)は一流の忍びの者であったと聞くが、二代目である正成殿はもう武士で忍びでは無い。

いや、忍を統括する武士と言ったところか?

昔は収入も安定していて蔑まれることも無い立場を得た彼ら一族を羨ましくも思ったが、蔵人様に仕えだしてからは逆に自分が忍びであることを誇らしく思うし、失われていく服部の忍びの技を惜しいとも感じる。

蔵人様は「忍びが忍びであることが重要」と言う。

「忍びが忍んで事を成し、他人を出し抜くこと、これって痛快だろ?」と言われたと聞く。

誰にも知られずに影働きをすると言うのは地味で目立たないが、その働きをもって世を裏から牛耳ることが忍びの美学らしい。

それを聞いた時、背中に痺れの様な何とも言えない怖気とも違う何とも爽快なものが込上げたものだった。


「藤林お銀殿」

「はい、服部半蔵殿」

「お知らせ頂きましたこと感謝申し上げる」


目の前で一つの一族を束ねる忍者の棟梁が私に深々と頭を下げられた。

あ~蔵人様が言われたと言う「世には出ないが感謝される働きこそ忍びの本望」という言葉が頭の中を駆け巡り、喜びが吹き出しそうになった。

グッと堪え、「いえ、仕事ですから」と言ってニッコリと笑顔で返した。

その後、徳川様(徳川家康)や服部殿等の多くの徳川家の者が動いた様だが、五徳姫様は十二箇条の訴状を父である織田様(織田信長)に送られたと言う。

そして、徳川様は嫡男(徳川信康)と正室(築山御前)を処された。

世間では織田様が徳川様に二人の処刑を命じたと言われるが、事実は織田様が娘からの訴状を見て徳川様に確認された。

対応が遅れて織田様に知られた以上は速やかに処断をと考えられた徳川様がお二人を処しただけの話である。

お二人が徳川様を廃し下剋上を成そうとされたことが徳川様の重い腰を上げさせる結果となった。

真実は闇の中であるが、徳川様よりも感謝され、多くの金子を得ることも出来た。

ただの忍びであればここまでの金子を出すことも無かったであろう。

蔵人様が言われた「侮られるから相手は金子を出し渋る。侮られなければ正当な報酬を得られる」と言うのはこの事であり、現在、藤林の者は侮られていないと言うことであろう。

さて、これにて蔵人様の指令が一つ片付いたこととなる。

次の任務にと私は向うこととした。


〇~~~~~~〇


近衛信伊のぶただが出て参りました!!

さて、今回徳川家で起こった築山御前事件は色々と謎が多く真相は藪の中的な事件でもあります。

1575年に起こった徳川信康の家臣である大岡弥四郎らが武田勝頼に内通して謀反を企んだことが発覚し処刑される事件は築山御前と息子の徳川信康が大岡弥四郎らに依頼していたと言う説もあります。

五徳姫が父・信長に訴状を出したのは1579年と言われております。

この4年程の歳月で武田と内通関係を深めたのではないかと言われております。

家康は妻の築山御前を処断することを決め上意により処したとも、護送中に徳川家の将来を危惧した家臣によって殺害されたとも言われます。

謀反等の罪で二人は処されたのですが、実際は物的証拠は何もありません。

家康と信康が丁度この事件の前後の時期は不仲であった為、信康の失脚を家康が狙っていた時に嫁姑問題が起こり罪を家康がでっち上げたのではないかとも言われます。

流れとしては五徳姫に嘘の噂を聞かせ信長に報告させるように仕向け、信長から家康宛てに詰問が届きそれを受け次第、信康に全ての責任を押し付けて切腹させると言う流れを家康が描いたのではなど言われます。

築山御前が息子(信康)が切腹したことを知ったら彼女が狂乱し問題を本当に起こすのではないかと危惧し、先に処断したのでは?とも言われます。

今川家に遠慮する必要はもはや皆無なので序の序に不仲の奥さんもやっちゃおうと計画しても家康なら驚きませんね。

そうなると冤罪ですね。

勿論、作中で描いた様に本当に家康に下剋上を仕掛けた親子が失敗したと言う可能性も高いです。

そして、家康は築山御前に対しては処刑や自害ではなく終生幽閉とする意向だったのではないかとも言われます。

築山御前はそのような恥辱に耐えられないと考え自害したとする見解もあるようです。

次回、またまた新キャラ登場!!

今後ストーリー上で重要なキャラですよ~

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