第203話

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リアルが忙しいので今回はお礼の一話はご勘弁を^^;

その内余裕がある時頑張ります・・・


◇~~~~~~◇


織田と上杉の和睦が成ったと言うことで、家族が越後にやって来た。

俺が気落ちしていたことも原因だな。

しかし、年越しは越後で行うことになりそうだ。

慶さんも上杉との和睦と同盟の使者としてやって来たが、基本は俺の剣術指導に付き合うのと謙信公の茶飲み友達的なポジに落ち着いた。

茶を飲みながら茶請けの菓子を食べていると例の如くハイエナ、いや千代が茶菓子を狙ってやって来る。

幼児に優しい謙信公は自分の茶菓子を渡すので今日もそれを狙いやって来る。


「美味いのじゃ」

「そうかそうか!千代殿は甘党の様じゃな」

「うむ!甘い物は心の滋養に必要なのじゃ」


謙信公と和気藹々と話す千代。

謙信公は全ての権限を上杉景勝に譲り隠居したが、引き継ぎもあるので午後の少しの時間などはそちらに行くのであるが、謙信公がその用意の為席を立つと千代の雰囲気がガラリと変わる。


「兄上」

「何だ?千代」

「謙信殿は長くないぞ」

「へっ?」

「多分、放っておけば年内にはお迎えが来よう」

「・・・」


見かけに騙されてはいけない、こう見えても千代は立派な妖狐で、仙術を極めた存在だ。

その千代がそう言うのであろうから間違いない。


「そうか・・・千代」

「何じゃ?兄上」


千代に何か方策は無いか聞く。

流石に仲良くなった人物が続けざまに亡くなるのは見たくない。


「そうよな~・・・!ほれあれがあったじゃろ?」

「あれ?・・・あれって?」


千代曰、「神酒 神饌」を十日の間毎日一杯づつ飲めば今ある問題は無くなり回復するだろうとのことだ。

うん!急ぎ取り寄せたよ。


「蔵人殿!何じゃこの酒は!!」

「ん?天子様に献上したお酒」

「て、て、天子様に?」


あの上杉謙信がこんなに驚く姿を見るとは思わなかったよ。

謙信公には「薬ですよ」と言って飲ませた。

訝しがりながらも、匂いを嗅ぎ酒と理解したようで「良薬じゃな。薬なら仕方なし、仕方なし」と言って半分ほど飲んだ瞬間に先程のセリフだ。

その後はチビチビと飲みながら「美味い!美味過ぎる!!」と言って飲んでいたよ。

考えてみたら、信長が右大臣就任した次の年位に謙信公は亡くなっていたなと言うことを思い出した。

この時代の人って50歳前後で死ぬこと多いからね~俺がここに居ることは謙信公にとって幸運だったのだろうね。

もし仮に、今、謙信公が身罷られたら上杉家も割れると思うからね~家督を完全に委譲したとはいえ、納得しない人々とはある一定数いる。

謙信公が数年目を光らせれば問題ないが・・・今はそんな重要な時期だったので千代の助言は本当にナイスであった。

謙信公は十日程「神酒 神饌」を飲むと「体が軽くなった」と言い、剣術指導も受け始めた。

越後に居る間も藤林の諜報からは色々な情報が入って来る。

1月から2月に移ろうかという時期に安土城城下で小火ぼや騒ぎがあったと言う。

実はこれも将軍様(足利義昭)の嫌がらせらしい。

信長は世情不安を払拭する目的なのか翌月の終わり頃に安土城城下で相撲大会を開催し小火騒ぎの事など皆が気にしない様な対策をしたようだ。

意外な暗闘に面白く知らせの文を読んでいると、慶さん・謙信公もその暗闘を知り面白がっている。

本当に他人事のように・・・謙信公は解るけど、慶さんって一応織田家所属じゃなかったっけ?

さて、俺が織田と上杉の和睦の流れを作ったことで武田が孤立している。

現在、上杉は織田・北条と同盟を結ぶ形になっている。

御館の乱が無くなったことで上杉景虎は生きて居るので北条との同盟もまだ継続中だ。

それに、藤林の暗躍で徳川・北条の同盟が早まりそうだ。

その同盟の仲介を何故かお銀が行っていると言う。

本当に藤林家って俺に係わる事で全然違う形で歴史で暗躍する家となっているような形だ。

勿論、報酬は大きいのでお銀も張り切っているようだ。

さて、他に熊さんこと龍造寺隆信が肥前を平定した。

先年、大友純忠を降し、今年3月に有馬鎮純も降しての平定だったようだ。

大村純忠は長崎港に攻めて来た龍造寺軍をポルトガル人たちの協力を取り付け一時撃退したそうだ。

しかし、熊さんの圧力に負け従属状態となった。

そして、最新情報として織田信長が右大臣・右近衛大将の官職を朝廷に返上した。

息子の信忠に官職譲渡を狙った様だけど、それは朝廷から駄目と言われたようである。

そして、雪も解け俺達は一度九州へと帰ることとした。

九州に戻る前に長浜に寄り妻子を預かってもらったお礼と京への立ち寄りをしないとね。


★~~~~~~★


「行ってしまわれましたか」

「うむ」

「御隠居様(上杉謙信)は如何されますか?」

「そうよな~・・・蔵人殿が佐渡には夢が詰まっていると言っておった」

「夢・・・ですか?」

「酒を飲みながらの与太話とも言えるが、あの蔵人殿の言うことじゃしの~」

「確かに・・・」

「佐渡に行くなら山も調べろと言われたわ」

「山・・・金銀銅でも見つかるかもしれませぬの~」

「ははははは~まさかな・・・いや、一応はその線も調べることとするか」

「そうですな」


佐渡の統治に本気になった上杉家の行動は早かった。

謙信公自らが代行の総大将として赴き、佐渡の国人を一掃した。

山を調べ金山が見つかったことで上杉家は佐渡開発を始める。

孤立していた武田家が金山開発のノウハウを上杉家に提供する形で同盟を結ぶことになる。

丸目蔵人が知る歴史とは違う形となるが上杉・武田の不可侵同盟が結ばれる。

これにより北条は上杉景虎と上杉謙信の養子を解消し上杉景虎は北条家へと出戻る事となった。

上杉景虎は北条氏虎と名を改めて北条家一門として小田原征伐にて討死するまで生きたと伝う。


〇~~~~~~〇


次は長浜行きます!!

さて、御館おたての乱が無くなりました。

史実では1578年3月に上杉謙信が病死します。

上杉景虎は義兄弟の上杉景勝と家督を巡って対立することとなりました。

この一連の流れを御館おたての乱と言います。

上杉景虎は上杉景信・本庄秀綱・北条高広らの支持を集め、実家の後北条家とその同盟国の武田家の後援もあり、当初は上杉景虎が優勢であったそうです。

対し、上杉景勝側は春日山城本丸の金蔵を奪取したことで軍資金を押さえます。

さて、何故に御館の乱と言うか・・・上杉景虎は妻子たちを連れて上杉景勝が掌握し始めた春日山城を脱出し、城下にある「御館」に立てこもったことから御館の乱と言われました。

御館とは前関東管領である上杉憲政の屋敷でそこに立て籠もりました。

上杉景虎の運が無いのはこの時、北条主力が佐竹・宇都宮連合軍と対陣中であり、甲相同盟(北条と武田の同盟)から武田勝頼が上杉景虎への援軍を打診し、武田勝頼は同年5月に信越国境まで武田軍を出兵したのですが、上杉景勝方が武田勝頼に和睦を提案し、和睦交渉が開始されました。

この時に上杉景勝が北信地域における上杉領の割譲を条件に提案しております。

武田勝頼がそれを飲み和睦が成立し、甲越同盟が締結されたそうです。

ここまでの流れが同年6月で状態が膠着します。

8月に入り上杉景虎と上杉景勝は一時的に和睦が成立しました。

しかし、同月、徳川家康が駿河の武田領国へ侵攻開始し、武田勝頼は越後から武田軍を撤兵しました。

それが原因で上杉景虎と上杉景勝の和睦も破綻し、再び両者の間で戦いが始まったそうです。

また別個所では北条氏照・氏邦らが三国峠を越えて越後に侵入し、荒戸城を落とし、上杉景勝の拠点の坂戸城近郊の城である樺沢城を落としてこれを本陣としていました。

しかし、北条側も樺戸城に氏邦勢と北条高広・北条景広らを残して、三国峠に冬が来る前に一旦撤兵したそうです。

そして、1579年まだまだ雪が残る中で御館は落城、景虎の正室は実弟・景勝による降伏勧告を拒絶して自害、景虎の長男の道満丸も上杉憲政に連れられ景勝の陣へと向かう途中何者かに殺害(勿論、上杉憲政も殺害されました)、孤立無援となった上杉景虎は実家の北条を頼って小田原城に逃れようとしたようですが、逃げる途中で鮫ヶ尾城主の堀江宗親の裏切り&謀反に遭い、自害したそうです。

享年26歳であったそうです。

小田原征伐は1590年なので、もし、そこまで生きて居たとすれば36歳となり10年長く生きた事となります。

裏切りで死ぬより戦場で華々しく死ねた事の方が景虎にとっては本望かもしれませんね。

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