第201話

一方その頃、近江国は長浜の地にて丸目莉里・春麗たち一行は木下改め羽柴家に歓待されていた。

中でも寧々は二人と仲良くなりよく茶を飲みながら語らい合った。


「うふふふふ~莉里様、春麗様たちは中々に面白き方と夫婦めおとになられたのですね」

「おねい様、私たちに「様」付けは不要です」

「でも~」


莉里がそう言うと羽柴藤吉郎の妻・おねいは困った顔をする。

莉里は養子と言えど皇女、春麗も山科家の養女である。


「では、お互い名前呼びして敬称不要で!」

「良いのですか?」

「勿論!!」


春麗の提案を快諾し、おねいは愛称の「寧々ねね」と呼んで貰うこととした。

それからは更に打ち解け、丸目蔵人と羽柴藤吉郎の妻たちは益々仲良くなり意気投合して色々と話をするようになる。

寧々には1つの悩みがあり、仲良くなったからこそ聞ける本音が露呈することで、その悩みが解決することとなる。

偶々、その妻たちの話を聞いていた千代が意見した。

そこに茶菓子があり、その茶菓子を虎視眈々と狙う千代が居た事でこの問題に光明が差す事をまだ誰も知らない。


「何じゃ?赤子が欲しいと?」

「ん?千代ちゃん?」


以前より大きくなったが、まだまだ幼女と呼べるほどの背丈の千代が茶菓子を強奪し頬張りながら話に加わって来た。

寧々は幼女が子供が出来ないと悩む自分に聞いて来たことを不思議に思いながら千代を見詰める。


「千代~何か良い方法あるの?」

「春麗よ!人に物を訪ねる時には見返りが必要であろう?ほれ、そちのどら焼きを寄越すのじゃ」


寧々より貰い受けたどら焼きを片手に持ちながら貪欲に春麗のどら焼きも強請ろうとする妖狐・千代。

呆れながらもどら焼きを指し出し、「食べ過ぎたら晩御飯はいらないよ~」「その前に太るよ~」と春麗・莉里に意見される幼女の姿をした妖狐・千代。


「う・・・仕方ない・・・今回はこれで諦めておこう・・・夕餉は味噌炒めを所望するのじゃ!!」

「はいはい、考えとくね~それで何かいい方法あるの?」


莉里が千代に聞き返すと「うむ」と言い話し出す。

その様子が不思議で寧々はキョトンとして事の成行きを見守る。


「そう言う場合は房中術なのじゃ!!」

「房中術って睦事むつごとで内気を高める養生術だよね?」

「そうなのじゃ!しかし、それだけではなく、赤子を作る方法でもあるのじゃ!!」


春麗が房中術のあらましを言うと千代が頷きながら回答する。

寧々は意味はよく解らないまでも「睦事」と言う単語が飛び出したことで、顔を赤らめる。

話は更に進み房中術について千代は更に話し出す。


「房中術とはそもそもが房事ぼうじによる内気を高める男女和合の術じゃが、やることやれば赤子なぞその内出来るであろうが、それを促進させる技でもあるのじゃ」

体交法たいこうほうで男女の気を循環させてお互いを高めある法じゃなかったっけ?」

「ほぉ!流石は莉里なのじゃ、よく学んでおるの~」

「そんな誉め言葉良いから続き続き!」

「ふむ、通常はそうなのじゃが、大陸で仙人を目指す者ばかりでは無くこの術を使い子孫を増やす繁栄の手段として用いる者も居たのじゃ」


そう、房中術と言うのは錬丹術の一種で内気を高め体内で錬丹する技法である。

通常の錬丹術を外丹術と言い、房中術などを用いて体内で錬丹する術を内丹術と呼んだ。

その後、千代が語る内容に莉里・春麗が質問する形で応答が進む。

寧々は自分には理解できない話が飛び交う中、本能で自分の悩み解決に必要な知識と捉え、一生懸命に話を聞き解る範囲で理解を深めようと試みた。


「う~要は房中術で赤子を孕むことが出来るようになる?」

「そういう事なのじゃ」


春麗の質問に千代は春麗から奪ったどら焼きの最後の一口を頬張り切なそうに答えた。


「そ、そ、それは・・・誠ですか!!」


寧々は「房中術で赤子を孕むことが出来る」と言う言葉に驚きつつも、求める様に聞き返す。


「うむ、可能なのじゃ」


それから、千代の話す内容は現代知識にも通じる「妊活」の知識であった。

月経があり、男側にも問題があれば子供が出来にくいし、現段階では肉体的に難しい事も体に気を巡らせ健康な肉体を作り房中することにより子宝に恵まれると千代は語る。


「是非ともお教え下され!!」

「うむ、ええのじゃ」


その日より、寧々は房中術を極めんと千代より数々の技法を伝授される。

房中術と言うのは気を高める法でもあるが、千代が寧々に教える房中術は更に子孫繁栄に特化したもので男を喜ばせ虜にする方でもあった。

流石は妲己等に代表される傾国の美女を輩出する妖狐の一人である。

男を虜にし放さぬ法を報酬茶菓子を日々強奪しながら熱く語って伝授して行った。

その後、丸目蔵人が戻り長浜を一行が旅立った後の1年後、この試みは実を結ぶ。

丸目蔵人が知る史実では誕生しなかった寧々と配偶者の羽柴秀吉の間に一子が出来た。

寧々はこの事を生涯に渡り感謝したと言う。


★~~~~~~★


「おめでとうございます!!早馬の知らせにて先程長浜より」

「産まれたのけ?」

「は、はい、元気な赤子がお生まれになったとのことで御座います!」

「オラの子・・・うぉ~~~~~~~寧々、でかした!!」


羽柴藤吉郎は戦の陣中でその知らせを聞く。

喜び様は大変なもので、羽柴軍はその日、敵の面前であるにも拘らず歌え騒げの大騒ぎであったと言う。

敵方は何事かと驚き疑心暗鬼となり、何故か城を捨て逃げ出したと言う。

騒ぎが治まり冷静になった羽柴軍が城に斥候を放つと、城はもぬけの殻であったと言う。


「訳は解らぬが・・・勝どきじゃ!!エイエイオーーーー!!」

「「「「「エイエイオーーーーー!!エイエイオーーーーー!!」」」」」


城を落とした羽柴藤吉郎は急ぎ寧々の下に戻り大いに労ったと言う。


〇~~~~~~〇


歴史に無い秀吉・寧々の間の子が誕生しました!!

さて、房中術は中国古来の養生術の一種として知られています。

性生活における技法であり、本来の房中術は、性という人間の普通の営みに対して節度を守り、溺れる事なく適度に楽しみ、無駄に精を消費しない事で身体を保養する男女和合を目指す術でした。

意外かもしれませんが、房中術は儒教や道教とも結び付きます。

道徳的と言われる儒家と結びついたのは私としては意外性があって面白いな~と思います。

儒家の「孝」の論理から房中術は取り入れられたそうです。

「孝」の論理というのは「不幸に三あり。後無きを大となす(親不孝は三つある。中でも子孫がないというのが最も重大な不孝だ)」と言うもので、子孫が絶えると言うのは、祖先に対する祭祀が絶えることであり、父母への孝養が出来ない事を意味すると考えたようです。

子を設けることは重要と捉え、房中術は肯定的に捉えていたようです。

しかし、宋代になると房中術は単に快楽を求める淫猥な性の技巧だと誤解を受け、段々と影を潜める様になったそうです。

この思想を理学と言います。

理学とは朱子学のことです。

中国では現代でも淫らな文物に対する厳しい目が存在すると言いますが、この思想の影響は現代社会まで続いているようですね。

道教の方では医術と神仙術の中間に位置するものとして房中術は一家をなしていたそうですが、性欲に否定的な仏教の影響や先に述べた宋代の儒家の認識の変化等の社会情勢の変化によって、房中術は道教でも表立って行われなくなっていき、一部に秘術として残るだけになっていったようですが、元々道教とは仙人が関わる様なものですから一部とはいえ残ったのでしょうね~

意外とこの房中術の話は面白いので、また機会があれば語りたいですね~

現代の少子化対策の一助にもなりそうな話ですし、房中術は「体交法」なのですが、対を成す技法として「神交法」なるものも・・・本当に話題が尽かないので今回はここまで!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る