第191話

俺の連れて来た大工の岡部さん(岡部又右衛門)が大工棟梁と言う役職に就いた。

元々が尾張の大工だったのが大きいのであろう。

そして、西尾小左衛門(西尾吉次)さんと言う人物が石奉行と言う役職に就くという事で、穴太衆を預けた。

そして、丹羽五郎左衛門尉(丹羽長秀)さんが総奉行と言う築城の最高責任者に就いている。

何故か丹羽さんも西尾さんも俺の所に剣術指導を受けに空き時間にやって来る。

勿論、お猿さんと愉快な仲間たちも時間がある時にやって来るのだが、何故かその2人が俺に色々聞いて来る?


「あの職人を使うやり方は何処で学ばれたのですか?やはり天狗様の・・・」

「そう!人使いが実に上手い!感服しました!!石垣や大工の者たちの作業にも同じやり方を採用させて頂いておりますよ」


うん、剣術関係ない質問まで飛び交う・・・カオスだ。

どうやら縄張などお猿さん(木下藤吉郎)が担当していた作業が遅れていたのは皆知っていたようだ。

しかし、お猿さんは「問題無い、大丈夫」と言い張るから諦めて工期をそのまま進めて、本人が頭を下げて来るのを待っていたが、飛躍的に仕事の効率が上がり工期の日程以上の成果を出したことでお猿さんに理由を聞いたらしい。

お猿さんは自分の手柄にしておけばいい物を、俺の発案だと胸を張って言ったようだ。

発案者として俺の名前を出したことで、こうして工事責任者たちに囲まれることとなった。

岡部さんは俺達のやり方に慣れていたので早々に採用しているし、自分たちの作業の順位を賭けの対象として賭けの胴元までする始末だ。

一位を当てるだけではなく一位と二位を当てるなどの二連単の賭けなど俺がかつて彼らに教えたのでそれも含めオッズまで作る力の入れようだ・・・

破産する者が現れるのも困るので、稼ぎの1割までしか賭け出来ないように規制するように伝えたから今の所は問題無い様だ。

さて、里子や子供たちに注意はしていたんだけど、少し立体機動的な動きをうっかり使い見られてしまったので開き直って、摩利支天様の末裔だからとか天狗の末裔、仙人のと言うことを言って開き直った。


「長様・・・すみません」

「いや、美羽たちを怒る事ではないし・・・」

「しかし」

「いや、そもそも子供にやるなと言って聞かせてもうっかりやるのお約束だ!」

「お約束?」


そう、もう開き直ってある程度はOKした。

流石に羽には翼は出しちゃダメと言っているが・・・

莉里・春麗もそれぞれ謝って来るけど謝る必要などないと言っておいたよ。


「なぁ~千代~仙術を教えて貰うの認めろよ~」

「小童、将来武将になるんじゃろ?」

「おう!日ノ本一の武将となる!!」

「は~そうかそうか、武将は悪事も働くことがあろう?」

「はぁ~?正々堂々戦うぞ!!」


弥七(後の立花宗茂)が千代に仙術の修行の解禁を求めて言い募っている。

俺が千代が認めたら仙術教えると言ったからずっと千代に言い募っているんだよね~

千代に言わせると悪行を行うと善行が全てリセットされるから武将などの命じられれば悪行も行わないといけない立場の者に教えるのは無駄だと感じているようだ。

誾千代が少しずつ仙術を教えて貰っているのも悔しいのであろう。

まぁ静かな、いや、五月蠅い・・・攻防はまだまだ続いている。


「丸目様宜しいでしょうか?」

「おう!何かな?」


お猿さんの所の小姓たちも剣術指導をしている。

特に熱心なのが目の前の2人、虎之介君と市兵衛君である。

中々筋もいいので教え甲斐がある。

この2人は槍も教えて欲しいと懇願されて槍も教えている。

手合せを願って来たので2人同時に相手する。

後数年もすれば一廉の武士となるだろうから楽しみである。

手合せが終わるとまた一人声を掛けて来た。


「丸目様宜しいでしょうか?」

「ん?何かな」

「はい、主の藤吉郎様を「お猿さん」と呼ぶのはお止め頂きたい!」


彼、石田三成君は本当に生真面目だね~俺がお猿さん(木下藤吉郎)に「お猿さん」と言うと何時も眉毛をピクリと動かして不機嫌そうな顔を一瞬するんだよね~

一瞬なので殆どの者が気が付いていないのか今まで面と向かって言われるまで俺と数人しか気が付いていなかった様だよ。


「おい!失礼だろう!!」

「いや、織田家のそれなりの立場に今ある藤吉郎様に「お猿さん」等と言う方が失礼だ」

「上様(織田信長)も言っておられる!!丸目様は頭に「お」尻に「さん」まで付けるだけ上様より余程丁寧だ!!」


何か趣旨が違う意見を言う虎之介君。

市兵衛君が「いや、両方失礼。でも藤吉郎様が許されているから両方問題無い」とぼそりと言う。


「右近衛大将様(織田信長)が藤吉郎様を「猿」と呼ぶのは主だからまだ許されるが、友と言えど一介の浪人が天下の織田の城持ちを「お猿さん」呼ばわりは失礼だ」


本当に融通の利かない人物だと言う印象を受ける。

生真面目なんだろうけど、それが無礼かどうかを決めるのは本人同士。


「三成!!そこまでじゃ!!」


丁度、お猿さんが来て事の成り行きを見ていたようだ。

「あ!藤吉郎様」と3人が言い、控えた。


「長さん・・・丸目四位蔵人様は官位持ちぞ!一介の浪人等と言うは失礼であろう?」

「しかし、事実にて御座います」

「はぁ~おみゃ~は融通ちゅうもんが欠落しておるがね~」


虎之介君が「堅物~頭でっかち~」と茶々を入れて、市兵衛君に頭を叩かれている。

さて、仲裁しておかないとまずいな・・・今はお猿さんも言い含めているだけだけど・・・こんなことであの石田三成が処罰されて歴史から消えるとか・・・ありそうで怖いわ~


「三成殿」

「何でしょう?」


俺が話し掛けたことで、お猿さんも一旦落ち着いた様である。

俺に任せろ的な視線を送るとお猿さんが「うむ」と頷いたので話を続ける。


「木下殿と某は生まれも歳も何もかも違うが、某は本当の友だと思っておる」


「長さん!!」と感動して涙ぐんでこっちに駆けて来そうなお猿さんを「藤吉郎様お静かに!」と言って後ろから口を塞いで体を押さえつける小六さん(蜂須賀正勝)、うん!ナイスです!!

さて、話を続けよう。


「身分が何方が上下で呼び方を決めたものではない」

「しかし」

「貴方も本当の友を得た時に再度、御忠告をお聞きしましょう」


その場はそれで収めた。

この融通の利かなさが有能であっても命取りになるんだろうな~と未来を知る俺は思うのだが・・・この件で石田三成君が俺に再度意見して来ることは二度となかった。


★~~~~~~★


時は立ち、石田三成は一人の武将を家来に迎えようとした。


「おう、堅物、また来たのか?」

「はい、是非とも我が配下に加わって下さらぬか?」

「は~お前のような堅物を「殿」とか「何々様」とか呼ぶのはな~」

「では、人の目の無い所では好きにお呼び頂きたい」

「わははははは~じゃあ「堅物」と呼ぶがいいのか?」

「それで仕えて頂けるのでしたらそれで結構です」


この武将はその後、石田三成の配下に加わった。

石田三成は三顧の礼をもってこの武将を迎え入れ、この武将は破格の高禄を食む側近として仕えと伝えられる。

「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり×××と佐和山の城」と謳われるほどの逸材であったと言う。

三成の手持ちの録の内半分の2万石で迎えられたとも言われるが、破格の待遇と言うのがどの様なものであったかは実ははっきりとはしない。

生まれも歳も何もかも違う2人であったが主従を超えて解り合ったこの2人の関係は本当の友と呼べるものとなったのかもしれないが、関ケ原の戦いで徳川家康に敗北するまで続いたと言う。


〇~~~~~~〇


石田伏線を少し回収!!

今後まだまだ登場して来ます!!

さて、石田三成は真っ直ぐな性格だったと言われます。

主君である豊臣秀吉への忠義を生涯、貫いたからと言われます。

天下の差配をした石田三成が若い頃ならいざ知らず、後々までそんな堅物で融通の利かない性格を押し通したか?

実は勝者側が自分たちを持ち上げる為に人物像を弄って融通の利かない堅物像を作り上げたとも言われます。

さて、石田三成はどんな人物か?

旗印は「大一大万大吉」と言うものを使いました。

「一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる」と言う意味です。

ラガーマンみたいな旗印ですね。

ラグビーの合言葉「|One for all ,all for one.《一人は皆の為に、皆は一人の為に》」と同じ意味なので現代に石田三成が居たらラグビーをしてそうです。

三成は幼い頃から利発だった様です。

「三献の茶」という有名な逸話があります。

この逸話は三成が秀吉に初めて会った時の話で、家来にしたいと思わせるほどのおもてなしを披露したと言われています。

興味ある方は是非とも調べてみてください。

さて、三成は上司秀吉にもNOと言える人物だったようです。

結構柔軟な考え方を持つ人物と言えます。

小説や映画にもなった忍城攻めの逸話ですが、この時初めて三成が総大将を任されました。

秀吉の命で水攻めが決定している中、現場を見た三成は「あ~無理」と思ったようで、秀吉にその事を伝える書状を認めたそうです。

しかし、秀吉は水攻めに拘り、戦略を変えることを許さなかったそうです。

仕方なく攻めましたが、小田原征伐で唯一落ちなかった城となりました。

失敗話をして言うのもなんですが、三成は可成り有能です。

特に内政に関しては秀吉の配下の中でもピカ一で、蜂須賀小六や両兵衛に劣らない貢献をしています。

秀吉て言えば最初に思いだすであろう「太閤検地」ですが、日本中の土地の大きさを正確に測ることで税を確実に徴収する基準を作ると言うものでした。

三成はその監督役である「検地奉行」として部下たちとともに日本中の土地を巡り測定に当たったと言われます。

この時に使われた大きさを測る基準になるものさしは「検地尺」と呼ばれました。

これを発案して使ったのが石田三成と言われます。

本文で書いております三成と島左近の逸話は秀吉は三成に、何人家来を増やしたか尋ねた際に、「一人加えました」と自信を持って行ったそうです。

秀吉は4万石も与えたのに1人ってどういう事?と思って更に詰問します。

三成は島左近を三顧の礼で迎え入れ「半分与えた」と言ったそうです。

「主君と家臣の禄高が同じなど聞いたことが無い、そこまでしたからこそ島左近ほどの名士が部下になったのであろう」的な事を秀吉は言って驚きつつも納得したと言われています。

杓子定規の様な堅物な性格かと思いつつも突飛なこともする三成は本当に融通の利かない堅物なのか?皆様はどう思われますかね~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る