第177話
謎の老人姿の神から託された出産祝いのミサンガ二つを春麗の双子(春・麗華)の足首に着けた。
一瞬輝いた様に見えたけど・・・神の与える物だ一瞬光る位はあるだろうと思いつつミサンガの方に注目していたが、驚くことに耳が消えた。
千代の隠蔽方法と違う形で耳(多分尻尾も)を隠す目的のミサンガだったか・・・
里子が「あ~お耳・・・」と言って悲しそうな顔をする。
俺の語力では里子を慰めることは難しそうなので嫁さん一の頭脳の莉里に説明を依頼した。
莉里も請け負ってくれたし、美羽・春麗も手伝うと言ってくれたので何とかなると思う。
「げり」って何だ?飼い狼って言ってたな・・・知らない物を考えていても時間の無駄だと思い、次のことを考えよう。
子供たちも落ち着いた様だし、一度京に行くこととした。
今回の同行メンバーは莉里・里子・長門守・千代・源太・お香と藤林の者が数名である。
子供たちの面倒を見る為に美羽・春麗は今回お留守番である。
今回の目的の一つが京に建った摩利支天様のお社参拝である。
摩利支天様の末裔の莉里を是非とも連れて行きたいし、創建時には立合えなかったので、今回、お参りするのが第一目標である。
半年以内にはこちらに戻って来る予定としている。
長門守はまたも単身赴任だ・・・妊活中の弓ちゃんすまん・・・
さて、何時もの様に博多~堺~京と経由地も何時もの様に行く予定である。
先ずは博多に向かう。
博多で何時もの様に旧交を温めていると、何とお布団様が海を渡ってやって来た!!
50枚の羽毛布団が届いたそうだ。
この内20枚を俺の取り分として渡された。
全ての代金を払おうと思ったが、10枚はアイデア料的に物納と言われて10枚分だけの代金で購入出来た。
取り合えず、俺と嫁たち、父母、藤林夫婦、千代、竜様、山科様の分は確定で10枚で残り10枚。
天子様に献上する事としていたが紹さん・貞清も献上すると言うので天子様と皇后様へと2枚を献上することとなった。
それから、堺の仲の良い2人(宗さん・天さん)にも俺から贈る事としているので予備も含め20枚の羽毛布団を持って行くこととなる。
既にこの布団を使った貞清が言う。
「長さん、この布団、間違いなく高値で売れます(ニヤリ)」
「ソ、ソウカ・・・」
貞清の黒い笑みが・・・うん、何かやり手の商人らしくて似合うぞ。
宗さんか天さんの何方かに試に販売委託して欲しいと紹さんに頼まれたのでそれも含め堺へと向う。
「今回も宜しくお願い致します」
「金蔵も頑張ってるな~金之助も頑張ってたぞ」
「はははは~あ奴はまだまだですよ。それよりも、蔵人様にご迷惑お掛けしておりませぬか?」
「いや、助かってる」
「それは何よりです」
今回、堺に同行するのは何時もの様に金蔵である。
紹さんが老齢で飛び回るのが辛くなったので今は金蔵が代わりに飛び回っているそうである。
以前は「蔵人さん」と言ってたのに「蔵人様」と言う金蔵。
「さん付けでいいぞ」と言っても聞きや~しない。
まぁ金蔵と共に堺に到着、堺は今日も賑やかだった。
流石、東洋のベニス!!
前世通してもベニスに行ったことないからどんな所かは知らんけど、多分、賑やかで活気あるんだろう。
何時もの様に宗さんの所に向かいご挨拶すると、早速、宗さんとの商談が金蔵との間で行われる。
今回も滞りなく取引が終わった様で、ホクホク顔で金蔵は博多に帰って行ったよ。
「いや~いい取引が出来ました」
「そうなの?」
「はい、それより~」
「あ~何か聞いた?」
「はいはい、何やら面白い物を持って来たらしいですな~」
金蔵との商談終わりに話を聞いた様で宗さんは興味津々。
まぁ隠す事も無し、逆に見せて売ってもらう予定なので早速とばかりに1枚は天さんにも俺からの贈り物として渡す話をすると、直ぐに天王寺屋に使いを送ってくれた。
使いが届くと速攻で用意して天さんもやって来た。
「長さん!また面白い物をご提案されたとか!!」
「面白い?まぁ面白いかどうか別にして、有用なものだとは思うよ~(ニヤリ)」
「ほほ~それは楽しみですな~(ニヤリ)」
長門守と莉里をバックに堺の大商人2人と商談?だ!!
贈り物として羽毛布団をそれぞれに渡し早速試して貰う。
二人とも半信半疑ではあったが、速攻で寝落ち!!
うん、忙しいから寝不足なんだろうね~と言うことで起きるまで適当に時間を過ごした。
ドタドタドタ!!
慌ただしい足音が廊下を駆けて来る。
部屋の襖を明けて最初に飛び込んで来たのは宗さん。
「長さん!!何て物を持ち込んだんですか!!」
「え?お布団だけど?」
「あれはまさに極楽です!!」
「いや~寝心地は良いから良い物だけど・・・大げさじゃない?」
布団の心地良さなど自分の感想と共に宗さんの言い分が全く大げさじゃないと自己主張を始める。
そうしていると、廊下でまた慌ただしい足音。
ドタドタドタ!!スパン!!
天さんも同じく廊下を駆けて来て襖を勢いよく開ける。
「ハァハァハァ・・・」
「天さん、慌ててどうした?」
「何を暢気な事をお言いですか!!」
「え~~」
「あれは地上に生まれた浄土!!」
「2人とも大げさだな~」
今度は2人から自分たちの主張が間違っていないことを昏々と説明される。
う~寝具ぐらいで解せぬ・・・
お互いが販売権を主張して大商人同士が一歩も譲る気配がないようで御座る。
今回持ち込んだ20枚の内、2人に先ず1枚づつ、天子様と皇后様に竜様・山科様と6枚だけは確保済み。
残り14枚が残っているので7枚づつ分けてそれぞれの販路を開くことに。
「与四郎の分はどうしますか?」
宗さんがぽつりと呟く。
まぁ仲良し三人組だしね~良い物は勧めたいよね~
「
「分った」
話は着いた様だ。
★~~~~~~★
何時もの様に茶の湯でもてなす。
「して、
「用がが無くては来て行かんのか?」
「いや、構わぬが、お主のことじゃ何かあって来たかと思うたが・・・」
彦右衛門は意味深げに微笑み儂の問いに答える。
「ほほ~流石は与四郎よな~察しが良い」
「それで?」
「実は面白い物を手に入れてな~お主にも見せびらかそうかと思うてな」
「面白い物とな?」
何であろうか?彦右衛門程の者が儂に見せびらかしたい物とは・・・
気になるが、凄く気になるが何故であろうか?何とはなしに癪に障る。
「実はな~地上に極楽を見つけてな~」
「はぁ~?とうとう呆けたか?それともお迎えが違いのか?何処か病気か!!」
何を言うかと思えば地上に極楽?
そろそろお迎えでも来たか?と少し不安を感じてしまう。
胡乱な目で彦左衛門を見れば口を尖らせて反論してきよる。
「失礼な!!儂はまだ五十を少し過ぎた程度じゃ!!呆けてもおらん!!病気でもないしお迎えも多分まだじゃ!!」
「いや、十分に爺じゃないか・・・少し位は老いを感じよう?」
「ぬぅ・・・儂が爺ならお主も爺であろうが!!」
「ふふふふふ~何を言いよる、儂はまだ四十九じゃ!!」
五十過ぎれば爺と言えるが儂はまだ四十九じゃて爺ではない!!
この一歳は大きいと主張するが、彦左衛門は鼻で笑いよった。
「ふん!して、あと何カ月程で五十じゃったかな?」
「・・・まだ数カ月は・・・ある・・・」
「そうか、そうか、では爺でないお主には必要無かろうて、これにて失礼する」
え?何か面白い物を薦めに来たはずが見せもせずに帰ろうと?
「ではな~」と言って立ち上がる彦左衛門。
儂は慌てて引き留めた。
「彦左衛門」
「何じゃ?与四郎」
「待て!!」
「待てというてもの~用も無いよって帰るわ~お互い忙しいしの~」
「はぁ~わかったわかった、儂の負けじゃ」
「負け~?勝負はしておらぬが?(ニヤリ)」
してやったりと言う様な笑顔を見せる彦左衛門。
少し悔しいが、彦左衛門程の者が言う面白い物と言うのを是非にも見とうなった。
そして、儂はその後、涅槃を感じた。
即、譲ってもらえるようにと言うと、「高いぞ」と言う。
う・・・足元を見よって・・・しかし、
更に、後々になり、この涅槃を生む布団に丸目四位蔵人が関わると知り、一度手放そうかと迷うたが最後まで手放す事は出来なかった。
悔しいが体が求める・・・
〇~~~~~~〇
天下三宗匠が羽毛布団に陥落!!
最高の快楽は何も考えられない程幸福な状態で全てを許せる様な状態と言うことで、悟りに境地に最も近い状態とも言われます。
涅槃=解脱=悟りですから、その位の多幸感を感じたと言うことで!!
さて、お気づきの方多いと思いますが、与四郎とは後と言うよりこの時点でですが、まだ有名ネームを名乗っておりません。
彼は後に「
茶聖などとも呼ばれる
今井宗久(作中では「宗さん」呼び)、津田宗及(作中では「天さん」呼び)とこの人物、千利休を合わせて「茶の湯の天下三宗匠」と呼ばれました。
千利休は幼名が田中
そこで塩魚を独占的に扱う商人か座の者にその倉庫を貸していたことから
19歳で父を亡くし、それと前後して祖父も鬼門に入った様で、大富豪のイメージである千利休からは考えられない様なエピソードとして、祖父の七回忌にお金が無く法要が出来なかった為、涙を流しながら墓掃除をしたとの日記に記載しているようです。
そんな千利休も17歳から
1569年に堺が織田信長の直轄地となり、「茶の湯の天下三宗匠」全員が信長に
茶堂とは村の境や峠に設置された小さなお堂で、通りがかる旅人や商人たちが村人からお茶やお菓子のおもてなしを受け、旅の疲れを癒した場所から由来して、茶の湯の指導などをする先生的な立場でもあり茶を入れて客や主人をもてなす係でもある立場をそれに
1585年に禁中茶会の際に町人の身分では参内できない為、正親町天皇から与えられた居士号が「利休」で、この当時の偉いお坊様が「利心休せよ」と言う言葉から提案した居士号だと言われています。
意味は「才能に溺れずに精進しろ」と言う意味らしいです。
実は千利休と言うのは本当に晩年も晩年の名乗りで1585年~1591年の僅か6年ほどしか使われなかったそうで、それまでは千
利休の死に際の話は1
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