第170話
隆さん(小早川隆景)の剣術指南を行っているが、元就爺さんが
俺がいる間にも隆さんは戦に出て行ったりと忙しそうである。
毛利の宰相と呼ばれる多忙な人なので仕方ないけどね~
隆さんいない時とかは元就爺さんの茶飲み友達の様な感じの扱いかな?
俺は里子、千代を連れて元就爺さんと日向ぼっこしたり、茶の湯をしたりと過ごしている。
まぁ忌々しそうな目線を偶に向けては来るけどね。
さて、3月と言えば花見!!桜の時期だよね~
元就爺さんたっての希望で花見の会が催された。
俺達も、勿論、来賓として参加している。
里子と千代は意外と元就爺さんと仲良くなり本当の孫を見るような目で二人の事を見ている時がよくある。
「元爺!桜綺麗だね~」
「わはっはは~そうかそうか気に入ったか?」
「うん!気に入った!!でもね~家の神社の桜も凄ーく綺麗なんだよ~!!」
2人とも元就爺さんのことを元爺と呼ぶようになった。
元就爺さんもそう呼ばれるのが嬉しそうに目を細め「そうかそうか」と答える。
千代は、今、宴会に用意された稲荷寿司に釘付けで、今は無言で虎視眈々とそれに狙いを定めて待機中で物静かだ。
里子は桜を見て綺麗だと言いながら元就爺さんと楽しくおしゃべりをしている。
「その桜も見たいものだが・・・」
「来年は家来る?」
「そうだな・・・」
元就爺さんは一瞬寂しそうな顔をするがほんの一瞬で直ぐにニコニコ笑顔で答える。
「うん!今度は私が案内してあげるね~お友達に私の大好きな場所見せたいな~」
「わっはっは~儂の事を友と呼んでくれるか!!」
「え!違うの?」
里子の顔が曇るが、元就爺さんが直ぐに「友じゃ!勿論、友じゃ!!」と言ったので里子は直ぐに笑顔に戻った。
そして、この時代の花見って風流だよね~花見の席で句とか詠むんだよ。
元就爺さんはこの日の思い出として一句と言い歌を詠む。
「友を得て~ なおぞうれしき~ 桜花~ 昨日にかはる~ 今日の色香は~」
里子はまだ句の事よく解っていないので意味を元就爺さんに聞いた。
「ん~?如何言う意味?」
「里子殿と友になれて嬉しい、今日の桜はその友と見ていることで昨日見た物よりも綺麗に見えるって歌じゃ」
「ふ~ん、今日の方が綺麗な桜が見れて良かったね~!!」
あ~毛利元就の辞世の句じゃなかったかなこれ・・・ドラマで見たような・・・確か、毛利元就が自分の死期を悟り、「先だった友がそろそろ迎えに来たようだ、これが最後の花見かもと思うと昨日見た桜よりも一層色香が際立っているようで綺麗だ」って感じの歌じゃなかったかな?
この句を元就爺さんが詠んだと言うことは、死期が近いのかもしれないなと何だか切ない気持ちになる。
病状は安定しているようだと判断し、隆さんは自分の居城に戻って行った。
俺も剣術をある程度教えたので一度帰郷する予定だ。
元就爺さんとは今生の別れとなる事だろう。
例の酒で病気が何とかならないかと千代に聞けば、「元爺はもう寿命じゃから何ともならん」と言う。
しかし、千代曰、酒の力で苦しまず逝けるだろうからと言われたので、元就爺さんの掛かり付けの医者の先生に予備の若しもの時に用意していた「神酒 神饌」を渡し、「もし元就爺さんが最後の時に苦しみ出したらこの酒を飲ませてやって欲しい」とお願いした。
それを誰から聞いたのか知らないが、聞いたと言う元就爺さんも俺に礼を言って来て「死に際に良い酒が飲めそうで逝くのが楽しみじゃ」と笑いながら言う。
泣きそうになるからそういうことを言うのは止めて欲しいが、元就爺さんは本当に嬉しそうに医者の先生に「最後と思ったら飲ませて欲しい、頼んだぞ」と言っていた。
後ろ髪惹かれる気分となったが俺には帰りを待つ嫁たちと、産まれてくる子供たちが居るので帰らねばならぬ。
元就爺さんに「お達者で、今生の別れとなりましょうがあの世でもお元気で」と言って別れた。
里子はまだ理解していないようであるが、まだ幼児だし仕方ない事だな。
帰郷して数か月、隆さんより文が届く。
毛利元就が死去したとのことだ。
俺達があそこを離れてから少しすると再び病状が重くなったそうだ。
偉いお坊が丁度来ていたらしく病気平癒の祈祷をしたが病状は治まらず、悪化の一途を辿った。
6月も中ごろの事、激しい腹痛を訴えた元就爺さんは医師に酒を所望したという。
医師は直ぐに酒を用意したそうだが、周りの者が「病人に酒を飲ませるなどとは!!」と騒ぐ中、元就爺さんが「最後の願いじゃ」と一喝してその騒ぎを収め、酒を飲んだそうだ。
「体に染み入る。何と美味い酒じゃ!今までの痛みが嘘の様に消えよったわ!!」と言い安らかな顔で寝息を立てたそうだ。
そして、そのまま帰らぬ人となった。
その死顔は実に穏やかで微笑んでいるようにも見えたという。
隆さんの親を思う気持ちが感謝の文章の多くから伺える文であった。
俺は「巨人、毛利元就、良い死出の旅路を!!」と中国地方の方に向かい手を合わせ囁いた。
〇~~~~~~〇
毛利元就が死去し毛利家は両川体制に入ったと言われています。
吉川元春(少輔次郎)、この作品では良い所見せていませんが、有能な人物だったようで、山陰地方の政治・軍事を担当したそうです。
吉川元春は秀吉とは反りが合わなかったようで、弟の小早川隆景が豊臣政権下で秀吉に協力していく中、秀吉に仕えるのを嫌い、隠居しておりましたが、隆景や甥の輝元らの説得で、隠居の身ながら九州平定に参加したそうです。
しかし、この頃に病を患い征先の豊前小倉城二の丸で死去したそうです。
隠居の際に自分の隠居先の館を建造し始めたそうですが、完成前に元春はこの世を去ることとなってしまいました。
隆さんこと小早川隆景は元春亡き後も毛利家を支え、官位としては従三位権中納言まで上り詰めました。
小早川家の家督は養子とした金吾(小早川秀秋)に譲り、隆景の死後は毛利両川の役割を2人の甥の吉川広家と毛利秀元が担うことになったそうです。
この物語で毛利元就のことについて語るのは最後になるかもしれませんが、元就の逸話は数多くありますが、私は元就の「酒と餅」の話が1番好きです。
毛利元就は身分の隔てなく家臣だけでなく下々の者に至るまで気遣いを忘れなかったという話が幾つも残っています。
その1つが「酒と餅」の話しで、誰かが訪ねて来ると「酒は飲めるか?」と聞き、「Yes」と答えれば、飲み過ぎだけは注意し、少しの酒は気晴らしになるだろうと酒を自ら勧めたそうです。
そして、「No」と答えれば「自分も下戸で飲めない。酒は百害あって一利なし」的な事を言い飲めないことを逆に褒めて、それならばと「餅でも食べてくれ」と餅を勧めたそうです。
でも実際は下戸ではなく節制していただけで、本当に人に合わせた気遣いの出来る人物だったようです。
さて、死に際に主人公は元就に酒を勧めたような形となったのですが、それを快く受ける元就。
もし本当にこのような出来事があったら快くその申し入れを元就なら受け入れただろうな~と思いつつ執筆いたしました!!
さて、皆様は周りに気遣いできています?
う~ん、中々に難しい事ではありますがお互いに努力したいものですね~
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