第169話
当初予定通り、山科権大納言は朝廷へのお礼として1樽の「神酒 神饌」と銘打たれた当時は澄酒と呼ばれた日本酒を京の都に持ち帰り、天子様へと献上したと文献に残る。
「山科権大納言、ご苦労であった」
「いえ、義理の娘の婚儀にも参加出来ましたので、役得を頂きまして、こちらこそ感謝申し上げたいほどで御座いました」
「ほほほほほ~それは重畳重畳、して何ぞ伝えることがあるとか?」
「はい、この「神酒 神饌」についての効能についてでございます」
「効能?」
天子様へ丸目四位蔵人の書簡が権大納言の手によって直接渡されたという。
そして、天子様はその書簡を見ると「誠か?」とお尋ねになり、権大納言は頷くのみで、黙して語らなかったと伝う。
他の者たちには「神に捧げられた神饌のお酒」とのみ伝えられた。
公家たちには他に持ち帰ったという博多より取り寄せられた内、人気のお酒数種が振る舞い酒として振舞われた。
その中には梅酒の中でも特に貴重とされた物も入っており多くの公家たちの日記にこの日の酒の中でもその酒が別格の美味さであったと書き残されている物が多く、その事でこの「神酒 神饌」についての噂は何時の間にか消え、朝廷内では天子様と山科権大納言のみが知る所となる。
その後、この時の天子様であらせられた正親町天皇は1587年に孫の和仁親王(後陽成天皇)に譲位され隠退され、1606年、宝算90でこの世を去られたという。
この「神酒 神饌」が関わっていたかどうかは定かではないが、当時の平均年齢を大きく上回る年齢でのご逝去であった。
正親町天皇は生前、お気に入りの酒として月々の慶事の際に盃1杯を飲まれたというが銘柄は誰も知らないと言う。
どんな美味しい酒かと話題になったが「丸目四位蔵人より献上され、神饌された澄酒であるので、目出度い有難い酒である」と天子様の口から語られたことにより皆それ以上は何も聞かず、その慶事に参加した者たちも「主上は縁起を担いでいるもの」位に思われていたそうだ。
丸目家には正親町天皇の直筆にて丸目蔵人に対して長生きできていることの礼を述べた手紙が残されているが、何故に長生きしたことの礼を天皇自らが書き記されたのか今もって謎とされている。
歴史家の間では健康法などを伝授したのではと言われるが謎は深まるばかりだ。
★~~~~~~★
一人の武将が酒の余りにも美味しい事に驚き、こっそりと一升ほどの澄酒を自分の為にと持ち帰った。
「他にも多くの酒が振舞われたので少しくらい良かろうて」
見れば来賓として来ていたお公家様もその美味しさに感銘を受けたのか、急ぎお代わりを取りに行っている様じゃ。
「そうよな~これだけ美味い酒じゃしの~」
その武将は兄が「病弱」を理由に主君の命で代わりに家督を継いだ。
この武将も実はお腹が弱く大事な戦時にこれで大分手柄を逃していた。
しかし、生来の体格や武の適性からそれなりの活躍を見せていたが・・・
帰りの道中に何が悪かったのか今までにない程の腹痛に見舞われた。
「う~儂もここまでか・・・最後にあの酒を飲み干しておこう・・・」
その年、敵の武将を一騎打ちにて討ち取ったりと大きく戦功を上げたという。
この酒で一命を取り留めたかは定かではないが、以前よりも腹痛が減って活躍したことにより武功を積み重ねた結果、名を残したのは言うまでもない。
★~~~~~~★
丸目蔵人が旅だった後、蔵人の指示で4樽の長期熟成実験が行われた。
博多でウイスキー擬きなどの経験が取り入れられ、酒を仕込んだ樽のまま日光に当てず、神社の地下に設けられた保管庫にて大事に保管されることとなった。
丸目蔵人の言い付けで、彼の指示があるまでそのまま保管すると言うものであった。
月日は流れ10年ほど過ぎたある日、流石に何時まで保管するか確認する為に宮司が蔵人へとお伺いを立てた。
「蔵人様」
「ん?如何したの?」
「あの~例のお酒は何時まで保管されるので?」
「ん?・・・例のお酒?」
「え~と・・・「神酒 神饌」の初年度の物を既に10年保管して長期熟成を行っておりましたが・・・」
「あ~・・・ごめん、忘れてたわ・・・」
そんなやり取りの後に1樽を開けてみることとなった。
樽より注がれたその長期熟成の「神酒 神饌」は綺麗な黄金色でみる者の目をも楽しませた。
また、芳しい香りで飲む前から期待値を押し上げた。
「うは~~何じゃこりゃ」
丸目蔵人のその酒を飲んだ第一声は気の抜けた様なそんな言葉だったそうな。
「お弓日記」と言う当時側近中の側近と言われる藤林長門守の奥方が書き残した日記にその日の記載があり、同じく飲んだ夫の長門守も言葉を失い、お弓本人も余りの美味しさに呆けてしまったと書き残されているという。
更に、その夜、丸目蔵人の枕元に神がお立ちになったことも次の日の事柄の一つとして書き残されている。
長期熟成の「神酒 神饌」を神前に捧げる様にとのご指示があり、残りの樽を捧げたと記録に残る。
そして、その酒は更なる進化を遂げ、その存在を知る者たちからは「神酒 神饌(極選)」と名付けられたという。
嘘か誠か、飲めばたちどころに病が癒え、致命傷になる大怪我すらも治したと伝う。
また、天寿以外で息を引き取った者を生き返らせたなどと言う都市伝説の様な話まで残るこの酒は「幻のお酒」「リアルエリクサー」等と歴史好きの一部から呼ばれるが現存した物が残っていないためその事実はようとして知れない。
しかし、丸目蔵人の家臣の中でそれで命を繋いだ者がお礼の書簡でその事について一部語っている節のある物が散見されるという。
歴史研究家の間でも色々と語られるが、丸目蔵人が医学に対して援助などしていたことから、丸目蔵人周辺の者のそっち方面の技術が当時では高水準で普通は命を落とすような怪我も助かり、命を長らえただけで、このお酒とは何の因果関係も無いと言うものが大半の意見でそれが定説とされているが、中には「この酒が原因だ」と言う者も少数ではあるがいると言う。
この「お弓日記」の最後の記載には「主君にして一族の長の様でもあり、又、友と呼べる親愛なる丸目四位蔵人様に出会えたことこそ私たちの生涯の宝なり」と書き残されているという。
そこまで家臣やその妻、一族に敬愛された丸目四位蔵人を本当の聖人と言う者も居るが、莫大な資産を形成したことから金の亡者だと言う者も居る。
〇~~~~~~〇
はい、今回は小話的な感じになりました。
幾つか伏線を含めた小話となっております。
お酒の長期熟成について語って行きたいと思います。
日本酒の長期熟成は3年、5年、10年の物がよく販売されているようです。
中にはそれを超えて15年、20年と長い年月を掛けて熟成させた物も販売されますが、年数分だけ金額が跳ね上がって行きます。
私は以前、15年物の日本酒の古酒を飲んだことがあるのですが、最初飲んだ時は日本酒だと解らない程に味が変わっていたように感じました。
勿論、良い意味でです。
色合いはブランデー等に近い飴色で、甘味が強く、複雑な味わいになっていました。
アルコール度数は18度位と聞いたのですが、かなりまろやかに感じて口当たりの良いお酒でした。
値段は飲んだ後に聞いたので美味しく飲めましたが、聞いてたら・・・
日本酒の熟成は作中では樽としましたが、現在では瓶での熟成が多く、注意点としては日光に当てない、一定の温度で管理、瓶を立てた状態で置くの3点がポイントのようです。
これを知った時、ワインなどと同じような管理となるな~と感じました。
まぁお酒なので管理は同じなのでしょう。
しかし、ワインの場合は寝かせるのに対して日本酒は立てて保管することが重要なようです。
寝かせてしまうと瓶の中で空気に触れる面が広くなり、品質が変わりやすくなりますので味が落ちます。
また寝かせると栓の匂いが移ってしまう為、立てて保管が重要なようです。
保存に失敗すると、勿論、品質劣化が起こります。
この品質劣化を「
長期熟成と言うのは品質向上を目的として行うため、老て品質劣化した物は「熟成」と呼ばないそうです。
何事も品質重要ですね~
さて、次回、巨星が散るの巻!!
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