第156話
そうこうしている間に時は流れ、社群は完成した。
教会の方も完成したそうで後は創建日を待つのみとなった。
そんな折り、朝廷より使者がやって来た。
「長や、久しいな」
「ほほほほほ~麿も来たでおじゃるぞ!今回の創建、楽しみにしておるでおじゃる」
正使は山科様とのことだが、近衛殿下も一緒にやって来た。
驚いたことに同行者として天さんもいる。
「天さんも来たの?」
「堺の町衆代表して来ましたわ~」
聞けば熾烈なくじ引き争いが起き、この堺代表を勝ち取ったそうだ。
負けた宗さんが悔しがっていたと天さんが自慢げに言う。
あの後もこの創建の式典に参加したいと言う者は増えた。
まさか関東からも人が来るとは思わなかったよ。
大石改め、姓を北条に戻した元弟子の
「長先生!お久しぶりです!!」
「お~久しぶり・・・て、立派になって~」
「ははははは~相変らずですね」
うん!懐かしいね。
他にも何故か上杉家からも使者が来た。
「関東管領、上杉謙信が名代として御伺いしました」
「それは、遠路遥々よくお越しくださいました」
いや~上杉謙信って毘沙門天様を信仰してたんとちゃうの?
うちはメインが摩利支天様なんだけどね~後は多くの神を祭っているけど、毘沙門天様はいなんだけどね~
後、徳川家から榊原康政。
「お~小平太久しいな!!」
「長さん、お久しぶりです」
「家さんの名代か?」
「はい、熾烈な名代争いに勝ち上がりました」
ここも争いが起こったらしい。
徳川家に伝えたジャンケンで勝負が行われたそうで小平太が勝者となったそうだ。
最後は鍋ちゃんこと本多平八郎との一騎打ちを制したと自慢げに語る。
織田家からも名代が来た。
「織田上総介様が名代にて、前田又左衛門と申します。以後お見知りおきを!!」
「ほ~貴方が槍の
「おお!拙者の事をお知りとは!!」
うん!大河ドラマで見たよ!!
唐〇寿〇さん演じるこの人が結構お気に入りだったんだけど・・・似てないね・・・
渡〇徹さんの方に似てる?・・・かなり痩せたらこんな感じかもね。
兵法指南もお願いされたよ。
他にも甲斐武田家からは武田
武田信玄は摩利支天様を篤く信仰していることが有名だし、一族を派遣して来たんだろうね~
「父が生前仲良くして頂いていたと伺っております」
「父?生前といいますと・・・」
正直言って甲斐武田家の一族と仲良くした覚えは何だけどな~と思っていると、弓ちゃんから教えられた。
「長様」
「何?」
「武田
「古典厩?」
詳しく聞けば、武田信繁とのこと。
え~と知り合いと言うけど会ったことも無いと思うな~
しかし、弓ちゃんから意外な事を聞く。
「甲斐にてお酒を酌み交わされた」
「次郎さん?」
「はい、かの方が」
「あ・・・次郎さんは武田信繁だったのか・・・」
時が経ち友とも呼べるほどに仲良くなったと自負した者の死を聞くとはね。
事実を知り息子さんである武田
後ほど弓ちゃんに聞けば、俺が彼の正体を知っているものと思っていたそうで逆に驚かれたよ。
知っていれば・・・あの時の俺が何か出来たかと聞かれても何が出来たと具体的に言えない。
寂しい気分になったが、年数も経っているからか少しおセンチになるだけで済んだよ。
他にも、毛利から小早川君、大友から戸次道雪さん、島津から義弘さん等が来て、龍造寺は鍋島さんと戦国の有名人の展示会の様な気分になったよ。
そして、驚いたことに大村純忠本人がやって来た。
大村家も参加希望との旨の手紙貰ってたけど、まさか本人が来るとはね~
あ~そう言えばトーレスさんが彼の洗礼を担当したんだったっけ?
それに教会普請のお金は大村・大友から結構引っ張ってきた模様。
うちも3割ほど出してるけど残りは大友4割、大村3割との内訳らしいよ~
戸次さんとかも個人で社の方に献金頂きました!!
それにしても、参拝者を考えて門前町作って宿も作っててよかった~
宿と言えば、温泉でしょ!!と言うことで掘ってみたらお湯出たよ。
まぁ火の国熊本だからね~そこかしこに温泉あるし駄目元で掘って大成功!!
勿論の様に摩利支天の湯と名付けたよ。
どんなお湯?効能?て聞かれたけど知らないけど適当に摩利支天様は美人だったらしいから美人の湯?とか言ったら女性陣が目の色を変えたけど・・・温泉は美肌効果もあると思うから・・・間違っていないはず・・・
後はその内判明するでしょ・・・知らんけど。
温泉宿が完成し、従業員は宿の女将と番頭さんが藤林家の者で、呼び寄せた元孤児などを従業員としている感じかな~忍者適性無いけど、ここで違う経験を積ませれば適性見つけられるかもしれないしね。
ここも合わなければ、また何か考える予定。
〇~~~~~~〇
中々豪華な名代が揃いました!!
織田家から前田利家!!
実は前田利家は摩利支天を信仰していました。
武士の人気神様としては摩利支天と毘沙門天が多かった様なのでまぁさもありなんですね。
この回で過去に甲斐で飲み明かした次郎さんが武田信繁と言うことを主人公が知りました。
あの場にお弓が居たことは作中で書いておりましたので何時か知ることとなると思った読者様は多いと思いますが、このタイミングとしました。
さて、他にも上杉謙信の名代として現れた
武田信繁には4人の子供が居たと伝えられています。
望月信頼、武田信豊、望月信永、娘(仁科盛信室)の4人で、望月信頼は18歳での病死したそうで、望月信永が望月家の家督相続しました。
望月信永も長篠の戦いで討死し24歳の若さでこの世を去ります。
さてさて、望月と聞き何か思い出しますよね?
望月千代女、甲斐武田の諜報としての歩き巫女の棟梁と言われています。
この女性は望月盛時の妻だったと言われます。
盛時が望月家の当主と言われますが、実際は信雅と言う人物が望月家の当主として家督を継いでいることが資料に残されているようですので、歩き巫女の望月千代女は本当に創作臭いですね~
この信雅と言う人物が信頼(信繁長男)、信永(信繁三男)を続けて養子として迎えますが、両者ともにこの世を去りました。
信雅は隠居しておりましたが武田家滅亡後は徳川家に仕えようです。
武田信豊についてですが、信繁の次男として生を受けます。
足利義昭が織田信長打倒の策の一つとして武田・北条・上杉三者の和睦として甲相越三和を求めると、武田信豊は武田側の取次を務めていることからも重要なポジションに居たことが解ります。
それは「甲陽軍鑑」にも書き示されているようで、武田信豊は武田家臣団において親族衆の穴山信君とともに武田勝頼を補佐する立場にあったそうです。
織田・徳川の侵攻により武田勝頼とその嫡男の信勝も自害し、信豊の首は勝頼・信勝、仁科盛信の首級とともに信長に届けられたそうですからその事からも如何に甲斐武田家の中心人物だったかが見て取れます。
信豊は父親の信繁と通称が同じ典厩のため、父は
う~ん、33歳位でこの世を去るのですが、惜しいですね~
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます