第151話

「あ~雨の中襲撃・・・萎えるな」

「「「長様らしい」」」


嫁たちに口を揃えて言われました・・・

そして、長門守も苦笑いだが同意の様だ。

襲撃するのは内田伝右衛門さんたち一同と、俺達が中心とのことだ。

俺は賛成も反対もしていないが、この作戦に参加することになったが不承不承だ。

歴史の強制力?何なのこの状況は・・・


「丸目四位殿!用意はいいですかな?」

「あ~内田殿こちらは何時でもいいですよ」


早速、作戦開始だ。

雨の中、敵の荷駄隊を襲撃すると何とそこに島津家久さんではありませんか・・・

相手も俺達の姿を見てギョッとしている。

いや、ギョッとしたのは一瞬で、にやりと笑う顔が見える・・・あ~やっぱり罠か・・・

藤林の者に頼み内田殿に罠であることを伝えようとしたが、既に交戦中であるようだ。

さて、どうしたものか。


「蔵人様、伏兵も配しているようです!」

「あ~そうか・・・」


長門守が配下の報告を知らせてくれた。

伏兵を配していると言う事は囲まれる前に逃げるが良しだな。

俺は戦闘を出来るだけ避けて退却す様にと指示した。

俺が逃げたのを見て「追えー!!」という声が聞こえて来るよ。

うん、何とか包囲される前に逃げ出すことが出来たようだが、戦闘中に俺の行動見て慌てて退却した内田殿たちの方は30余名程の戦死者を出したようだ。


「丸目四位殿!!逃げるとは何事ですか!!」

「あ~内田殿、あれは罠で囲まれる前に逃げねば全滅しておりましたよ?」

「刀を交えずして逃げるとは貴方は武士ですか!!」


顔を真っ赤にして俺に文句を言い続ける内田さん。

いやいや、作戦に引き入れたのも貴方たちで、俺は今回は関わりたくなかったんだけどね・・・

そして、お殿様にお呼び出しを受けました。


「丸目四位、その方は戦う前から負け戦であると言い、戦でも刀も交えずに退却したそうだな」

「・・・」

「申し開きはあるか?」

「御座いません」

逼塞ひっそくを申しつける」


俺は頭を下げてお殿様の前を退去した。

逼塞ひっそくとは簡単に言うと謹慎処分ね。

武士・僧侶の刑罰としては結構重い方の処罰なのよ~

まぁ事実なので何も言い訳しようも無いが、歴史の強制力って恐ろしいね。

これで俺の武将としての未来はENDしたようだ。


★~~~~~~★


気に食わぬと思っていた者に処罰を下した。


「丸目四位、その方は戦う前から負け戦であると言い、戦でも刀も交えずに退却したそうだな」


頭を下げたまま何も言わぬか・・・


「申し開きはあるか?」

「御座いません」


頭を下げたまま答えた丸目四位は微動だにせず・・・生意気な!!


逼塞ひっそくを申しつける」


ふははははは~笑いが止まらぬ事よ。

神妙に申しつけたが、心では大笑いじゃ。

ただし、忌々しい事に何も申し開きもせずとはな・・・


★~~~~~~★


何と!丸目殿が処罰されたと言う。

我が罠を見破り、包囲される前に退却した手際のを褒められべきことで何故に逼塞ひっそくとなるかが解らぬが、これは千載一遇の時が訪れた!!

丸目殿が居ないと判れば怖い者など無し!!


「さて、自ら天運を捨てた様な者どもに恐れることなど無し!」


島津家の誇る大丈夫ますらおたちが頷く。


「存分に手柄を上げようぞ!!」

「「「「「応!!」」」」」」


丸目蔵人が去った大口城は間もなくして島津の兵の波に沈んだ。

史実では多くの兵を失い大口城も落城したと伝えられているが、同じ結果となった。

そして、丸目蔵人が逼塞の処罰を受ける事もまた同じ結果となった。

丸目蔵人の武将としての運命はやはりこの世界線でもここに潰えることとなるのかもしれないが、違う形で名を遺す事となる。

果たしてそれはどういったものなのか?

これより先は世界線が大きく反れた事をまだ世界は気付いていない。


〇~~~~~~〇


丸目蔵人の武将としての未来が閉ざされました。

歴史の強制力?によるものなのか・・・現代でもある上司から嫌われた部下の末路は・・・

さて、史実の今後の話となりますが、織田信長と共に上洛した足利義昭は永禄の変後の近衛前久の行動から兄(義輝)の死には前久が関与しているのではと疑い、更に前関白の二条晴良も前久の罪を追及したそうです。

結果、前久は朝廷から追放されます。

前久は丹波国の赤井直正(娘婿か妹婿と言われます)を便り、その後に顕如を頼って摂津国の石山本願寺に逗留しますが、そこで関白を解任されたそうです。

この物語では顕如は既に鬼門に入っています。

それはさておき史実では、この時、前久は顕如に感謝したのことでしょう、長男の教如を自分の猶子としております。

そして、自分を排除した足利義昭・二条晴良を排除したい目的から前久は信長包囲網を構築したと言われます。

信長に敵意は無く包囲網作ったようですから信長からすればいいとばっちりですね。

さて、1573年に信長と義昭が関係が拗れて信長が義昭を京より追放します。

そうなって来ると二条晴良は信長からうとんじられるようになります。

その頃、前久は再度赤井直正の所に移って信長包囲網から離脱したそうです。

1575年に信長の奏上で前久の帰洛が許されたそうで、その後の2人は良好な関係を構築します。

実はここで面白いのが、信長の依頼を受けた前久が相良家や、島津・伊東・大友の九州の大名たちに和解を勧め、連合して毛利輝元を討つ様に説得工作にあたったそうです。

島津家は九州統一を目指していた様(伊東家を下したばかりなのでこの命に従い領土を返還するのを嫌がったとも言われます)でこれに反対し、計画自体は失敗しましたが、この時、前久は九州に下向しており、相良家にも訪れています。

摂関家の長たる前久の来訪は相良家始まって以来の出来事で、感動した相良義陽は前久に臣下の礼を取り、逆に前久も義陽の朝廷に対する崇敬の純粋さに感動し、島津義久に迫って一時停戦を受け入れさせたほどであったというから面白いですね。

さて、と言う事はこの物語も大分歴史が変わりそうでもあります。

次回はまた主人公以外の話となります。

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