第147話
信長の呼び名を「上総介様」とします!!
以前は解り易くと思い「信長様」と呼ばせていましたが、( )書きすれば間違うことも無いかな~と、最近、気が付きました・・・
◇~~~~~~◇
上総介(信長)様に従い京に上洛した。
「ここが京の都だぎゃー?」
「そうですね・・・他に何に見えます?」
「半兵衛(竹中重治)は連れないがー」
「藤吉郎(木下藤吉郎、後の羽柴秀吉)様が変に燥ぐからですよ」
半兵衛は上総介様にお願い申し上げてつけて頂いた与力じゃ。
生真面目であるが有能である。
長さんとまた違う形で先の先を予見する。
長さんは先を知っているかのように話すのに対し、半兵衛は物事の流れから先を予想して結果を導き出すようじゃ。
何方も同じ良い結果を導き出すのでオラにとっては何方の言葉も問題無い。
結果こそが全てじゃ!!
上洛は足利左馬頭(義昭)様を将軍にする為に織田家総出で行った一大事業じゃ。
オラもその事業に参加することが許された。
美濃での活躍が評価されての事じゃと思うちょる。
桶狭間で上総介様に味方したは最良の結果じゃったと今更ながらに思う。
それを後押ししてくれた長さんには感謝じゃ!!
更に、美濃の墨俣に城を築く方法まで伝授してくれたからこそ今のオラがある。
長さんの事は上総介様に聞いたところではあるが、丸目四位蔵人様と言う官位を持つ偉い方だと聞いた。
偉い人・・・未だに信じられんが、噂に聞く長さんは雲の上の人物じゃ。
オラの主だった家臣たちに「丸目四位蔵人殿と知己の仲じゃ」と言えば鼻で笑われた。
本当の事なのに皆信じてはくれぬ・・・
長さんは京に居ると聞くし、今に見ておれ!!
上洛して長さんの下を訪ねれば、九州に里帰りしたと聞く。
「木下殿は長と知己の仲とか」
「はい、オ、拙者は丸目殿の御蔭で今の地位にあります」
「ほほほほほ~左様か、左様か!!」
目の前には山科権大納言様が居り、機嫌よくお相手下さる。
山科様のお宅に滞在していたと聞き、居てもたってもおられずに訪ねてしまった・・・
半兵衛には「滞在していた」と言われたが気持ちが急いて「滞在している」と聞き違いをしてしもうたようじゃ。
訪ねて門番に不在を聞き、肩を落としている所に山科様にお会いした。
「門前で話すのもの~」と言われ、座敷へと通された。
「来年には都の郊外に建造中の大社が完成するよって長もその頃には戻っておろう」
「郊外の大社と言いますと例の」
「そうじゃ!長が摩利支天様に感謝して資金の大半を出しよった」
山科様は我が事の様に胸を張り長さんの話をする。
何だか長さんが遠い存在となった様な気がしてしまう。
山科様曰く、それ以外にも資金を援助する者が後を絶たず、大社になる程の資金となったとの事じゃ。
話は長さんの事で盛り上がり、館の隅に建つ庵で茶を馳走頂けることとなった。
「ここは元、真里皇女様の聖骸を安置しておった場所じゃがな、九州に里帰りする際に儂の為にと長が設えてくれた庵での~自慢の場所なのじゃ!!」
見やるが特に変わった庵でもない・・・
庵の内部に通されると不思議な感覚に陥る。
何とも心地良い事じゃ!!
まるで山奥の清流の横で涼むかのような清々しき・・・不思議じゃ、本当に不思議じゃ!!
庵に入った途端に心が落ち着く・・・
山科様を見れば自慢げに笑っておられる。
これは自慢したくなるだがー・・・
そして、驚いたことに山科様の振舞ってくれた茶がうみゃ~!!
「うみゃ~!!」
「美味いか!」
「し、失礼致しました・・・大変美味しく・・・」
「ははははは~そうじゃろう!そうじゃろう!!」
驚いた!ここまでうみゃ~茶を飲んだことがないがー。
あの苦い茶が苦手じゃったが振舞われた茶は唯々うみゃ~!!
お付きで着いて来てくれた半兵衛もお茶を一口飲み目を剥いているからオラと感想は同じだろう。
山科様から歓待を受け定宿に戻ると、上総介さまよりお呼び出し?
何じゃろうか?
「木下藤吉郎、参上しました」
「猿、
「まりしてんあん?」
解らずに首を傾げるが上総介様はそのまま話される。
「山科様の館にて茶を飲んだのであろう?」
「はい・・・離れの
上総介様にその
この流れは・・・
「猿よ」
「な、何で御座いまする?」
「儂もそこで茶を飲みたい」
「左様で・・・」
「手配いたせ!!」
やはり予想通り、上総介様の無茶振りじゃ・・・オラは頭下げて如何しようか思案することしかその場では出来なんだ。
戻り次第、
★~~~~~~★
時は少し戻る。
「上総介様」
「何じゃ?」
放っておった者が報告を上げて来た。
「木下様が山科権大納言様のお屋敷で歓待を受けたそうに御座いまする」
「山科様の?」
山科様と言えば例の庵の持ち主。
噂では山科様の館の離れの庵で茶を飲めばこの世の物とは思えぬほどに美味であると言う。
何でも丸目殿が九州に里帰りする前に設えた庵で、不思議にも清浄な空気が漂う摩訶不思議な庵であるとも言う。
是非ともそこで茶を飲みたいと思うておったが、猿に先を越された・・・
しかし、考えてみれば丁度良い、猿に命じて手配させようぞ!!
かくして木下藤吉郎が信長の命にて山科邸の噂の庵での茶会を手配することとなった。
木下藤吉郎は竹中半兵衛に相談するが、かの知者でもこの件については荷が重いと言い、彼、木下藤吉郎は頭を抱えることとなるのであるが・・・
〇~~~~~~〇
はい!信長の無茶振り来ました!!
読者の皆様の多くはこの流れを予想され期待していたと思います。
まぁ前振りしていましたしね~
さて、信長は上洛後に明智光秀、丹羽長秀らとともに木下藤吉郎に京都の政務を任せたと言われております。
また、明智光秀は足利義昭の折衝役として重宝されたことからこの2人のは解りますが、木下藤吉郎に関しては何故?と思うかもしれません。
桶狭間位から木下藤吉郎は丹羽長秀のサポートとして着けられていた為にセットで運用していたからかもしれませんが、この時期には織田家内で有力な家臣の一人として木下藤吉郎を見ていたようです。
さて、中央政局も目が離せませんが、この時期は各地で大きな出来事が起きています。
地方で最も大きい出来事としては武田信玄が今川・北条との間に結んでいた甲相駿三国同盟を破棄し、駿河へ侵攻し、今川軍が総崩れしたことで今川氏真は武田に駿河を奪われます。
そして、氏真が退却した遠江へ今度は徳川家康が侵攻し今川家は滅亡しました。
織田家の北伊勢へ侵攻もこの時期です。
九州でも大友VS龍造寺(毛利)・島津VS伊東の戦いが起こりバチバチの戦乱状態になります。
中でも島津と伊東は大きく運が揺り動き、大きく運命を左右されたと思っております。
この時、伊東家は日向四十八城を支配下に置き、最大版図となったそうです。
しかし、当主を継いでいた伊東義益(義祐の子)が病により死去します。
代わりに伊東義祐の三男であった祐兵が家督を継ぐことになりましたが、当時11歳です。
さて、ここでのポイントは伊東義益の急死が原因で伊東家はやむなく
桶平城は菱刈家・相良家の支援のための城で、この時、島津家は菱刈家を攻めていたのですが、伊東家は相良家に一切通告しないまま撤兵したことから相良家・菱刈家の遺恨を買うことにもなったと言われています。
ここがターニングポイントであったと私見では思っています。
伊東家・菱刈家・相良家の3家で協力して島津家の猛攻を防いでいたのですが、相良家は1568年9月に
さてさて、この
それについてはまた別の機会に!!
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