第146話
「お初にお目にかかります。織田
「ほほほほほ~よいよい、織田殿には三好の不届き者どもを京より締め出し正統に将軍職を継ぐべき麿を手助けして頂かなくてはならぬてな」
「ははー!!元より左馬頭様の将軍職就任の手助けはさせて頂きます、ご安心くださりませ!!」
織田上総介殿と美濃にて落ち合うことが出来た。
まだ公家のような言葉には慣れぬが、幕臣たちが威厳ある様に言葉も気を付けろと言うので仕方ない。
織田上総介殿は先年に裏切り者の一色を美濃より追い出し、尾張・美濃の二カ国を治め伊勢も一部を切り取っておる、今注目の大名である。
桶狭間以前はうつけ者と呼ばれていたが桶狭間から数年で評価を一変させた御仁だ。
「左馬頭様にご報告したき件が御座いまする」
「よいよい、何でも言ってたも」
「ははー!!実は左馬頭様のご上洛に協力すると言っておりました六角
幕臣たちも驚き、「何と!!」「まさか!!」と言う声が上がる。
一時は世話になったこともある六角ではあるが、数年前に一色と共に織田殿の上洛を邪魔した前科がある。
あの時は一色が事を起こしたので六角が動く事は無かったが、上洛を邪魔する魂胆であったことは間違いない。
今回もまた邪魔をするようだ・・・
幕臣たちの騒ぎを黙らせるために手に持つ扇子を上げると、幕臣たちは口を閉ざす。
「織田殿は六角をどう思う?」
「は!前回の上洛時も邪魔立てしております」
「そうよの~」
「出来ますれば今後の憂いを払う為にも」
「討ち滅ぼすか?」
「左馬頭様の上洛の邪魔立ては今回の件で二度目にて」
「織田殿の思うがままに存分に動かれよ」
「承りました」
にやりと不敵に笑う織田殿は味方として頼もしき事よ。
準備は着々と進み、織田軍が美濃を出立する。
「天下布武」と言う旗印が壮観じゃ。
織田殿は幕府再興を志した決意の言葉を書き表したと言う。
実に良い言葉じゃ!!
六角家の居城、観音寺城を瞬く間に落とし、六角親子(父・承禎、息子・義治)を
打ち破った。
織田軍は電光石火で近江を平定した。
その勢いのまま三好の者どもを京より追い出してしまった。
何と三好左京大夫(義継)・松永弾正忠(久秀)はこちらに味方したと言う。
織田軍の勢いはまだまだ止まらず、敵対する三好家の者たちを追い詰め、三好家の重要拠点である芥川山城までも落とした。
更に摂津をも平定せしめた。
平島(足利義栄)も退去したと言うが、そうこうしておる間に平島の死去の噂が伝わって来た。
病没と言うが阿波の三好からは何の音沙汰もない。
しかし、噂が出回ったことと織田家が京を抑えたことで私の下に将軍宣下の使者がやって来て、晴れて将軍職を継承した。
★~~~~~~★
「「「「「上洛おめでとうございます!!」」」」」
「うむ、大儀であった!!左馬頭様もお喜びじゃ!!」
居並ぶ歴戦の兵たちは嬉しそうに儂に祝いの言葉を述べて、儂はそれに答えた。
天下泰平の世を夢見、これまで戦って来た。
まだ京を抑えただけだ。
しかし、桶狭間の戦いの時にはこの様なことになるとは夢にも思わなんだ。
猿(木下藤吉郎)に儂に味方するようにと進言したと言う丸目四位蔵人殿・・・この事を予想していたのであろうか?
上洛戦後に松永が言うておった、「これからは織田殿の時代が来ると言われ申した」と・・・誰が?と聞かずとも解る。
松永と丸目四位蔵人殿は懇意の間柄じゃ、仲の良い者に予言をしてもおかしくなかろうが、それが「天啓」なのか、知略によるところの「先読み」なのか・・・
しかし、儂の時代か・・・実に先見のある御仁じゃ!!
是非に会うてみたいと思うたが、残念なことに奥方の一人が亡くなられて里帰りをしていると言う。
京の都の郊外に大社の造営がなされていると言う。
この社は摩利支天様を祭ると言うが、何と丸目四位蔵人殿の奥方がその神の末裔と言う。
三好日向守(長逸)と本願寺の顕如坊主が結託して丸目四位蔵人殿を暗殺しようとした際にそれを庇った真里皇女様が凶弾に倒れたと言う。
しかし、ここで奇跡が起こる。
驚いたことに皇女様の枕元に摩利支天様が御立ちになり、一年間の猶予をお与えになったと言う。
眉唾っ物よと思うたが、殆どの者が信じておる。
四位蔵人殿の関わる事じゃ、若しかして・・・無いとは言えぬな・・・
三好日向守と本願寺の顕如坊主も成敗されたと言うが、顕如坊主には神の手により神罰が下されたと言う。
嘘か誠か、皇女様が亡くなられた日に雷に撃たれ、骨すら残らぬ程の有様と聞く。
偶然なのかもしれぬが、皆が恐れる気持ちは十二分に解る。
更に、山科砦(山科邸)に皇女様がお亡くなりの後に安置しておった庵があり、その庵は不思議なご神力が働く場所と聞く。
山科卿は真里皇女に因んで「真里支天庵」と名付けたそうじゃ。
そこで飲む茶は格別に美味いとの噂。
是非ともその庵を利用したいものじゃ!!
〇~~~~~~〇
織田信長が上洛!!
さて、信長の皆様のイメージはどの様なものでしょうか?
若い頃は傾いていて、新しい物好きだったそうですから、好奇心は旺盛でしょう。
そして、革新者のイメージから今までの慣例を無視するようなイメージで、比叡山の焼き討ちや本願寺との10年に渡る戦いなどから神仏も恐れない人物で、浅井長政などの髑髏で盃を作ったなどの逸話が残りますから酒好きと言った感じですか?
先ず、信長は下戸(酒に弱い)と言われています。
お酒はあまり飲まず、甘党であったようです。
髑髏の盃の逸話はあくまで酒の肴(信長は酒に弱いけど)か創作逸話と言われています。
そして、以外にも信心深い人物であったようです。
何故に無神論者で神仏など恐れないタイプと思われたか?
この作品で度々紹介します、ルイス・フロイスの「日本史」に信長について「良き理性と明晰な判断力を有し、神仏のいっさいの礼拝、尊崇、並びにあらゆる異教的占卜や迷信的慣習の軽蔑者」的な人物評があるそうです。
また、無神論者であったような記述も幾つか書かれているそうです。
ただし、信長のこの様な人物評をしたのはこの資料だけ!!
あくまでもたまに会う異国の宣教師であるルイス・フロイスと言う人物から見た為政者の信長像です。
しかし、実際の信長は中々に信心深かったようです。
信長は「南無妙法蓮華経」と書かれた軍旗を用いていました。
更に、安土城を築城の際、自らの菩提寺とすべく、
事政治に関しては政教分離と信仰の自由を価値観として持っていた様で、それを思わせることを幾つも行っています。
織田信長の神格化志向説と言うものがあります。
それが本能寺の原因と言う説すらあります・・・が、信長の自己神格化を記した史料はフロイスの書簡だけで、日本の史料で記載したものはないのです。
フロイスの「日本史」は当時の事を外国人目で見た物でそう言った意味では中々に貴重な資料ですが、信長像を歪めた原因の資料ともなってしまいました。
さて、本来の信長は意外と信心深い人物ですが、好奇心旺盛で、欲しい物を手に入れようとする独占欲の強い人物です。
茶の湯も本来は家臣の上層教育の一環と考えていたようですが、自分自身がド嵌りし、名物狩りと言われた茶道具収集も行っています。
そんな信長が「そこで飲む茶は格別に美味いとの噂の庵」を放っておくか?
皆さまはどう思われますかね?
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