第145話
寺を出てさ迷うこと数年・・・興福寺一乗院の門跡を継ぐものと思っていたが、兄(足利義輝)の死を契機に命を狙われ、諸国をさ迷うこととなるとは夢にも思わなかった。
弟は殺され、母も兄と共に亡くなったのだから自分が、今、生きておることは幸運なことなのであろう。
刺客より守ってくれた蔵人さんには感謝しかない。
元将軍の弟である私に利用価値を見出したのかもしれないが、三好家の松永弾正忠が私を保護した・・・幽閉・監視と言うことであったが、寺から出ることは叶わずとも寺内では好きに過ごすことが出来た。
しかし、何時情勢が変わり殺されるともつかぬ立場であることは変わらぬ。
松永弾正忠は良くしてくれたが、何時心変わりするかを考えると怖くて中々眠る事も出来ぬ日々を過ごした。
しかし、そんな折に転機が訪れた。
「覚慶様!お迎えに参上しました」
夜分に私を迎えに来たと言う者たち。
顔を見れば数名の者には見覚えがある。
確か兄の形見の刀を持って来た者たちだ。
「迎えに来たとは?」
「はっ!越前の朝倉様の手引きにてここより御避難頂く手はずとなっております」
「そうか・・・」
私はこの者たちに従い、暗闇の中を駆け、伊賀を超え、近江の国近くに辿り着いた。
兄の遺臣たちの中で中心の者は
最初、和田弾正忠の居城に身を寄せた。
ここで将軍家を継ぐことを宣言し、各大名にその事を認めた文を送った。
妹婿である若狭国守護の武田殿・近江の京極殿・伊賀の二木殿等の者たちが直ぐに呼応してくれた。
そして、時を待たずして多くの幕臣たちが参集して来た。
関東管領の上杉殿に幕府の再興を託す旨の依頼をし、毛利・大友・相良・島津・北畠・畠山・織田・徳川・朝倉・武田・等々の多くの者に出兵の要請を行った。
河内の畠山・三河の徳川・越前の朝倉・等の者たちから協力する旨の書状が届いた。
そんな折、近江国守護の六角殿のご厚意で和田弾正忠(和田惟政)の居城よりも京に近い場所に移り住むこととなった。
これは和田弾正忠の留守の間に移ったことで、和田弾正忠がへそを曲げ謝罪の書状を認めることとなったが・・・
最近は京の都では蔵人殿が行う大規模な野試合の開催の話で持ち切りだ。
更に、足利家一門の阿波御所の平島(足利義栄)の者を将軍に着けようと言う話が三好家の方から上がっていると言う話も伝わって来た。
確かに一門ではあるが、親の代より争う間柄であり、政敵と呼べる人物である。
そんな人物に負けるかもしれぬと思うとまた眠れぬ日々を過ごした。
しかし、幕臣の者たちが言うには、まだ三好内でも話が割れていて纏まっておらぬと言う。
そんな折、三好家の日向守が本願寺の顕如と共に企てた蔵人さんの暗殺が失敗し、真里皇女様が弑されたと聞く。
知り合いである者が殺された話を聞くは胸に来るものじゃ・・・
しかし、神の奇跡により真里皇女様は一年の猶予を頂いたと言う。
神仏の力はやはり凄い事じゃ!!
この事件により三好家の影響力が弱まり阿波御所の平島(足利義栄)の将軍就任の話は頓挫した。
ホッとしたことは言うまでも無いことだが・・・
私の住む所は矢島御所と呼ばれるようになった。
そんな折に、ある僧侶の勧進で、還俗し
そして、吉田神社の神主の協力と斡旋により朝廷より従五位下 左馬頭の官位を頂いた。
内々で色々動いた貰い感謝しかないことじゃ。
「「「「「上様!おめでとうございます!!」」」」」
皆が喜び、讃えてくれる。
私もこの時は大喜びした事を覚えている。
この官位は次期将軍の者が継ぐ官位という事で阿波より先にこの官位を朝廷より与えられた事で将軍職を継ぐのはこの私だという事を表すことだと言い幕臣たちは喜ぶ。
大喜びしていたことが懐かしい・・・同年の師走には平島(足利義栄)の方にも私と同じ従五位下 左馬頭に任ぜられた。
私は諸大名に文を送って、返しの来た者たちには更に文を送り親交を図った。
やはり京の都を押さえておかねば立場が弱いと考え、三好より京を開放する為に色々と行動することとした。
先ずは上洛であるが、今はまだ難しい・・・
影響力を強める為に上杉と武田・後北条の和睦を命じたり、対立関係にある美濃の一色と尾張の織田との間を取り持ち、織田家の上洛の際の美濃の通行を一色治部大輔(斎藤龍興)に認めさせた。
しかし、約束を違え一色治部大輔(斎藤龍興)は織田を強襲し隙を突かれた織田軍は這う這うの体で尾張に逃げ帰ったと聞く・・・何たることだ!!
一色治部大輔(斎藤龍興)め!!
そうこうしている内に不幸とは立て続けに起こるもののようで、六角家でお家騒動が起き、若狭の武田家もお家騒動が起き、上洛作戦は頓挫した。
「上様・・・神仏は試練を与えると聞きます」
「そうだな・・・」
「試練を乗り越える為にも今は辛抱の時かと・・・」
幕臣がそのように言うが、平島の者が将軍に就けば・・・背筋が凍る。
六角・若狭の武田が不安定になったことで、三好がここに何時攻め寄せてもおかしくないほどにここは危険な場所となった。
仕方なく、安全な越前の朝倉を頼ることとなったが・・・京より可成り離れてしまった。
しかし、朝倉家には足利将軍家連枝の鞍谷御所(義昭と同じ様な立場の者)が居る為、私を奉じて上洛する意思は朝倉家には薄いような気がする・・・
朝倉の為に加賀の一向宗との間に和睦を斡旋したりと動いたが、朝倉殿(朝倉義景)は私の為に動く気配がない・・・
そんな折、とうとう平島(足利義栄)の方が動いた。
三好家の重鎮、篠原左京進の尽力で平島(足利義栄)が摂津の普門寺に滞在したまま、将軍宣下を受けたと聞く。
平島の方は私が朝倉で無為に時を過ごす間も色々な事を行っていた。
平島の妹を親王様に嫁がせようとしたり・・・これは朝廷に却下されたと聞きほっとしたと共にざまあみろと思うたが・・・
兄に追放された伊勢兵庫頭(伊勢貞為)を呼び戻し、政所執事の座に復帰させたり、朝廷に年頭の御礼を申し上げる等々平島は色々とあの手この手で将軍職を手繰り寄せようとした。
朝廷も将軍職を何時までも空位には出来ないと思うたようで、ついに内々で平島の将軍職就任を認めたと聞いた時は天地が逆様になった様な気がしたが、朝廷に対し、将軍宣下のための費用を献上したその銭が問題となった。
悪銭が多く混じっていたことから、朝廷は受け取り拒否した。
何でも最近の朝廷は財政がある程度まで回復していると聞く。
何と驚いたことにここでも蔵人さんの影響があると聞き及んだ。
しかし、最終的には三好家が動き、平島が朝廷から征夷大将軍に任じられることと相成った。
やはり京の都を抑えていることが大きな要因であろう・・・
このままでは平島の思う坪だ、年月が経てば地固めをされてしまう。
早急に動かねば私の将軍職の就任は潰える・・・
越前に滞在中も文を何度もくれた織田を頼るべきか・・・
そんな折し日に、前々より朝廷へ朝倉殿(朝倉義景)の母御へと官位を授けて欲しい旨の申し出をしておったがそれが叶い、従二位の官位を賜った。
朝倉殿(朝倉義景)は大層喜び、酒宴は終日終夜に及んだ。
これで朝倉殿もと思うたが、どうやら動く気はないようだ・・・
そして、義秋の「秋」の字は不吉であるとし、京都から前関白の二条晴良を越前に招いて、一乗谷の朝倉氏の館において元服式を行い、名を義昭と改名と言うこととなった。
何が不吉かは未だに解らぬが・・・
加冠役は朝倉殿(朝倉義景)が務めた。
兄(足利義輝)が六角弾正少弼殿(六角定頼)を管領代として加冠役にした前例に倣って、朝倉殿を
朝倉家より世話役として着けられた者の一人、明智十兵衛(明智光秀)と言う者がいる。
この者は気が利くし、思慮深く、私に着けられているので朝倉家内でも評価高き人物と思うておったが・・・そうではないようだ・・・聞けば、捨扶持の様な者であるという・・・朝倉殿にとっては私はその程度と言うことだろう。
しかし、聞けば織田
これは好機じゃ!!
早速とばかりに明智十兵衛に頼み、織田殿との誼を更に通じた。
織田殿も家臣を数名派遣してくれて上洛の手助けがしたいと言うて来た!!
私は、早速、朝倉殿の下を離れ織田家へと向かうこととした。
〇~~~~~~〇
数話は主人公から離れ書かれていきます!!
さて、お手紙将軍こと足利義昭はこの当時は可成り一喜一憂をするような状態だったようです。
特に自分が将軍就任レースで一度は左馬頭と言う将軍職前に就く官職を貰った時は大喜びしたと思います。
しかし、時が経つにつれて状況が一変し、出遅れ始める・・・
そして、足利義栄が将軍に就任したと聞いた時は愕然としたことでしょう。
さて、この足利義栄の就任の裏側は中々面白い事となっております。
実はこの物語で登場した篠原左京進(篠原長房)が可成り熱心で、足利義栄を将軍に就けるために相当尽力したようです。
義栄の将軍就任が決定した時には大喜びしたことが資料として残っているようです。
津田宗及(天さん)の天王寺屋大座敷にて終日、三好長逸や三好宗渭 ・三好康長・篠原長房・篠原自遁ら三好家のお歴々が150人一堂に会し、大宴会が催されたそうです。
まぁこの大宴会の名目は定かでないと言われていますが、時期的に間違いなく義栄の将軍就任祝勝パーティーかな~と思います。
しかし、三好家内では義栄を将軍にすることを良しとしない人物たちも居ました。
敵対している三好義継や松永久秀は言うに及びませんが、味方側の三好日向守(長逸)も同じく良しとしなかった人物のようです。
この時期位に斎藤利三(この時は稲葉一鉄の家臣)が上洛し、三好日向守(長逸)に手紙やご機嫌伺いや贈物などを行ったようで、三好日向守(長逸)も喜び、利三に自身の考えを伝え、信長への取り成しを稲葉一鉄(この時は信長の家臣)に依頼したそうです。
確か、松永久秀と敵対してなかった?と思われますよね?
敵対してました!
松永久秀と政敵関係の三好日向守(長逸)は久秀を抑え込むために反三好義継派に所属したと言う見方をされており、足利義栄が将軍に就くことはどうでもよかったようです。
この物語で考えると、篠原左京進(篠原長房)も必要ないとばっちりを食っただけなんですね~
実は信長上洛の際には三好三人衆が六角義賢(この時は
あれ?三好三人衆の筆頭って三好日向守(長逸)で、信長への取り成しを稲葉一鉄に依頼したとかさっき書いてたよね?とか思いますよね。
実は三好日向守(長逸)たちより先に三好義継・松永久秀が早々に信長に恭順したことで状況が一変します。
敵の味方は敵なのです!!
そして、三好三人衆は対信長戦線に切り替えたと言う訳です。
次回も足利義昭視点で話が進みます。
それと、別の者の視点でも!!
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