第143話

親父に大事な話があると言われ兄弟全員が集まり親父の下に行く。


「儂は隠居することとした」

「「「「・・・」」」」

「それで家督は・・・」


俺みたいなフラフラと全国飛び回っている様な者が家督を譲られると思っていなかったので、他人事のように聞いていたが、あれ?・・・親父が俺の方をじっと見ている・・・視線を感じ弟たちの方を見ると俺を見ている・・・


「長男の長恵に譲ろうと思うが、念の為に他の者にも聞いておこう」


親父は一呼吸おいて、弟たちに言葉を発す。


「継ぎたい者は居るか?」


弟たちは全員が首を横に振る。

え?3人も居るんだから1人位継ぎたいと立候補する者居ないの?

あ~いないのね・・・俺が家督相続することとなったのか?


「では長よ頼むぞ!!」

「え?・・・俺より弟たちの方が良いんじゃないか?」


此奴何言っているの?と言う様な目で全員が俺を見て来る・・・何か止めて!!

マジかーーー!!俺が丸目家を継ぐこととなったよ。

長男が家を継ぐのは既定路線の一般的な事で史実通りなんだろうけど、俺って武将としてポンコツだよね?

確か戦で遣らかして干されるんじゃなかったか?

それに、やはり俺みたいにフラフラと全国を飛び回る様な者が国人やれるのか?

弟たちの良さを親父にアピールしたが、俺の家督相続は揺るがなかった。

こうなれば、やるしかない!!

親父は小声で「これで里子と遊ぶ時間も増えるの~」とか言っているし・・・まさか孫と遊びたくて・・・考えるのはよそう・・・精神衛生上宜しくない。

親父もいい年なので定年退職して家業を俺が継いだと思えば・・・


「ほう、その方が丸目四位蔵人様か」

「・・・」


初めて会うのに何か目の前のこの人、俺に敵意ないか?

野生の勘が囁くので黙って俯き加減で居ることとした。

目の前に居るのは相良のお殿様。

あ~、以前、丸目姓をくださったお殿様では無くて、代変わりしております。

親父の隠居と俺の家督相続のご報告。

形としては俺が相良家に仕官したことになるんだよね~

社長に親の縁故で入社したのでお礼のご挨拶って感じ?

特にこの方に不興を買うようなことをした覚えは無いんだけど・・・

いや、「丸目四位蔵人様」とか「様」付けしてたな。

会見の後に親父に聞いてみれば、現在の相良家当主の官位は 修理大夫。

現在の俺の官位は何やかんやあって正四位上しょうしいのじょう 蔵人くらんど

官位では俺の方が上じゃないですか~・・・あ~これだけで嫌われる原因になりそうだよ。

おっと、何か何やかんやあって正四位上しょうしいのじょうになりました!!

本当は三位とか言われたんだけど、内々で言われた時に辞退したら最低でも正四位上しょうしいのじょうを受けるように言われました・・・

近衛殿下直々に言われたから逆らえなかったよ。

うん、何となくそれが理由な気もするし、それ以外にもあるか?

入社当日から社長に嫌われました!!て感じです。


「親父・・・」

「何じゃ・・・」

「間違いなく相良のお殿様不機嫌だったよね?」

「そうじゃな・・・」

「何か理由知ってる?」

「う~」


あ!絶対に理由知っているな。

これは家に戻り次第問い詰めよう!!

家に戻り問い詰めるまでも無く親父が語る。

1つはやはり官位だった・・・まぁこれは予想通りだ。

2つ目は現在造営中の社だと言う。

何でも城を築いているのではないかと疑われているそうだ。

うん、親父たちがやり過ぎたので俺のせいではないのだけど・・・

3つ目は断りも無く出奔して京に旅だったこと。

相良さがらのお殿様(相良晴広はるひろ)は大らかな方で「その内戻って来る」と言っていたようだが、先程お会いした現相良のお殿様(相良頼房よりふさ(義頼)は「勝手に出奔するような者は・・・」と親父は何度も会うたびに俺の事で愚痴られたとぼやく。

それは悪かった。

自由にしてたけど、前のお殿様が大らかに赦してくれていた訳ね・・・

4つ目は・・・え?まだあるの?・・・嫁が複数人で、美人で、義理の父たちが偉い人・・・まぁ妬みだけど嫌う理由としては一番しっくりくる。

5つ目・・・大友宗麟と仲が良い事って、おい!

?何言っているの?何方かと言えば、犬猿の仲位の関係でバチバチよ?

親父曰く、確かに以前は大友宗麟をやり込めたことなどで仲が悪いと思われていたし、大友宗麟自体が俺の事を気に食わないとはっきりと周りに言っていたようだが、ある時点から180度意見が変わり褒めているようだ・・・

どうやら大友と毛利の仲裁の件と、要塞の一部であるキリスト教の教会を作っていることを高く評価しているとのことだ。

あの宗教かぶれキリスト教狂信者が喜びそうだと思ったが、特に大大名と敵対したい訳でもないしな~家臣さんたちとは仲の良い方いるし・・・

何故に宗麟と仲が良いと思われたのが殿様の機嫌を損ねさせるのか?

実は相良家は、いや、現相良の殿様は大友から自立志向が強いらしく、相良家への従四位下 修理大夫の任官は異例であるらしいし、周りからも独立傾向の表れとも言われるらしい。

そして、俺は知らなかったし興味も無かったが、この任官に噛みついたのが大友宗麟で、幕府に対して抗議の文を送ったそうだ。

また、相良のお殿様の名前、以前は頼房よりふさと言う名前だったが、足利義輝将軍様に偏諱授与を受けて義頼よしよりと一度改めたそうだ。

しかし、異例の任官とこの偏諱授与は大友の逆鱗に触れた様で幕府と相良家への猛抗議の末に、相良の殿様は旧名の頼房よりふさを公式文書などで使うことを余儀なくされているらしい。

簡単に言えば大友宗麟に面目を潰された訳だ。

そして、その大友宗麟と仲の良いと思われている俺・・・

6つ目ってまだあるのかい!!

ガチの仮想敵国の島津や伊東何かと仲が良い事らしい・・・

7つ目はもうお腹一杯・・・まだまだあるらしいが、要は多くの理由があり気に入らないと言う訳だ。

親父の家督を継ぎ、相良家に仕えることとなり仕官したが、前途多難な気がして憂鬱になる。

相良の殿様と会うことは殆ど無いので気にしないこととした。

人間は諦めが肝心だ!!

そんな事よりも、俺には色々とやることがある!!


〇~~~~~~〇


主人公が家督相続!!

しかし、上司から嫌われてます・・・

本文中で書きましたが、相良頼房現殿様は将軍・足利義輝から従四位下 修理大夫の官位と偏諱授与で「義」の一字を賜り義頼よしよりと名乗りました。

これは異例の事であったため周辺からは大友家からの自立志向があるのでは?と噂されます。

この時代の大友と相良の関係は大友が主で相良が従と言う関係です。

これは大友が九州探題に補任されたことに起因します。

偏諱授与の「義」の字は先々代の相良義滋よししげも受けたので、抗議理由としては、相良の官位は従五位下が通例であるのに対し、従四位下へ叙任されたことが異例であった為ではないかと言われております。

しかし、大友の抗議は可成り強かった様で、家中及び対外的な文書に対しては旧名の名義で出さざるを得なくなったそうですから相当ですね。

本来、相良氏は将軍家の「義」の字の偏諱や任官がされるべき家格ではないのに、相良義滋先々代相良晴広先代が大内義隆の仲介で偏諱・任官を受けたのが異例でした。

大友としてはそう言った異例の先例を通例とすべきではないと考えての事だったとも言われますが、どの口がと思いますね。

大友宗麟自体が異例の官位や九州探題に補任など家格以上の官位・役職を貰ってます。

自分の事は棚上げと言うスタイルは本当にあるあるですね~

相良義頼(頼房)さんはその後も頑張って幕府にいそいそと献金を続けたそうで、織田信長が台頭し足利義昭を擁立し上洛後、二条御所修築の費用を諸大名に求めた際には、朝廷への貢租年貢7年分に当たる費用を献じたそうです。

時は進み大友家は衰退の一途を辿ります。

1570年に龍造寺隆信に今山の戦いで敗れたことが大友家の衰退の引き金と言われますが、その4年後の1574年から頼房(義頼)から義陽よしひと名乗るようになったそうです。

1574年は織田信長が将軍の足利義昭との抗争に勝利し権力を確立、義昭が京を追放された年です。

何かここら辺も名前を変えた一因がありそうで面白いですね~

相良家はこの時期は島津家や伊東家とくっ付いたり離れたりと蝙蝠戦略を展開しております。

奇しくももう直ぐ丸目蔵人の転機となる大事件が起こります!!

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