第131話

日に日に周りの目が厳しくなってきた。

皆、私を避けるように、そして、蔑むようにジッと見詰めて来る。

事の始まりはある夜の事であった。

私の枕元に阿弥陀如来様が御立ちになった。

神々しく眩く輝くお姿に自然と手を合わせ、涙ぐんでしまった。

しかし、阿弥陀様はこう仰った。


「その方は暗殺者を丸目蔵人に仕向け亡き者にしようとしたな?」

「それは・・・」

「そして、摩利支天の末裔を害した」

「それは不慮の事故なのです!!」

「左様か、しかし、害したことに変わりなし」

「・・・」

「摩利支天の末裔を害すような者の所の者を極楽浄土に置く事は出来ぬ」

「それはどういう事で?」

「死した後、儂の治める極楽浄土ではその方らを受け付けぬでそのように心得よ」

「何故ですか?」

「何故?」

「いえ・・・」


一瞬目を背けた瞬間に阿弥陀様の姿は忽然と掻き消えた。


「お、お待ちくださいませ!」


叫ぶがもう姿を現られることは無かった。

次の日の朝、慌てて現れた訪問者が言う。


「顕如上人様!丸目四位蔵人様を害そうとしたというのは本当ですか?」

「・・・」


今日、数人の者が同じことを聞いて来る。


「昨日、拙僧の枕元に阿弥陀様がお立ちになりました」


この言葉も何度聞いたことか・・・


「摩利支天の末裔を害すような者の所の者を極楽浄土におく事は出来ぬと阿弥陀様は言われておりましたが・・・」

「・・・」

「如何されるのですか?」


私とて如何すればいいか解らぬ。

丸目四位蔵人を亡き者にすればよいと考えていたが、まさかこのような事になろうとは・・・

数日すると更に自体は悪化した。


「顕如上人様!拙僧の枕元に阿弥陀如来様が御立ちになり、摩利支天の末裔を害すような者の所の者を極楽浄土におく事は出来ぬと語られました」

「そうか・・・」

「聞けば丸目四位蔵人様の暗殺を目論まれたそうですな」

「・・・」

「その際に天女の末裔との噂の女人を害されたそうで」

「・・・」

「その女人は天子様の義理の娘、皇女様と言うではありませぬか!!」

「・・・」

「黙っておられては解りませぬ!!」

「そうだ・・・」

「顕如上人様・・・石山の為にお腹を召されませ・・・」


その僧はそう言うと静かに立ち去って行った。

更に月日が進むと私に声を掛けて来る者も居なくなった。


★~~~~~~★


顕如が大分追い込まれているようだ。

時間の問題だと思う。

報いは受けて貰うぞ!!

鳶加藤さんと果心さんは畿内の者の夢枕で幻術を見せた後は嬉々として四国に渡って行った。

三好日向守もこれからジワジワと追い込まれて行くことになるだろう。

石川四郎右衛門は何か心のつっかえでも取れた様に落ち着いているという。

逆に平井孫一はどうやら気がふれた様で、「阿弥陀様お許しを」を繰り返してぶつぶつとそればかりを口にしているという。

極楽、極楽いうから極楽浄土のトップの阿弥陀如来を夢枕に立たせたが、威力絶大だったようだ。

聞けば、浄土真宗は阿弥陀如来以外の神や仏は信じないみたいな教えらしい・・・

一神教みたいな教えだが、唯一信じている阿弥陀如来に見放されたと思った訳だ・・・

孫一が狂うのも解るし、本願寺の坊主どもが慌てるはずだ。

顕如の求心力も地を這うように下落して、何時誰が決起してもおかしくない様な物々しい雰囲気らしい。

間者として藤林の者が潜入して様子を見てきたら顕如は閉じこもり誰とも会わず、厳戒態勢だという。

「暗殺しないのですか?」と誰からか言われたが、暗殺?生温い!!

自分から首を差し出すか、皆から恨まれ吊し上げられる位は最低して貰わないとね。

朝廷から朝敵認定されているのもジワジワと効果が出てきている。

莉里が宗さんたちを巻き込んで何をしているのかと思えば、「三好日向守、顕如に関わる者は呪われる」と言う噂を蒔き、彼らに関わる者から商品を仕入れたり売ったりを規制しているそうだ。

いや、商人は験を担ぐ、武士もだが商人は今も昔も未来も験を担ぐ生き物だ。

噂を信じて本願寺や三好の者との取引を控える。

そして、渋々といった感じで宗さんたち事情を知る者が買い叩いているそうだ。

三好も本願寺も早めに決断しないと20万貫だけではなく色々と毟り取られるぞ。

まぁ知ったことではないな。

彼らに関わる民衆が苦しむだろうが、「関わる者は呪われる」のだから仕方ない。

そうこうしている内に、石山本願寺で事が起こったようだ。

門徒が石山を取り囲み顕如の首を求めたそうだ。

流石に下間しもつま刑部卿ぎょうぶきょう法橋ほうきょうと言う人物が取り無して事無きを得たようだが時間の問題かもね。

それと、不思議な事が起こった。

一向宗の明らかに他の地域の者からも手紙が来た。

何でも夢枕に阿弥陀様やら親鸞聖人やらが立ち、「丸目四位蔵人の奥に詫びよ」と言ってきたそうだ。

え~と・・・そこまで手が回らないから、勿論、幻術見せていないはずなんだけど・・・不思議なこともあるもんだよね~・・・

まぁ他地域からも顕如は突き上げを食らっているという事だな。

俺は例の如く、「顕如の首」と「20万貫」の示談金を求めている。

真里の命を金に換算するのは口惜しいが、終わってしまったことだ落とし前は必要だ。

前世の世でよく事故で家族を失った遺族が民事訴訟などして賠償請求をしてとんでもない金額に思える金額の請求をする物だななどと考えたことはあるが、本当は金に換算できる物ではない。

「金要らないから〇〇返せ!!」と言っても戻って来るものではない。

そうであるなら、「相手に出来る限りの苦しみを!!」と考えるのは当たり前だ!!

請求できる一杯一杯の金額を提示するのは金銭の問題ではなく恨みの大きさだ。

多分、遺族から言わせれば、500億とか1,000億積まれても納得できない者も居ると思う。

いや、金で転ぶ者は居るだろう・・・しかし、本当に愛する者を奪われた悲しみは金に換算できる物ではない。

まぁ本願寺は今そんな感じだ。

三好家はこれから大騒ぎになると思うが、出来れば真里の生きている内になど思っていたが、真里からは「私は拘りませんよ」と言われたので、執着しているのは俺たちなのだろう。

真里は一日一日を噛み締めるように人生を謳歌していると言う。

何気ない日々が美しく楽しいと言う。

俺の命を救えたことが何より嬉しいと言う・・・俺はそれを言われてしまうと言葉を失う。

まぁ悲しい事は考えないようにしよう。

まだお腹は大きくないし、神の加護の御蔭なのか、悪阻つわり等も無いという。

一応、実家に事の経緯を伝える事として手紙を出した。

兵法指南の約束をしていた北畠さんや左近さんにも事情説明と伺うのが遅れることを手紙にて知らせ、事が済んでからで構わないと了承を頂いた。

少なくとも1年以上は在京する予定だ。

流石に長くなりそうなので山科邸に滞在は悪いと思ったが、「長は儂の義理の息子になるのじゃ、遠慮するな」と言われたので相変らず山科邸に仮住まいしている。

流石に悪いので屋敷を色々と手直ししたりしていたら、最近は山科砦などと呼ばれる位までの屋敷となった・・・

俺が命を狙われたことと金があることで、真里たちや長門守や弓ちゃんたちが軍備拡張を言い出して公家の屋敷と言うより軍事施設か?と思うような屋敷となった。

俺も調子に乗って色々意見したのでちょっとした砦となった。

空堀掘って入口も跳ね橋にするのってどうよ?・・・


〇~~~~~~〇


さて、鎌倉仏教は中々に面白い宗派が多いのですが、中でも浄土真宗は特に変わっている宗派だと思えます。

では、他の仏教宗派とどう違うかと言う物を幾つか例を出してみましょう。

仏教において供養と言う物があります。

一般のご家庭で供養と言えば先祖供養だと思います。

仏壇やお墓に供物や花をお供えし、蝋燭に火を灯し線香をあげるイメージでしょうか?

僧侶を呼んだり自分で等々でお経(般若心経など)を読み上げたりすることもするでしょう。

しかし、浄土真宗は線香を立てません、般若心経を唱えてはいけません。

クリスマスを祝ってはいけない。

あ~クリスマスはキリストの祭日なのでどの仏教宗派でも本来祝う物ではありませんね。

しかし、浄土真宗はここが他の宗派より明確で、神を信仰してはいけない(神棚とか設けてはいけない)や仏檀に他宗の仏像や故人の写真は入れてはいけない と言われますのでクリスマスを祝うのはタブーらしいです。

お盆のお墓参りも不要、喪中はがきも不要、追善供養( 四十九日法要など)もしない(親鸞聖人は追善供養を一度もしたことないらしいです)、位牌作らない(過去帳と言う位牌の代わりの物を作ります)、末期の水の儀死に水も不要。

こういう宗派です。

誤解あるといけませんので何故なのかを少し。

線香を立てませんと書きましたが、亡くなった方は香りを食べると言われます。

線香と言うのは仏様(ご先祖さま)のある種の食事です。

それで浄土真宗は何故線香あげないの?っと思うかもしれませんが、線香を折り、2~3本を横に寝かせて置くのが作法となります。

宗派によってお作法色々なのですね~浄土真宗は線香をのです。

ただし、浄土真宗ではご先祖様に対しての物では無いようです。

仏教宗派の殆どが仏壇とは先祖供養の為の物なのですが、浄土真宗はお寺の縮小版とした見方をしており、亡くなった方は阿弥陀様の救いによって即成仏する即身成仏という考え方があるので仏壇には祭りません。

そう言う理由からお盆のお墓参り、喪中はがき、追善供養、位牌、末期の水の儀死に水を不要としています。

尚、現代で神を祭るのが駄目な浄土真宗なのに神棚あるご家庭がありますが、実は日本では戦前に、各家庭に神棚を置くことが政府より強制され、お仏檀と神棚がある家庭が現在でも散見されるそうです。

次に、他の仏教宗派で普通に読まれる般若心境ですが、このお経の意味をご存じでしょうか?

このお経を簡単に言えば、どうすれば自力で悟りを得られるか成仏できるかを書いたお経です。

浄土真宗の教えで最も重要な事は阿弥陀如来のお力で成仏するという本願を旨としております。

般若心境は本願なお経なので読んでも意味が無いという考え方なのです。

浄土真宗では「南無阿弥陀仏」とだけ唱えればいいと言われるのはここら辺が関わります。

他の事も浄土真宗なりの理由でタブーとしたり不要としていますが、まるで一神教の様に阿弥陀如来のみを信仰する浄土真宗は宗教学観点から見ると仏教から派生した新しい宗教とも言える様な物なのです。

勿論、時代の変遷とともにある程度緩和されて絶対ダメと言う物では無いのですが、浄土真宗のお坊さんに聞けば、多分、上記の物はあまりお勧めしないと言われるかもしれませんね~

しかし、お寺によっては・・・

今回宗教話でしたが、うんちくで仏教が他の宗教と一線を画す部分をその内語りたいですね~中々に宗教学も面白いのですよ!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る