おもしろくなってきましたねー。天下一武道会(仮)➡️鑓が混ざってるので剣術じゃなくて武道っすね!剣術自体に小具足ありますし。
林崎勘助は浅野民治丸の転生後(時間軸的に甚助が大体20代前半くらい?)かなって勝手に思ってます。神夢想ってかっこいいっすよね響きが。
作者からの返信
コメありがとうございます。
剣術だけにすると胤栄さんが出し辛かったので得物は自由とした感じです。
勿論、胤栄さんが剣術も相当な腕なのは知っているのですが宝蔵院胤栄と言えば槍!!
浅野民治丸だと流石に気が付く人が少なそうなので単純に勇名を馳せた林崎勘助の方を名前として使いました。
1561年に19歳で仇討ち成功を記載した資料がある様なので年齢的にも丁度いいと思い登場させました。
神夢想がかっこいいと思うの解ります!!
出す予定なかったのにこの大会で誰出すのか迷った時に「神夢想林崎流」の名前がかっこいいと思って出したくなりましたから!!
(うんちく語りたくて入れた・・・剣豪です・・・)
吉川英治の『宮本武蔵』は歴史小説じゃなくて創作バリバリの時代劇でしょう。一説によると菊池寛と「武蔵は名人か否か」って話題で口論して言い負けて、悔しかったんで「武蔵は最強の剣豪」って小説書いたら大当たりしたとか(笑)。ある意味「これは事実である」とか言いながら500%くらいふかしてる『空手バカ一代』レベルの創作作品なんじゃないかと。
作者からの返信
コメありがとうございます。
吉川英治先生ある意味凄いですね~底辺の剣豪を一般的には剣聖と思われるまでに押し上げたんですから!!
明らかに武蔵の史実漁ると「何でもありのヤバい人」なんですよね。
勝つためなら卑怯と言う言葉見当たらないのでそりゃ強いし、本当の有名どころは敬遠しますよね。
実際に隙を見せなかった剣豪とは戦っていないので、ある意味それは凄いんですけどね。
勝てる相手にしか喧嘩売らない!!
孫氏の兵法の基本ですからね。
宮本武蔵に関しては、後世の剣道家が寄って集って貶した結果って言う気しかしない。
確かに二刀流は、馬に乗って槍や太刀や遡って弓で戦う武者には響かない、武芸ではあると思う。
馬で接近戦するなら左に武器なんか持ったら自分の馬を傷つけ兼ねないし、弓に至っては最初っから両手を使う。
しかし、平和な時代片手で扱うに足る軽く短い打刀が主流の時代、武士の決闘も徒でやるよう時代に、二刀流を選択した武蔵は間違いなく天才だと思う。
というか1対1で騎乗もしない殺し合いで太刀や槍を選択する必要は無いんじゃ?
二刀流が習得出来たらタイマン最強だろう(出来ない人間なら盾持てと思う)。
作者からの返信
コメありがとうございます。
宮本武蔵が当時あまり評価されかったのは2点あり、後世に大幅に評価されたのは3点あると考えています。(あくまでも私の私見)
当時評価されなかった理由としては、二天一流の再現性が低い事と有名にした戦いが潔い物ではなかった点だと思っています。
後世の評価は二刀流と言う物珍しさ、そして、五輪書や二天記や吉川英治先生の「宮本武蔵」等の書物の影響かなと思います。
更に、不遇だったからと言うのが大きいかな~と思います。
判官贔屓と言う位で凄く不遇に見えれば肩入れしたくなるものですから。
評価と言うのは時代と共に変わることもあるので、意外と武蔵の評価も200年後とかになると今の私たちが一般的な評価として言う剣聖と評価をされるかも解りませんね。
上泉信綱や塚原卜伝の様に当時剣聖と言われたならいざ知らず、当時は剣聖と言われなかった人物なので評価基準が変われば一変しそうな気がします。