編集済
今回は、名跡を継いだ訳ではないので程度は低めですが、『家柄ロンダリング』の一種ですね。
ちなみに『名跡を継ぐ』事による『家柄ロンダリング』については、
世襲制でありながら、戦乱期故に能力主義も必要としていた当時の日本なので、
『名跡を継ぐ』→『名跡』が持つブランドを継承する仕組みを利用して、
人的流動性を確保した(補った)
などと理解しています。
戦国時代で『家柄ロンダリング』を最も活用したのは、恐らく斎藤道三とその父親でしょうが(西村→長井→斎藤とその時々の地位に応じてステップアップ)、
例えば、島津忠良が島津一族の伊作氏から島津氏の相州家にステップアップし、その子・島津貴久が島津宗家を継承して戦国大名と化した様に、名門復活に利用されてもいます。
日本の場合、易姓革命の類いが起きていない影響だと思いますが、
戦国時代でさえ能力主義一辺倒にならなかったのが面白いと思っています。
戦力としては無力な筈の朝廷が、権威として存続出来た社会ですし。
この手の『家柄ロンダリング』の仕組みが江戸時代でも生き残り、
有能だけど庶民の出の者が武士階級に紛れる余地を生んだのは、幸いだったとも思っています。
=-= 以下、追記 =-=
説明下手で判り難かったかもしれないので、念のため追記です。
要は『家柄ロンダリング』の事を、単なる成り上がりではなく、肯定的に捉えてると言いたかったのです。
日本は、易姓革命の類いが起きず、神話の時代から同じ一族が支配者層に居続ける社会です。
そういった社会が、
正倉院の宝物類や平安時代の貴族の日記といった代物を、遺物の類いではなく地上で比較的アクセス容易な形で存続する事を可能とした、
ある種の土壌だと好意的に解釈しています。
一方で、古い支配層が生き残り続けていると、社会が閉塞的に成りそうですが、
その弊害を緩和してくれたのが『家柄ロンダリング』だと認識しているので、肯定的に捉えてる次第です。
幕末~明治にかけて西洋の荒波に応じる事の出来た柔軟性が日本にはありましたが、その手の能力保持と、
一方で、古くからの文化の継承という、恐らくは上記と相反しそうな事柄、
両者をバランスしてくれた仕組みの一つとして捉えている
と言った方が良いかな?
作者からの返信
コメありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
これ実は日本だけの話ではなく世界的にもあるある話だから人間の考えることは一緒なんだな~と思わせる事例でもありますね~
ただ日本の場合は、朝廷があり続けたことで世界でも珍しい変わった権力構造になったのが歴史では魅力的に感じます。
行進を育てる
→後進
ですよ~
後にこの件を題材に書かれた作品こそ
かの有名な井原西鶴の好色一代男であった!
作者からの返信
コメありがとうございます。
誤字報告感謝!!
早速、修正します。
好色一代男って確か7歳で幼児(女)の行水を覗き10歳位の幼児(男)を口説くのからスタートの浄瑠璃ですね~女護ヶ島に行くだったかな?
主人公の様な人物が居たら本当に浄瑠璃とかの題材にって・・・題材にされたんですよね~何で読んだかは忘れましたが、蔵人(くらんど)って声掛けられて「蔵人佐(くらんどのすけ)だ」って言ったら指さした方で講談師?落語家?が「丸目蔵人(まるめくらんど)が~」と言ってるとこ見てありゃ?みたいな顔するのどっかで見た気がします。
果心居士来たかぁー、書物だと本人は士官したかったようですが、有名武将に会いすぎてて創作な気もする人物で、結果士官は叶わかなったようなので権力者からは見世物として呼ばれた奇術師なのかという印象、ファンタジー的には仙人的な立ち位置で扱う作品が多いので、忍び繋がりで登場するとは思わなかったです!
杉谷善住坊来るかなぁと少し思ってましたが、まだ早いか…
誤字報告
「・・・まぁそれで負けちゃったら括弧付かないかもしれないが」→格好付かない
作者からの返信
コメありがとうございます。
誤字報告感謝です。
果心居士に鳶加藤はちょくちょく重要な役回りで出て来ますが、基本はサブキャラです。
仙人・・・仙術使いは後々出て来ますね・・・そちらも何が出て来るか続きでお楽しみください。