そういえば、この久秀の三大悪って信長が家康(だったかな?)に久秀を紹介するときに「こいつ他人にできないことを3つもやってる凄いヤツだ」みたいに嫌味を言って、それで久秀は大いに恥ずかしい思いをした、ってエピソードがあったと思うんですが、もし濡れ衣だったら恥ずかしいというより憤りを感じるのかなと思ったり。
もっとも将軍弑逆は自分で汚名をかぶった可能性もあるから、それはノーカンかもしれませんけど。
まあ、このエピソードについては破天荒な信長としては本当に久秀を褒めるつもりだったという解釈もあるんですが、最近になって信長の結構保守的な面が見えてきたことからすると、やっぱり単なる嫌味だったのかなと思ったり。
作者からの返信
コメありがとうございます。
謂れのない三大悪の大罪人としての汚名を被っても平然としていた松永久秀はやはりただ者では無い人物だったんだろうな~と思いますが、今でも悪名を嬉々として受ける者も居ますので、そういった類の人間だったかも?
信長も凄いでしょうけど、信長の親父の信秀が実は本当に凄い人物ですね~次世代は今の価値観ではだめと肌で感じた様で嫡男の教育は自由奔放にしたそうです。
だから破天荒な信長が出来上がった!!
しかし、破天荒過ぎて周りが付いて行けないことが多々だったようですが、時代を切り開いたのは間違いないですしね~
ちなみに、私は信長の事は嫌いとまでは言いませんが、あまり好きな人物ではないかな~多分、信長が三好に代わり時代の中心的存在になる頃?にはそこら辺語ると思います!!
現在、物語は1565年位で信長が足利義昭を伴って上洛するのが1568年なのでもう少し先にそこら辺を語る予定です!!
そこでは信長の一番の悪行を語る予定です!!
編集済
久秀に限らず、『戦国三大梟雄』にあげられる四者(デタ数字の合わないやつ)は、でっち上げの側面があるようですね。
一般に人を欺くのは悪とされますが、
スポーツや囲碁将棋など競技モノだと対戦相手を(ルールの範疇で)欺くのは賞賛されます。
人命のかかっている戦となれば、その傾向はより顕著で、朝倉宗滴の有名なセリフもその流れから来ていると思っています。
一方で、平和な時代となり武士が統治者にクラスチェンジした場合、上記のような悪逆振りは都合が悪くなるでしょう。
都合の悪いことは、誰かに押し付けたいモノです。
『戦国三大梟雄』にあげられる面々は、
時代の代表者としてあげても違和感が少ない程度には有能で且つ有名、
また悪人として祭り上げても、江戸時代の統治者に流れ弾が跳んでこない、
色々と都合の良い存在。
それ故に、時代を代表する悪人として創りあげられたと考えています。
要はフィクションですけど、一部事実が紛れた方が真実味を帯びる。
まぁ、陰謀論的な解釈ですけど。
作者からの返信
コメありがとうございます。
戦国時代だと特に馬鹿だとか弱いとか言われる武将とかも細かい部分見ると結構有能なこと多いですからね~戦国の不死鳥こと戦国武将最弱との呼び声高い小田氏治何てそのいい例ですね~
本当に馬鹿な者は生き残れない時代なので、本当に愚かな者は名前が残ってないことが多々です。
中でも取り分け優秀な者は、勿論、名を残していますが悪名は逆に超有能だった証拠かな~と思ってます。