第101話

うんちく入れてますが、楽しんで頂けてますか?

うんちく今回も少し多めですが、裏側知らないと永禄の変は中々に難しいと思い詳しくうんちく付けてますが、必要無いと言う方は遠慮なく飛ばし読みしてくださいね~


◇~~~~~~◇


高難易度のお使いミッションは無事終わりを向えた!!

産むが易しとは言うが、終わってみれば結構簡単に終わった?様な気がする。

これも藤林忍軍を引き入れた俺の好プレーの賜物!・・・はいはい、勿論、お金・お銀のお陰なのは理解しているよ。

後は春麗もな~

数日経つと女性陣も慣れたものでお互い仲良くなった?様である。

特にお金の方は春麗と仲良くなった?様で「金姉」「春麗ちゃん」と呼び合っている。

他のメンバーはそれなり?・・・美羽・真里と金銀よ・・・変な張合いは止めなさい・・・

おう、それにお金・お銀が姿しなを作り俺に甘えて来る時は・・・少し寒気がするが・・・「この弾力が~」とか考えた時が特に・・・気のせいとしておこう。

鈍感主人公と言うのは定番だ!あ~自分で言うなと?何を言う!自分の人生の主人公は自分だ!!=俺が主人公!!OK?NOだと!!NOと言える天の声とでも言いたいのか!!

さて、俺も色々と忙しい。

宗治さんに例の物を渡しに行ったり・・・それ以上聞くな!!察しろよ。

堺に出向き垂れ幕用の大きい布や旗用の大きいのぼりを作る為の色々を手配して貰った。

何と書けばいいのかわからないので追々考えることとしよう。

さて、そんな感じでのミッションも忘れていない!!

ただし、時期が時期だ何時すればいいか解らないんだよね~

だってさ~事が起これば京は大混乱だよ?そんな時期にしても良いのか?

それに、大事件が起こる前にすると、多分、そっちに話題を掻っ攫われて目立たない!

信綱師匠に驚かすと言った手前、大ニュースとして民衆の皆様方には大きく広く伝え広げて頂かないとな~

まぁ将軍弑逆の事件だし何をしても負けるな・・・だってな~これって昭和から令和とかの時代だと総理大臣暗殺レベルの話だよね?

それに勝てることを遣れって言うのが土台無理!!

本物の・・・偽物ちゃうけど俺の知る史実での世界線の丸目蔵人は何時の時期にどうやったの?

道場の爺様の話では「のぼりだか旗だか立てて挑戦者募集して、挑戦者が現れなかった」て話だよな~・・・よく考えたらこのイベントって失敗したんじゃね?とも思う。

イベント事で人来ないとか閑古鳥が鳴いたとか・・・お笑い芸人のライブでも一人くらいは来るだろ!!

史実の丸目蔵人やべえよ!!

まぁ道場の爺さん曰く、「強さが知られていたから」って枕詞付くから、多分、いや、きっと・・・問題無い?

でもな~・・・どうせやるなら人を一杯集めてド派手にしたい!!

お祭り並みの賑わいでも挑戦者が現れんのならそれはそれだが、旗立ててるのを通りすがりの人が見て「あ~何かやっている~」程度に見られるのって超ダサくないか?

街角で「募金お願いしま~す!!」とか言っても誰も募金してくれない位、いや、「ティッシュどうぞ~」とか言ってチラシ配りしても誰も受け取ってくれない位に寂しいぞ・・・

よし!何かいい案でも考えておこう!!


★~~~~~~★


「上様、如何されるので?」


藤延が人がいない時を見計らって聞いて来る。

如何もこうも無い、三好が攻めて来るのが解っているのだ逃げるしかないだろう。


「藤延は如何すればよいと考える?」

「某ですか?・・・」


逃げるしかないと我は思うが藤延は違うのであろうか?

そんな事を考えると気になったのでそのまま聞いてみることとした。

藤延は考え込んでしまったがどんな回答をしてくるか少し楽しみである。


「上様がお逃げされれば命は助かりますな~」

「そうだな」

「しかし」

「ん?しかし?」

「しかし、将軍の権威は落ちます」

「落ちるか?」

「はい・・・残念ながら・・・」


藤延の言う通り将軍が逃げるのだ権威は落ちるか・・・


「そうか・・・」

「しかし、上様」

「何だ?」

「私はお逃げされる方が良いと考えます」

「ほう!権威が落ちるのにか?」

「はい、残念ですが今の足利家の征夷大将軍の権威は大昔と比べ殆ど無いと思えます・・・」


言い辛い事をズバリと言われ、自分自身でも解っていたことではあるが聞いていて気が滅入る。


「今、京を抑えているのは三好家で御座います」

「そうだな・・・」

「先の戦で三好家は多くを失いましたが、その力はまだまだ御座います」


言われるまでも無く、ここ数年で三好家は十河一存に始まり三好実休に長慶の嫡男であった三好義興も失い、安宅冬康を誅殺と不幸続きである。

他にも多くの者を亡くしている。

一時は十ヶ国程を領有した三好もじり貧で松永久秀や三人衆が年若き三好重存しげまさ(後の義継)を支えておるが、久秀と三人衆の間にも少なからず不穏な空気があると聞く・・・


「それで、事実確認はよい!結論を言え!」

「さらば、上様は逃げるのではなく一時避難されまする」

「避難?」

「そう!避難に御座います」

「ほう!」


上手い事を言うと感じた。

ではなくか・・・


「更に言えば、逃げるは一時の恥と申します」

「う、うむ・・・」

「恥を掻こうとも雌雄の時までの我慢にて御座います」

「よう言うた!!」

「ははー!!」


藤延は深々と恭しく頭を下げた。

決めた!!避難じゃ!!さて、避難は良いが直ぐに動けば三好の者に気取られよう。

気取られれば三好は大喜びして声高に将軍の権威失墜を騙るか我を秘かに闇に葬られること請け合いぞ。

そして、時期が重要ぞ。

義輝は深く考え何時が良いかを思案する。

それと同時に藤延に信用のおける者たちを集めるようにと指示を出す。


〇~~~~~~〇


将軍様は逃げることを決意したようです。

先に語りましたが、史実で足利義輝は三好が攻めて来る前日に逃げようとしたようです。

その際に幕臣たちに止められております。

将軍義輝も逃げる前に止められることは想定していたと思います?

それに、何故に戻ったのか?

色々な書物に書かれていることや色々な方の推察から幕臣が一緒に討死する覚悟を示したと語られておりますのでそれで戻ったとされておりますが果たして事実はそうなのか?

さて、この物語ではどのような仕儀となるか!!

丸目蔵人が京で高札を立てて挑戦者募集をした時期は1566年のまさに永禄の変があった次の年の事です。

この変は三好家の電撃作戦だったので京の町全体の被害は少なかったようですが、その後の三好家の内部対立が元で京が荒廃したとも言われます。

事情を知らない主人公は何をやらかすか!!

此方もこうご期待?


永禄の変を少し深堀したいと思います。

永禄の変の時の三好家の当主は名を三好義重よししげ(後の義継よしつぐ)となります。

三好側の主だった将は総大将に三好義重を置き三好長逸ながやす、三好政康まさやす宗渭そうい)、岩成いわなり友通ともみちの三好三人衆に松永久通(久秀の長男)と言った者たちでした。

二条御所に襲撃したのですが、何故このタイミングだったかと言うと、将軍サイドは三好家を警戒し、数年前から二条御所の四方の堀や土塁等を強固にする工事行っていたようです。

御所の門扉の改修終わる前に包囲したようで、三好家サイドは清水寺参詣を名目に約1万の軍勢集め御所を取り囲み(これを御所巻きと言います。)、将軍に訴訟ありと偽って取次を求めました。

奉公衆の進士晴舎はるいえが訴状の取次に往復する間に三好勢の鉄砲衆は四方の門から侵入して攻撃を開始したと伝えられます。

その時に御所に居たのは数百名ほど・・・

昼前には多勢に無勢で将軍サイドの主従全員が討死・自害したと記録に残るようです。

将軍殺しは勿論の事ながら大罪と言われます。

多くの者が避難しておりますが、何故それを決断したか?

家督継承をした若年の重存しげまさ(後の三好義継)は権力地盤が弱かった様です。

字から解ると思いますが・・・(解らなかった方、すみません。)十河一存の一人息子です。

長慶の後継者候補には他に次弟の安宅冬康やその子・信康、更に長弟・三好実休の3人の息子達(長治ながはる存康まさやす存保まさやす)、清康きよやす)がいました。

こういった場合、本来なら息子3人居る実休の息子の一人を選ぶのが普通です。

しかし、息子が1人しか居ない十河一存から養子に迎えたました。

その為、十河家は実休の次男・存康まさやす存保まさやす)を養子に迎える事となります。

何故、このような不自然な養子縁組し相続関係を結んだか?

重存しげまさが後継者に選ばれたのかは、九条家との関係が考えられると言われています。

九条家は足利義晴(義輝の父)、足利義輝と二代に渡って将軍の正室を出した近衛家と対立した家です。

当時の九条家の当主である九条稙通たねみちは近衛家とは政治的な敵対関係にあり、これに対抗するため、十河一存に娘(養女?)を嫁に出します。

三好家に近づき近衛家に対抗しようとしたようです。

重存しげまさ(後の三好義継)を後継者に押し上げた事からも九条稙通の本当の娘であった可能性が非常に高いのですが、三好家にとって高貴な血筋の血脈に入る十河重存(後の三好義継)を当主にすることは三好家から見ても高貴な血筋に組み込まれると言う大事な事だったと考えられます。

しかし、本来継ぐ予定の者たちからすれば業腹です。

虎視眈々とその座を狙っていたのかも?しれませんが、当主を蔑ろにしたことは後々は自分たちで自分たちの首を絞める結果となりました。

長慶から安宅冬康が誅殺されましたが、こういう裏事情があったとして考えると、松永久秀の讒言が原因と言う説もありますが本当に讒言だけで長慶が実の弟である安宅冬康に切腹を命じるか・・・中々にミステリーですね~

さて、話は永禄の変の主要メンバーの三好重存(後の義継)と三好三人衆の話に戻ります。

三好重存(後の義継)は長慶が亡くなった当初は三好三人衆が後見役となり三好家の家督を継ぎます。

家督相続時、重臣の松永久秀やこの三好三人衆が三好家の屋台骨を支えていたようです。

三好重存は義輝から「義」の字を賜って義重と改名、義輝の奏請(朝廷への推挙)により左京大夫に任官されたたのが1565年5月1日の事だったようです。

しかし、5月18日、三好三人衆や松永久通(久秀の息子)を伴い京都へ上洛し、5月19日に永禄の変を起こしております。

襲撃前夜(18日)に三好義重(後の義継)は1万の軍勢を引き連れて上洛しました。

京には緊迫感等は無く、前日までは足利義輝も全く三好軍を警戒していなかったようです。

足利義輝が三好の軍勢に対して全く警戒していなかったことから、義輝殺害事件は偶発的に起こったのではないかという見解もあるようですが・・・はてさて。

そんな義輝が逃げようとしたという事は、誰かがやはり教えたんでしょうね~

この殺害後、三好義重は義継と名を改めたので一カ月で2回も名を変えたことになります。

本当に忙しい改名ですね~1回目の名なんて18日間しか使っていないんですよ!!

さて、その後は直ぐに三好三人衆と松永久秀は不仲になります。

三好三人衆は三好義継を擁立、同年11月16日に三人衆が飯盛山に押し入り三好義継の奉行人2名が殺害されます。

三好義継は三好三人衆によって飯盛山城から河内高屋城へ身を移され、三好義継は三好三人衆と共に松永久秀と戦うことになりました。

なんか凄~く可笑しい流れだと思いません?

更に更に、その戦の戦況は三好三人衆側が終始有利で、三好家の本国の阿波国から義輝の従弟に当たる足利義栄よしひでを呼び寄せます。

三好三人衆やそれに味方する三好首脳陣たちは足利義栄を次の将軍にと尊重する一方で三好義継を蔑ろにし始めます。

勿論の事、三好義継の側近達が不満を募らせます。

三好義継の側近の一人が、義継に三好三人衆やその仲間たちとの手切れと共に松永久秀との協力を三好義継に提案します。

三好義継は1567年2月16日に出陣したと見せかけて、少数の者たちを引き連れて三人衆たちの下から脱出し、高屋城から堺へ赴き松永久秀と手を結ぶことになったそうです。

ここで三好家が真っ二つで争い始めます。

凄い怪しい流れと共に将軍暗殺含め計画的に三好義継を三好三人衆は利用している様に作者は思いますね~皆様はこの流れをどう思うか!!

今回はストーリー上裏情報は可成り重要なのでうんちく長めになってしまいました・・・

ちゃんと話に着いて来れたかな?

簡単に要約すると、三好内で権力闘争があった!!

その過程で将軍殺しが計画的に仕組まれたかもしれないよと言うこと!!

結構多目に永禄の変のうんちく語りましたが、内容を理解していると中々に面白いかも?

おっと!ハードルを自分で上げるとか・・・うん!聞かなかったことにしてくれ!!(いや無理です!!)

さて、次回は・・・永禄の変前の序章に突入突入!!

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