応援コメント

第100話」への応援コメント

  • 足利義輝さんは、詰んだ盤面に抗った悲運の将軍様なんだと思います。
    義輝、義昭さんというか足利家のどうしようもない持病として幕臣の暴走が滅茶苦茶酷くて彼等を止められなかったから無能扱いされてんじゃ無いかな?ってのが僕なりの持論です。(判断材料として義昭さんに宛てたノッブからのお手紙が幕臣の横領&暴走をなんとかしろ!というか僕が彼等の恩賞用意するから止めてくださいお願いします!公家やら寺社その他諸々からの苦情が恐ろしいほど来とるんです!って認識してるからです。

    作者からの返信

    コメありがとうございます。
    足利将軍家は没落傾向が強まる11代将軍・足利義澄位から幕臣の暴走は想像以上に酷いですね。
    しかし、それ位から天下人と言える程将軍権力が強くなかったのも理由ですね。
    天下を治める器でない人物が天下を治められるのは権力がある内だけ!!
    まぁ義輝も義昭ももっと前の時代に生まれていたら無難に治められた位には能力あったとは思います。


  • 編集済

    弑逆される程に、長慶没後の三好家に脅威と思われた事は否定しませんが、
    個人的には義輝の事を『無能な働き者』の類いだと見なしています。
    一見処理能力が高くても方向性を誤っていたら『出来ない』よりも害悪になる事があり、義輝はその類いだろうと。

    室町幕府は、高師直らが始めた執事施行状などにより、元々地方勢力が台頭する芽を持っていたとは思いますが、
    『家格の檻』に人々を閉じ込める事で、その発散振りを(可能な範囲で)食い止めていたのが『義満以降の室町幕府』だとの認識でいます。
    (勿論、応仁の乱とかで、発散自体は酷くなりますが)

    長慶全盛期の三好政権が、畿内ではある程度評価されていたものの、地方の武将からそっぽを向かれ破綻しています。
    そして、義輝を向かい入れた後に長慶らが『三好家が足利家と同格』アピールを始めたと思います。
    それらは、『家格の檻』の強固さの現れだと思っています。

    一方で、義輝は地方の有力武将と繋がりを求めて、足利一門に限定されたようなモノをばら撒いたかと思います。
    『将軍権威の向上』目的かもしれませんが、
    その行為は、下克上の肯定・『家格の檻』の否定、にも繋がると見なしています。
    要するに、『義満以降の室町幕府』の屋台骨を壊しちゃった、と。
    中途半端に能力があるから壊せた、とも。

    長慶の頃は、三好政権の破綻にみられるように、実力主義の限界が示さた様ですが、
    その後は、信長・秀吉・家康ら天下人の台頭の様に、パラダイムシフトが起きています。
    それは、『家格の檻』を義輝が破壊した効果と考えており、
    それ故に、義輝の事を『無能な働き者』の類いだと見なした次第です。

    上記は、歴史上の人物である義輝に対する個人的な解釈で、正直結構嫌っています。
    一方で、違う視点で義輝の事を魅力的に描かれている場合、その作品の義輝については個別に愛しています。
    ちょっと毛色の変わった所では、夾竹桃氏の『戦国小町苦労譚』とか。

    作中世界の義輝は、当初は比較的嫌いな部類でしたが、その後は普通な部類に推移していました。
    既に結論は出ているかもしれませんが、作中世界の義輝がどう生ききるのか、このあと続きを読むのを楽しみにしています。

    作者からの返信

    コメありがとうございます。
    面白い分析ですね!!
    私の分析としては無能と言うより有能とまでは行かないけど侮れない程度には有能だったから質が悪かったと思います。
    一時は長慶と組んでたこともあるし、政敵的な関係の人間と組める胆力も持っていたからこそ三好家も台頭出来たと思います。
    長慶が飛びぬけて優秀だったからその後は押し込められていた点もあったかな~と思います。
    それと、地方の方が将軍の権威が残っていたと思えます。
    関東より以北か毛利辺りに行っていたら歴史変わったかな?と思っています。
    結局、機内に拘り過ぎて大局を見ていなかったんでしょうね~勿論、今のような情報社会で、尚且つ、歴史知っているから言えることですけどね~自分自身も地元に拘る感覚はあるので義輝が畿内(地元)に拘ったのは凄く解るので・・・まぁ、そう言う意味では成る様にして成った?ってことでしょうね~
    既に永禄の変に突入して結果出ていますので続きをお楽しみください。

  • 京都に暮らしたことのある身からすると、
    民衆からすれば、長く(13代目)京にいた武家の頭領が、噂によると四国から来たらしい田舎者に殺された、この一点が気にくわないってだけだと思う。
    (長く京都市内にあった大学が奈良や大阪との県境に移転したときのブーイング的な感情)
    実際に殺された将軍も既にいたし、殺されそうになってると想像がつくボロ負け状態で都落ちした将軍もいた状況で、今更一人討ち取られたくらいで大差ないと思う。
    上杉謙信とかは義輝公を奉じて一発狙いとか企めそうだから非常に残念で悔しく感じたかもしれないけど。
    (鎌倉時代から名の通った長尾と比べると馬の骨に過ぎない三好が将軍を弑いしたってのは怒りの対象だろ)

    作者からの返信

    コメありがとうございます。
    都会者あるあるですね~田舎の方でも少し都会だと田舎の方を馬鹿にしますのでそれの京都版って感じですね~実に面白いご意見!!
    お公家さんからは将軍義輝は本当に惜しまれたようですね~
    実際、立場的に同じようなものと化していたので同族相哀れむ感で・・・
    実際には三好長慶は義輝を舐めていたと言うより幕府を上手く利用しようと考えていたので、そのトップたる将軍には一定の配慮していたと考えています。
    逆に三好家の他の者は将軍を本当に舐めていたので、長慶の死後に将軍殺しをしたのかな~と思います。
    松永久秀も長慶と考えを同じとしたので将軍殺しにはあまり関与したがらなかったのかな~と思います。
    自分の考えで書くよりも今書いている設定の方が面白くなりそうだったので自分の考え押し殺して書いてます!!

    編集済