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ハンゾウさん、実は忍者というよりは鬼半蔵って異名の武士(槍半蔵が前に出てきた渡辺半蔵)ですよ……とかツッコもうとしたら蘊蓄できっちりフォローされてたでござる、ニンニン。
まあ、伊賀同心の束ね役を任されたんで忍者でも間違いではないようなのですが、本人的には武士という自意識だったと思います。実際、幕府が開かれたあとは高位旗本ですし。
もっとも、そのあたりの意識の違いのせいで、あとで息子が大失敗するんですけど。
あと、実は近況ノートの方で書いたネタ短編は、この徳川改姓をネタに「忠臣蔵を無くそうとしたんだけど、代わりに変なモノが無くなっちゃった」って作品だったりします。まだ書きかけですけど。
作者からの返信
コメありがとうございます。
二代目半蔵は忍術も凄かったらしいけど武士としてのステイタスを得たので武士に固執したのかもしれませんね~
それに親父が偉大過ぎると・・・て奴だろうか?とも思います。
三代目半蔵は嵌められた感もありますしね~
配下が不満を漏らしやらかし、それは咎められなかったけど直ぐにこの直後、将軍お目見前に身内の病気見舞いで届出なく無断で夜間外出した事などを理由に改易を申し付けられたらしおいけど、重すぎない?と思うし、復権狙いで参陣した大坂夏の陣で家臣や従者と共に行方不明って出来過ぎてないですかね?
あくまでも憶測の域を出ませんけどね~
序うんちくして、二代目半蔵の「鬼半蔵」と言うのは槍の名手だったことから味方がそう呼んだらしいのですが、既に「槍半蔵」が居たから「鬼」になったとか何とか。
そして、服部家は上忍ですが、元々伊賀の上忍家系の「服部」は「藤林」「百地」「千賀地」の千賀地氏族で、その一門の長が一代目半半蔵だったようですが、土地狭くて貧乏なので生活苦からそれを脱す為に上京し、時の将軍足利義春に仕える際に旧姓の「服部」を名乗ったようですね~
そして、偶々、松平清康(家康のジイジ)が三河国を平定し将軍に謁見するため上洛した際に、一代目と会い意気投合して、その縁で松平氏に仕えることになったようですが、何か出来過ぎ感もありますけどこれも諸説あるようです。
正成(二代目)は千賀地一族とは何の関係も無いと言う説もあるようですが、忍者なので何処までが本当で何処までが嘘偽りか・・・2個3個位は偽名があり、別々の人物を装っていたとしても不思議では無いですね~
神仏を語る→神仏を騙る
ですよ~
作者からの返信
コメありがとうございます。
誤字報告感謝!!
何時もよりチェック甘々で急ぎUPしたので助かります。
早速変更させて頂きした!!
またありましたら宜しくです!!
その頃は今ほど気軽に食べられなかった梅干しを酒に使うとか、贅沢な気分でしょうね
作者からの返信
コメありがとうございます。
贅沢ですね~祝勝会なので。
でも梅干し割りは戦国時代の武将たちも好みそうな飲み方だと思います。